わたし
 
 
私は
亡き叔母と
今も長い入院生活の兄が統合失調症なので
また兄が狂ってゆくのを目の前で見てきたので
(その当時は「狂った」と思っていました)
 
兄のためにではなく
私の疾病恐怖のために
精神科医のみならず医者としても
一般常識的な適性は全くありませんでしたが
精神科の医者を目指すためだけに医学部に進みました。
 
人前でろくに物も言えない私には
無謀なことでしたが
私自身も発病するならその前に
精神科の医者の臭いを嗅いでおくんだ
という
統合失調症古くは精神分裂病を目の敵として
睨みつける視線のみが懐深くありました。
それしかありませんでした。
 
私の対人緊張の強い性格に対して
精神科医として不適の烙印を押した人も
少なくとも二人いましたが、ほぼ正解です。
高校のときからそれは分かっていました。
 
なんとか医者の資格を得ても
結局、不眠症と鬱になって
12年間お世話になった病院を辞めてしまいました。
多くの迷惑を病院にかけてしまいました。
 
正常人の中に入って
精神病院の医者として生きるという人生は
不適応傾向の私には困難でしたけれど
まことに身勝手で申し訳ないが
後悔はしていません。
それで気が済んだということです。
 
私は
希死念慮を慢性的にいだきながら
洗礼後今に至るまで46年を支えてくださった神様に感謝して
仕事を辞めたのち
ちょうどネットの時代が来たので
ホームページに、メーリングリストに、
そしてこのブログに
あくまで私の信仰と神への思いとして
信仰についての記事を書いてきました。
 
私は
小学校一年で患ったリウマチ熱のために
大動脈弁逆流(AR)という弁膜症で
最近は心臓の予備力の低下を痛感しています。
 
そういうことがあるので
生涯独身で未経験のまま死ぬ
ということにも諦めのような納得をしています。
 
さらに免疫が低下したのでしょうか
帯状疱疹を患い
しかも後遺症としての神経痛なのか
2年以上経っても顔面痛が治らず
毎日鎮痛剤を服用してごまかしています。
 
外にも殆ど出ることなく
認知症で介護施設にいる母の家
つまり実家の諫早のマンションの4階に住んで
実家をゴミ屋敷に変えてゆくような暮らしです。
 
ブログ巡りとブログを書くことが唯一の楽しみであり
季節を液晶の中の画像で味わうという不自然さで
体力の衰えと痛みのために
 
 気は済みましたから
 御心でしたら
 痛みと痒みと苦しみを取り去ってください。
 そして眠るように意識を失わせ
 御許へ逝かせてください。
 
という祈りを毎日のようにしています。
(ひどいですね)
 
今後ブログを書けるかどうか分かりません。
今までは下書きを毎日のように書いて
何日分かは投稿予定分がまだあるという状況でしたが、
この記事で、それもありません。
成り行きは神がお決めになることですから分かりませんが
そろそろ・・という思いもあって
今さらのように私事を書いております。
 
たいへんお世話になりました。
ここ半年ほどでしょうか、
こちらからのアクセスも増やして、
アクセスしてくださる方も増えました。
感謝いたします。拝。
 
ハレルヤ。
 
 
(2018年06月22日、同日一部修正)
(2018年07月16日、色を濃くした)
 
睨む(にらむ)
懐(ふところ)
烙印(らくいん)
痒み(かゆみ)
諦め(あきらめ)
御許(みもと)
 
 
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]  
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]