何のために
 
 
勘違いしている向きがあるようだが
神に従って生きるのが信仰ではない
 
神に従える者などいない
それゆえに救いが必要なのである
 
神に従えないでいる自覚
それこそが信仰であり救いの条件である
 
神に従うことを教えるのは
福音も信仰も伝えたことにはならない
 
信仰の喜びだけを伝えていたら
神に背いている圧倒的な事実の前に
立ち尽くすことになるだろう
 
人の良心は脆弱だが
人が目一杯のその良心に従って行い
それを神に捧げるのが信仰だ
 
信仰は
人を正当化するためにあるのではない
 
言うまでもなく信仰は
罪を犯した人間が赦されるために与えられる
 
信仰は
人に罪に気づかせ
祈ることを気づかせるために
人が決して神に向かって自己正当化をせぬために
 
人間に与えられた良心が働くための恵みとして
造り主である神との厳しい関係と
救い主であるキリストの愛を伝えている
 
キリストという犠牲の死と悲劇に込められた愛を
それを無視する者たちと
それを悲しみそして慰められた人間とともに伝えている
 
たとい道半ばに泣くことがあっても
嘆き悲しむことがあっても
私たちには告白する相手がいる
 
途方に暮れる反逆の民である私たちの目に
涙が満ちて溢れることがあっても
深い深い溜め息をついても
私たちは次の一歩をそれぞれ歩むことになるだろう
 
それがキリストの愛の眼差し
という信仰者を捕らえて離さないキリストの負いやすいくびきであり
キリストの愛に絆された人生である
 
 
(2018年03月24日)
 
脆弱(ぜいじゃく)
絆す(ほだす)
 
 
 
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