凌ぐ
 
 
信仰について
悲しみの共感と
慰めと癒しと言えば
 
キリスト者は
悲しくて苦しくて辛くて
泣いてばかりいるのか
と言われそうだが
 
前にも書いたように
喜びや楽しみは
悲しみを克服して得られるものであり
 
ただ浮かれたように楽しい場合も含めて
喜びは過ぎ去る定めを持っていて
 
必ず訪れるものとして
喜びより悲しみのほうが大事なのは
 
悲しみが訪れるまでは
順境においては楽しめ
という教えもあるのだから
喜び楽しむことは
信仰の救いという意味では
大事というほどではなく過ごすからであり
 
逆境においては考えよ
という教えがあるのだから
逆境のほうが大事ということと相まって
悲しみが大事になるということであり
 
ゆえに信仰が
逆境を忍び
逆境を凌ぐためにあり
 
楽しさや喜びの
すり込みや煽りや暗示よりは
悲しみの時のために語られることが多いのは
 
この地上の人生で
喜びは部分的で一時的で
過ぎ去れば空っぽになりそうなのに
 
悲しみは全体を覆うように
まるで永遠に続くかのように思われ
乗り越えないと永い傷にさえなるからであり
 
また考えることも
悲しみに呑まれていては出来そうにないからで
 
途切れそうな思いと命のつながりを
信仰によって
生きている間
この世につなぎとめるために
 
逆境の悲しみを
考えることが出来るだけの
冷静な温度を与えてくれる期待を
信仰という最後の砦に期待するしかない必然である
 
 
(2018年06月02日)
 
凌ぐ(しのぐ)
煽り(あおり)
呑む(のむ、飲む)
 
 
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