コメント20180228続き
  
   「士師記:エフタ(2)」
    
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/19625361.html
      へのコメント続き
 
 
いっぱいコメントをいただきました。
 
 
>私に言われても困るんですが、先方を批判してほしいのですが
 はい、失礼しました。決して、st5402jpさんに対して憤慨してはいません。
このBullinger氏について多少調べてみました。
 1)まず、
E. W. BullingerのGreat cloud of witnesses in Hebrews 11, Kregel Publications, 1979, pp. 324-331から引用したものです。
とある、書物については手元にありません。
ですが、
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 5:29
 
同氏の書いた、The Companion Bible by E. W. Bullinger
というものをネットで見ることができます。
 聖書全体を簡易的に注解しているものです。
その神学的レベルは・・・▼※◇(´・ω・`)○・・・という感じです。
とても保守的な方のようです。
 
そのコンパニオン・バイブルの士師記11:31に関する注解が出ています。
 内容は、
https://ja.scribd.com/document/123313446/The-Companion-Bible-by-E-W-Bullinger-Scan
で見ることが可能です
 つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 5:33
 
この箇所を見るとお分かりのとおり、「聖書の真実」さんが引用している書物の注解と全く同様の趣旨の内容が書かれています。
その内容は、ヘブライ語のワウ(ヴァウ)が、さまざまな意味で用いられているということ。また、その戸口からでてくるものが「男性」だと仮定してエフタは請願しているのに、実際には娘(女性)がでてきているから、請願自体に問題ありと言っている。
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 5:48
 
たしかに、ヘブル語本文をみると、「戸口から出てくる者」に当たる語は、「ハイヨツェー」という語で、これは「ヤーツァー」という動詞「出てくる」(という意味)のカル・男性・単数・分詞、ですので、男性を意味しているということになります。
ですが、そのような説明は書かれていません。
おそらく、他の当時手元にあった他の注解書等を参照されているのでしょう。
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 5:53
 
このE. W. Bullingerさんですが、決してカルト的な方ではないと思います、(そのコンパニオンバイブルを見る限り)。問題は、エフタの人身御供があってはならないという立場から、1)誓願自体がおかしい。 2)接続詞ヴァウは、ここでは「あるいは」を意味する、というおよそ当時の神学でいわゆる保守的あるいは、福音派とよばれる人たちの神学的たちばで注解していることです。
 「聖書の真実」さんによれば、元記事のE. W. Bullingerさんが書かれたものは、1979年出版となっています。
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 5:58
 
目下、神学は1990年代以前と以降では全くといっていいほど、神学が変わってしまっています。それは、おそらくコンピューターの発達と無関係ではないと思います。
コンピューターの進歩により、聖書のさまざまな問題が広く多くの神学者たちに共有され、また、聖書の語彙についてもより詳細に調べることができたりして、1990年以前の研究は(あくまで)「聖書学」においては全く過去のものというほど、変わってしまったという側面があります。
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 6:03
 
つぎに、
 
>旧約聖書は前5世紀ころから編纂され始めたから、キリストの時代にはあったけれど、エフタの時代にはなかったということでしょうか。しかし、何にもないということではないのでしょう。モーセ五書とかの原典になるようなものはあったのではないですか、あるいは父祖からの言い伝えとして。
 
という点について簡単にコメントさせていただきます。
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 6:05
 
確かに、父祖からの言い伝えはあったでしょう。
ですが、エフタの時代というのは、「聖書によれば」、まだ王国ができる前のお話です。イスラエルの最初の王であるサウルが王にになったのが、おそらくB.C.1012年頃であると学者たちはいいます。
すると、エフタはそれより100年ほど前と考えられますが、この当時のイスラエルはまだ無文字社会でした。
 
それでおっしゃられるように、聖書が編纂されはじめられたのが、紀元前5世紀・・・として、そうした伝承の担い手たちが当時の無文字文化を逆手にとって、イスラエルの歴史を人工的に美しく書き上げたのだと思われます。
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 6:14
 
しかし、現代とは状況は違います。紙は使い捨て、コピーは取り放題、電話で何か問い合わせる、ネットで調べる、なんてこと全くできない状況です。
それでも、殺されずにわざわざ異国のバビロンに捕囚とされるほどに「超」優秀であったと思われる、そうした祭司階級の人たちが、一生懸命に手元にある資料を使って、あれこれ聖書をまとめていったのでしょう。
 
それでも書き直しとかが簡単にできるわけではありませんし、一人の人で全部を編纂するなんてとても不可能ですから、当然、「検閲もれ」が生じるわけです。
エフタの物語はそうした部類に入るのかもしれないと思います。
 
つづく・・・
 
2018/2/28(水) 午後 6:19
 
聖書がまとめられていったであろう、その異国バビロンでの作業中、まだ完全にはヤハウェ(エホバ)をただ一人の神として崇拝する宗教すなわち一神教としてのそれには、まだ至っていなかったであろうと時代の残滓が旧約聖書のあちこちに散見されるわけです。
ですので、エフタの物語などは非常に編纂前の(手を加えられる前の)状況をしることのできる貴重な資料の一つともいえるわけです。
 
つまり、実際に人間を犠牲にするという行為がイスラエルの中でも普通に行われていたと解する方が、無理に、繕うよりも、はるかに自然であると思います。
 
 実際、旧約聖書を詳しく調べていくと、エフタのお話以上に
 
 どぎつい、ものが沢山あります。
たとえば、イスラエルのために、処女は殺さず残しておき、慰めものにしてよいという、ヤハウェの命令とか・・・。
 
 旧約は新約と比べると、本当にドロドロしてますね。(^^;)
以上長くなりましたが、簡単なコメントとしておきます。
 今更ではありますが、HN隠せるのでしたら、隠してください。
なお、私は神学者でも聖職者でもありませんので、悪しからず。 
 
2018/2/28(水) 午後 6:28 
 
 

エフタの人身御供があってはならないという立場から、1)誓願自体がおかしい。 2)接続詞ヴァウは、ここでは「あるいは」を意味する、というおよそ当時の神学でいわゆる保守的あるいは、福音派とよばれる人たちの神学的たちばで注解していることです。

 
そういう護教的な印象は読んでいて感じました。やはりそうですか、福音派・・。
 
2018/2/28(水) 午後 7:51 [ st5402jp ]
 

また、聖書の語彙についてもより詳細に調べることができたりして、1990年以前の研究は(あくまで)「聖書学」においては全く過去のものというほど、変わってしまったという側面があります。
神学は1990年代以前と以降では全くといっていいほど、神学が変わってしまっています。それは、おそらくコンピューターの発達と無関係ではないと思います。

 
コンピューターがね・・考えさせられます。私のような下手くそでも、引用など、PC上で出来ますからね。
 
2018/2/28(水) 午後 7:51 [ st5402jp ]
 

確かに、父祖からの言い伝えはあったでしょう。
ですが、エフタの時代というのは、「聖書によれば」、まだ王国ができる前のお話です。イスラエルの最初の王であるサウルが王にになったのが、おそらくB.C.1012年頃であると学者たちはいいます。
すると、エフタはそれより100年ほど前と考えられますが、この当時のイスラエルはまだ無文字社会でした。

 

聖書が編纂されはじめられたのが、紀元前5世紀・・・として、そうした伝承の担い手たちが当時の無文字文化を逆手にとって、イスラエルの歴史を人工的に美しく書き上げたのだと思われます。

 
「人工的に美しく」というのが何とも・・(微笑)
私も旧約聖書の歴史は、歴史をイスラエル救済の立場から解釈したものだろう、という思いがあります。美しいと感じるのは詩の形式で書かれた部分にありますが、歴史の成り行きは奇跡だらけで、神のなされることはしばしば残酷だと感じます。それで、神をおそれることは恐怖と区別できないような気がして、私は、神を畏れる、ではなく、神を恐れる、と書きます。
 
2018/2/28(水) 午後 7:52 [ st5402jp ]
 

殺されずにわざわざ異国のバビロンに捕囚とされるほどに「超」優秀であったと思われる、そうした祭司階級の人たちが、一生懸命に手元にある資料を使って、あれこれ聖書をまとめていったのでしょう。
それでも書き直しとかが簡単にできるわけではありませんし、一人の人で全部を編纂するなんてとても不可能ですから、当然、「検閲もれ」が生じるわけです。
エフタの物語はそうした部類に入るのかもしれないと思います。
エフタの物語などは非常に編纂前の(手を加えられる前の)状況をしることのできる貴重な資料の一つともいえるわけです。

 
無文字文化の言い伝えから旧約聖書を編纂した、そして、検閲漏れがエフタのような、ユダヤ教やキリスト教では禁忌となるような記事として残っていると、ここがT様の解釈の中心になりそうですね。
 
モーセ五書などの詳細な書き方は言い伝えで十分伝わるものだろうかとも思いますから、エフタの理解が不十分というのも頷けるような気がします。
 
2018/2/28(水) 午後 7:53 [ st5402jp ]
 
>私は神学者でも聖職者でもありませんので
 
大学か神学校で勉強されたのでしょうか、まさか独学?、知識も、ヘブライ語とか、感心します。
 
2018/2/28(水) 午後 8:14 [ st5402jp ]
 
 
(2018年03月06日)
 
 
 
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