福音
 
 
神はいるのですか
と聞かれて、
キリスト者はどう答えるのだろう。
 
いますよ、と当たり前のように答えるか
 
いるんです!、と念を押すか
 
この二つの答え方は伝道の姿勢ではない。
 
何故なら、
キリスト者にとって
神はいるということは前提で
ゆえに神に祈るわけだが、
神の存在の是非を問うてくる人は
その前提が未だない人である。
 
そういう人に向かって
知らないんですか、みたいな応答や、
口を結んで、いるんですね!
という圧力をかけることは無意味である。
 
そういうときに言うべきことは
自分が神の存在を信じるに至った経緯を語ることでしかない。
 
自分も求道者であったことを思い出すべきだ。
 
そうすれば多くの場合、
誰よりも自分が聖書を読んでキリストに興味を持ち、
さらに自分の苦しみや悲しみが癒されるのを感じた
ということを思いつくはずだ。
 
神がいるかどうか証明は出来ない、
しかし、自分は神がいないと生きてゆけない
という理由を語るべきである。
 
福音、すなわち、よき訪れを語るのに
侮ったり、圧力をかけて気張ったりしたのでは
無駄に力んだだけで
道を伝えたことにならないだろう。
 
福音伝道は
相手に負けてはならぬと強気になったり、
緊張して態度と言葉だけ強くなったり、
かっこつけたりすることではない。
その必要など全くないことである。
 
結果としてキリストに縁のない人もいるだろうけれど、
だから軽視してよいわけはなく、
 
具体的な方向を決めるのは、
私たちにとって、
これで大丈夫というのではなく、
他にないという選択だ。
 
いっしょに考えてみませんか
という姿勢が大切だが、
 
求道者に対して
神について私たちが言えることは少ない。
 
救いの教理の超常の仕組みの理屈の言葉は
求道者には外国語か夢物語のようなものだろう。
 
救いについて語ろうと思うなら、心に残る聖句を生かすためにも、
自分という人間を変えてくれたキリストとの出会いを語る以外にないのである。
 
心に残るということは
心が動いたということだから。
 
 
(2018年03月10日、同日一部修正)
 
経緯(いきさつ、けいい)
勝る(まさる)
 
 
 
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