魂の奇跡
 
 
讃美する資格もない罪人である私さえも
神は憐れんで救ってくださる
ということに誤りはないと思うけれど
 
そうするために
讃美ばかりをするというのはどうだろう。
 
 ハレルヤ
 くらいが精いっぱいで
 神のどこがと讃美するほど神を知らない。
 助けてくれたということなら
 それは感謝でしょう。
 
それは罪深く
讃美する資格のない自分という人に
目をつぶることではないか。
 
神は
罪に目をつぶり目をそらす人を救うだろうか。
 
讃美するのなら
神の前で
先ず捧げるべきは讃美ではなく
人間の罪であり
自らの罪であり
罪人の自覚である。
それが神の前の敬虔である。
 
罪に定める目を
用いることを止めて
罪を罰せず
罪を赦すのは
神の仕事である。
それが神の憐れみによる魂の奇跡である。
 
私たちが讃美することで
神の仕事を先取りすることは出来ない。
 
私たちは赦されたいのだから
赦されたいという祈りを捧げるべきである。
そこに罪の自覚が表れるからだ。
 
私たちは慰められたいのだから
慰められたいという祈りを捧げるべきである。
そこに弱さが表れるからだ。
 
私たちは癒されたいのだから
癒やされたいという祈りを捧げるべきである。
そこに
地上で癒やされることのなかった魂の
病の苦しみと悲しみが表れるからだ。
 
物や肉体の奇跡を求めるのではなく
しるしを求めるのではなく
いつ起こるか秘されていることよりも
 
一途に
魂の奇跡を求めるべきだ。
 
 
(2018年05月29日、同日一部修正)
 
 
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