讃美と魔性
 
 
日本語の文章において、終止形や命令形で書かれているところは、著者の言いたい度合いが、必ず、なのか、できれば、なのか、分かりにくいところがあります。聖書については、原語に詳しくない私としては、せいぜい日本語の文脈と人間の現実と理想を考えてゆくしかありません。
 
 (へブル人への手紙、口語訳)
13:14
この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。
13:15
だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。
 (へブル13:14-15、新約聖書)
 
著者はパウロとか、他の人かとも、言われているそうですが、ここは分かりやすいほうだと思います。讃えようではないかと、勧めている聖句です。讃えたいときには讃えるのでしょう。しかし、ゆえなくやたら讃美していいということではないはずです。
 
 (コリント人への第二の手紙、口語訳)
13:11最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。
 (2コリント13:11、新約聖書)
 
これは手紙の末尾のあいさつのようですから、激励と受け取るべきでしょう。私たちは、この地上で全き者にはなれないからです。
 
 (ピリピ人への手紙、口語訳)
4:4
あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。
4:5
あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
4:6
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
4:7
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
 (ピリピ4:4-7、新約聖書)
 
この世に生きていて、いつも喜んでいる人は異常だと前に書きました。6節との関連で、次の聖句を引用します。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
6:27あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
 (マタイ6:27、新約聖書)
 
キリストの教えですが、思い煩うことを禁じているのではないことは明らかでしょう。禁じても人間は思い煩ってしまうものです。思い煩う必要はないと、その慰めと癒しを語っているキリストの教えから言って、ピリピ引用の6節も激励でしょうから、現実を考えれば、ピリピ4節も、悲しみを禁じたのではなく、悲しむ人々への激励と解釈します。
 
言葉のみを受け入れて、情感を無視する者たちは、教えを、やはり戒律のように、こうあれ、また、こうあってはならない、という教え方をするかもしれません。そういうことではないのです。キリストは、人間の悲しみを思いやっていることを忘れてはいけません。情感のない説教を鵜呑みにしてはいけません。
 
 (コロサイ人への手紙、口語訳)
3:15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
 (コロサイ3:15、新約聖書)
 
これは、明らかに理想を語っています。理想は理想でいいのです。ただ、現実は違うということです。しなさいと言っても、出来ないことを承知の上で語るところの、やはり激励なのです。
 
 (テサロニケ人への手紙、口語訳)
5:16
いつも喜んでいなさい。
5:17
絶えず祈りなさい。
5:18
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
 (テサロニケ5:16-17、新約聖書)
 
書いてある通り、神が求めておられることです。迫害の時代にあって、迷うことのないように、キリストのもとで信徒の結束を呼びかけているように思われます。
 
つまり、救いのノルマではありません。いつも欠点を認めず救われることを確信して喜んで讃美していたのはパリサイ人です。
 
悩み苦しみ悲しみを抱えてキリストを求めた人々は癒される前に喜ぶ余裕はありませんでした。キリストはそれをご存知でした。
 
今も似たようなものです。主はそれをご存知です。
 
求められたとおりに出来ていないから、キリストは遣わされた、ということを覚えてください。
 
情感も共感も無視した解釈をもって教えと戒めを、救いの条件のように、掟か命令のように語る者たちは、結局、パリサイ人に酷似してゆくでしょう。ひょっとしたら、その者たち自身が、悲しみの感情を抑えつけて、無理に笑顔と悟り顔を作ってきたのかもしれません。それを他者に教えようとするのは無思慮と共感の欠如を勧めてしまう行為でしょう。
 
 
(2018年03月26日、同日一部修正)
 
讃える(たたえる、称える)
 
 
 
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