イエスからキリストへ
 
 
キリストは
人の悲しみを分かっておられた
以前そう書きました。
 
その理由は
神の子だからというのは
分からないと言うのと大して変わりありません
 
神と同じ全知という理由では
何も広がりがないのです。
人間として共感しようがないのです。
 
キリストは
公生涯よりも前に
すでに多くの悲しみを見てこられたのだろう
これも前に書きました。
 
ここを考えることで
人間として生きてきた御方の
人間に共感できる資質と
人間に対する鋭い洞察力を思うことになります。
 
30年
長いような短いような
公生涯以前の年月が
どんな経験を経て
どんな考察を経て
救いを志すに至ったのだろう
 
最初からキリストとして生まれ
全能であり
悪魔からの試練を経た
これは人間が受け取るには
象徴的すぎるのです。
 
人間として生きたキリストの路程を
聖書から読み取る以外に
キリストが背負ったものと
キリストが与えようとしたものを
感じることは出来ないはずです。
 
キリストの強さと寛容さ。
悪に身を渡す犠牲の勇気。
キリストの負ったものの重さ。
キリストの誰よりも深い悲しみ。
 
公生涯においても
人知の及ばない、
驚くべき、
奇跡物語として読むだけで
すごい、すごいでしょ、という
魔法ワールドへの興味だけにならないように
 
人間が憧れるに余りある良心の慈愛を
人間と共感するキリストに見るべきなのです。
 
二千年前の聖書の中の
キリストと
キリストに出会った人との
交わりという機会は
それぞれの人にとって
掛け替えのないものでした。
 
それはそのまま
聖書を読むことが
二千年前の話よりも身近に
深い悲しみと慈愛と喜びを味わうことで
キリストに出会う私たち一人一人にとって
掛け替えのないものになるのです。
 
 
(2018年05月31日)
 
 
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