また、雨が激しくなる予報なので、早めにアップします。
 
 
  楽山の腐敗臭
 
 「ブログ村騒動」とは何だったのか?
 (「ブログ村騒動」発言集 編集後記)
 2021年08月16日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 
 
楽山については、この2年半の批判によって、信頼度ゼロである証拠が明らかになってきました。楽山は、記事の量だけで、信頼が回復できると思ったのか、長々と不親切で雑な文章を、回顧録のように書いて自己満足しているようです。冷静に見せかけるフェイクが、醜い楽山を表します。
 
何を言われても、気取りが続くのが自己愛性パーソナリティ障害です。楽山のペースに、だらだらと付き合わされるのだけは、ごめんです。自己中からの発言は、どこまでも変わらず、他者のことばかり批判して、おとしめ作業に専念する楽山に、付き合わないでください。
 
このような楽山の長い文章は、読者を疲労させ、弱らせて、頷かせることが目的だと思います。感動とは、ほど遠い文章は、そういう効果があります。楽山の、弁明ではなく、責任回避の刷り込みの手法なのです。したがって、長々と書いてるな・・と思って、終わりにすることが大事です。
 
引用はしていますが、うっとうしさだけ感じてもらえたらいいので、理解しようなどと思わないでください。
 
*まえおき
ブログ村騒動の関連記事をひさしぶりに書いたので、以下にその感想を書いてみたい。
*「ブログ村騒動」とは何だったのか?
まず結論からいうと、ブログ村騒動とは、ガンレオ両氏の信者ブログ潰しによって引き起こされた騒動だったのだと思う。
ガンレオ両氏は、英氏と同じく破邪顕正を志したり、幸福の科学カテゴリーの上位は良質な信者ブログで占めるのが望ましいと考え、そうでない信者ブログを排除しようとし、それが幸福の科学カテゴリーを混乱させ、信者同士の争いを引き起こす原因になったのだ。
幸福の科学カテゴリーにコウ氏らがいようがいまいが、ガンレオ氏がいるかぎり、ブログ村騒動は避けがたい災難だったのである。
 
結局、誰かを攻撃するためだったのでしょう。そして、混乱させ、自分に向けられる批判を、無視して、資料と理屈を並べる自己愛性パーソナリティ障害NPDの特徴でしょう。まさに、自分を悪の圏外に置いた評論家気取りなのです。相手にしてはいけません。
 
*結果から原因を考える
もしかすると、ガンレオ氏らからすれば騒動の原因は、コウ陣営側にあると主張するかもしれない。
けれども騒動の終点を見れば、これは間違いである。もし騒動の原因がコウ陣営にあるとすれば、コウ陣営が沈黙すれば騒動は終わるはずであった。けれども実際はそうはならなかった。
コウ陣営のピア健、ぽん吉らがカテゴリを出ても、コウ、ピッポ氏らが沈黙しても、ブログ村騒動は終わらず、ガンレオ両氏は今度はコピペブログ(危機に立つ日本)を攻撃しはじめただけだった。ただ「危機に立つ日本」氏は大人だったせいか、ガンレオ氏から繰り返し批判されてもほぼ無視で通し、信者と信者の争いを顕在化させることはなかった。
そしてこのあと、ガン氏の記事更新が途絶え、レオ氏がブログ村を出て行くことになり、これでようやく幸福の科学カテゴリーは平穏さを取り戻したのだった。こういう流れからすれば、幸福の科学カテゴリーはガンレオ氏らがいる間は争いが絶えなかった、騒動の原因は両氏にあったと言わざるを得ないのではなかろうか。 
 
つまり、正常な議論というのは、先ず、楽山のような、無責任と他罰で出来ているような無法者を排除するところから始めなければいけない、ということが、楽山自身の書く文章から明らかになっています。長々と書いてくる、一見、まともそうな文章を真に受けてはいけません。
 
*対立関係から原因を考える
次に、ブログ村騒動における対立構造を整理すると、大体このようなものになるだろう。
・ガン、レオ vs コウ、ピッポ、ピア健、ぽん吉
・英(レオ派)vs コウ
・レオ vs チョコスッキー
・ガンレオ vs 天使のことば
・kairu(レオ派)vs コウ
・アマミ(レオ派)vs コウ
・ガンレオ vs 危機に立つ日本
上は「信者 vs 信者」だが、「信者 vs アンチ」なら、こうなるだろう。
・ガン vs UMA
以上、対立関係からみても、ガンレオ両氏は直接または間接に、ほとんどの争いに関与していたといえる。
 
他者の名前をいっぱい出して、複雑だが自分は分かって分析しているように見せかけていますが、分析の対象によって、楽山自身だけは除外されるだろうと思います。
 
*それぞれの発言から原因を考える
発言内容について是非を論じるとすれば、発言集を見てもらえれば、ガンレオ氏らの攻撃性が群を抜いていることは大方の人には理解してもらえると思う。
コウ陣営でもぽん吉氏の悪口コピペはひどいのだが、大半は「お前の母ちゃんデベソ」的な子供っぽいものばかりで、その毒気、憎悪、敵意、攻撃性、陰湿さに関してはガンレオ氏らとは比較にならないだろう。
(注 ぽん吉氏の悪口コピペについては正直言って私はあまり興味はなかったので保存はしておらず、発言集にもほとんどないが、コウ氏のブログ、ピッポ氏のブログのコメント欄には残っているので容易に確認可能である)
 
「理解してもらえると思う」が、理解につながらない典型です。何故なら、長く続いた楽山自身の害毒が、何も書かれていないからです。だまされてはいけません。こういうのが、楽山の「毒気、憎悪、敵意、攻撃性、陰湿さ」なのです。
 
*個別のテーマから原因を考える(1)
ブログ村騒動ではさまざま議論がなされたので、大枠での裁定のみならず、それぞれの議論ごとの判断も必要である。
これについては、楽山日記の過去記事を提示しておきたい。自分の考えはさほど変わっていないので。
・★ 同性愛差別論争について(コメントまとめ)- 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/17512666.html
・★ 自称宇宙人論争について(コメントまとめ)
http://mn266z.blog.jp/archives/17512665.html
・★ 「リバティのコメント欄」閉鎖騒動(コメントまとめ)
http://mn266z.blog.jp/archives/17512671.html
・★ エルカンターレファイト論争(コメントまとめ)
http://mn266z.blog.jp/archives/17512670.html
・★「幸福の科学村」騒動のまとめ
http://mn266z.blog.jp/archives/17512667.html
 
決して、後悔せず、反省せず、いろいろ書くけど、一切、責任を負わないところの、自己愛性パーソナリティ障害NPDが全開となって、読者にとって、すさまじい自己正当化の疲労物質となっています。この長い文章で、楽山に対する免疫をつくってゆくしかないのです。
 
以下の引用、精神衛生のために、じっくり読んだりしないでください
楽山は、結局、笑っています。何様のつもりしょうか、これだけ書けるんだぞ・・とばかり、人のことばかり長々と書いている。理解してもらおうなどとは、全然、思っていない証拠です。
*個別のテーマから原因を考える(2)
他の論点については、大雑把ではあるが自分は次のように判断している。
IPさらし騒動…レオ氏はぽん吉ソフィア同一人物説の証明として、IPさらしをしていた。たしか当該記事内では他の信者ブロガーとIP情報の交換をしたとの記述もあったかと…。この出来事はレオ氏らの個人情報管理の程度がよく分かるし、レオブログを見る場合のリスク管理の必要性を感じさせる騒動であった。ちなみにレオ氏は騒動とはあまり関係ない信者から注意をうけて、IPの一部を伏字に修正したのだった。つまり他の信者から見てレオ氏の行動は行き過ぎであり、レオ氏もそれを認めたということ。
半裸画像さらし騒動…ガンレオブログのコメント欄にて、匿名希望氏がピア健の半裸画像ページをさらしていた。ぽん吉氏らはこれを削除するよう要請したが、レオ氏が受け入れることはなかった。ピア健氏は自らの風俗営業ページをさらされても自業自得との見方もあろうが、論争とは直接関係なかろうプライベートをさらし、相手を貶めようとする行為は決して褒められたことではなかろう。
悪魔呼ばわり論争…コウ氏はレオ氏らから悪魔呼ばわりされたといい、レオ氏らは悪魔呼ばわりしたのは我々ではなくコウ氏の方だ、コウ氏は嘘をついていると非難していたのだった。けれども傍から見ていれば、コウ氏らはレオ氏らを悪魔呼ばわりしているし、レオ氏らもコウ氏らを悪魔呼ばわりしていると解釈されても仕方のない発言が多々あった。こう見ると、どっちもどっちとしか言いようがないのではなかろうか。
コピペブログ批判…コピペブログはブログ村騒動とは無関係でガンレオ批判をしてもいなかった。しかしガンレオ氏らは一方的にコピペブログを批判していた。ガンレオ氏らの攻撃性と、自分らの価値観を他者に押し付ける傾向が強いことが明らかとなった事案である。
チョコスッキー騒動…ブログのコメント欄の管理について薀蓄を語っていたレオ氏は、チョコスッキー氏から軽いツッコミを受けて激怒し、猛反論をしていた。チョコスッキー氏はその後はブログ更新は途絶え、ブログ村からもいなくなったのではなかったろうか。これはレオ氏の過剰反応、ヒステリーがよく分かるエピソードであった。
トンヌラ門前払い事件…トンヌラ氏は、レオ氏に対してブログ記事内にある自分の名を削除してほしいと依頼していたが、レオ氏はそれを突っぱねたのだった。トンヌラ氏の理屈ではレオ氏のブログ記事に自分の名があると、そこを伝って悪魔悪霊がやってきて困るから名を消してほしいとか何とかいうものだった。傍から見ればデンパであるが、本人にとっては切実な悩みだったのであろう。でもレオ氏はこの頼みを突っぱねていた。自分はピッポ氏に、自分を名指しするな、自分の名前を出すなと要求していたというのに…。
仲裁騒動…ブログ村内がギクシャクしていたときに、ある日、唐突に仲裁役を申し出る者が現れた。レオ氏はすぐにその話に乗り、ピア健は難色を示したものの、結局はある程度の話はすることにしたらしかった。けれども残念ながら話し合いはまとまらず、仲裁者は仲裁断念の記事を書いていた。それはレオ氏の過剰反応、ピア健の無断引用などを戒め、喧嘩両成敗的な部分もあったのだった。またアテツケ記事の危うさも指摘するものだった。
舞台裏発覚騒動…のちに、上の仲裁者は、ガンレオ氏に近い者から依頼されて仲裁役を申し出たことが明らかとなり、これにはコウ氏が苦情を申し立てていたのだった。仲裁者は中立ではなく、敵陣営の依頼によるものだったとはどういうことか? そのことが今まで秘されていたとはどういうことか? と。これはコウ氏が怒るのも無理はない。
約束違反騒動…上のガンレオ氏に近い者は、コウ氏は仲裁者との約束を破っていると批判していた。その言によると、コウ氏はガンレオ氏のことはもう批判しないと約束をしたにも関わらず、その約束を守っていないというのである。これが本当ならコウ氏に非があるだろう。けれども、コウ氏は大っぴらに他者批判をするが、レオ氏は相手を名指ししないアテツケ記事で批判することが多い。これでは私のような第三者からみた場合どちらが先に相手を批判しはじめたのか分からぬし、そもそも今後相手を批判しないという約束なんて無茶すぎるようにも思えたのだった。
公式ブログ騒動…上のコウ批判は「豊川支部ブログ」によってなされた。これに対してコウ氏は、公式ブログが一信者にすぎぬ自分を名指し批判するのはおかしいと疑念表明。後日、「豊川支部ブログ」は一信者によるものにすぎず、公式ブログではないことが判明し、教団からの指導でブログ名は修正されることになった。ちなみにガンレオ氏はこの件について異論は述べず、「豊川支部ブログ」を応援していたのだった。一信者のブログに公式ブログかのような名称がついていることに少しもおかしさを感じなかったらしい。
個人情報流出騒動…騒動の仲裁者が、コウ氏の個人情報をすべてレオ氏に渡したことを公言していたことがあった。争いごとの仲裁者が、一方の個人情報を、もう一方に渡したとのことである。個人的にはこれは仲裁者としては絶対にしてはいけないことであろうし、もしそれを受け取ったならレオ氏も相当だなと思う。
真理の理解度…コウ氏はアンチの意見の中にも宝物があるとしていた。ようするにアンチからも学ぶべきものがあるということであろう。一方、レオ氏はアンチは戦うべき相手だとしていたようだ。アンチはもちろん、同じ信者であっても自分と対立する相手に対しては、その意見を無価値と断定することに躊躇しないようでもあった。ようするに派閥で判断する人であるらしい。このことからすると、レオ氏よりコウ氏の方が真理を見出す力は上であろうし、どちらが争いを生む考え方をしているかは言うまでもないことだろう。
過去記事削除問題…過去記事を読もうとした場合、ガン、ピッポ氏のそれは今も読めるものが多いだろう。コウ氏の場合は過去記事のうち削除、非公開になっているものが時々ある。ぽん吉氏の場合はブログはすぐ消す人だが、過去発言はピッポ、コウ氏のコメント欄で確認可能だ。レオ氏の場合は重要な論点になるだろう過去記事でも削除、非公開で読めなくなっているものが多い。こういう視点からみれば、自分の発言に責任をもたず、歴史修正しようとする人が誰かはおおよその見当はつけられると思う。
ぽん吉騒動(不倫コピペ)…ぽん吉氏は不倫だ不倫だと騒いでいたことがあった。事情を聞いてみれば、コメント欄で男女信者が親しげに話をしていたことから、ただならぬ仲だ、不倫だと独り決めしたらしかった。あほらし(笑)。
ぽん吉騒動(レプ呼ばわり)…ぽん吉氏には、レオ氏は他の信者を公開処刑にして屠っているように見えており、その正体はレプタリアンだと判断し、さかんにレオ氏をレプ呼ばわりしていたのだった。信者にありがちな思考であろうが、傍から見ればぶっちゃけどうでもいいことである(笑)。
ぽん吉騒動(所属支部暴露)…ぽん吉氏はレオ氏の所属支部はどこそこだと盛んに吹聴していたことがあった。これも傍から見ればどうでもいい話であった。レオ氏がどこの誰かなんて興味ある人なんているのだろうか?
ぽん吉批判…ぽん吉氏の悪口コピペは、裁判沙汰になりかねない深刻なものもあったが、ガンレオ氏らに向けてのものに関しては上のような類のものが大半だったのではなかろうか。けれどもレオ氏はこういうぽん吉氏に本気で激怒し、長文の批判記事を何本も書いていたのだった。自分にはこういうレオ氏の行動は謎である(笑)。
以上。この騒動の論点はこれ以外にもあるだろうが、ここではこの辺で一区切りとしておきたい。
とりあえず自分としては、ブログ村騒動の各論点について上のように考えているので、どうしてもガンレオ陣営には厳しい判断をしないではいられないわけである。ぽん吉氏の悪口コピペは酷いし、コウ氏らにも間違いがあり、ピッポ氏、ピア健氏にはデンパが多いのは承知しているが、私がブログ村において直に目撃したことを材料として考える限りは、ガンレオ陣営は彼らが主張するほど正しいわけではなかろうと言わざるを得ないのである。
 
恥ずかしいことです。頼まれもしないのに、年月も経っているのに、今の自身の問題から背を向けて、他者を論評した気になるための駄文~悪口です。ガンレオという陣営を批判しているようですが、何よりも、楽山こそが、しつこく再生したがる癌なのです。気遣いも思いやりもありません。
 
楽山については、もはや、誰にも相手にされず、独りの部屋で、独り言を言いながら、無視されて当然の無駄話や悪口を、ああでもない、こうでもない、・・かなあ、と書き続けているうちに、寿命が尽きてゆく人生しかない・・ということが、今回の一連の記事に表れているのです。
 
*おおまかな傾向性
ちなみに、レオ、コウの両陣営の主張を大雑把にまとめれば、レオ陣営の主張は(われわれは不良信者を裁き、排除する権限がある)ということであり、コウ陣営の主張は(他を裁くな、攻撃するな)ということだろう。
もう少し書けば、レオ陣営の主張は、(HS教義はこれこれである。彼らはこれに反している。正義はこれこれである。彼らは正義に反し、悪である)という型になっていることが多い。場合によっては、(彼には信者の資格がない。信者失格である)と断言してしまうこともある。信者かどうか、破門かどうかの判定は教祖教団の権限であろうが、レオ氏などは平気でこの手の主張をする。
 一方、コウ陣営はといえば(『自称宇宙人さんへ』はピア健氏を揶揄中傷し、傷つけるものだ。謝罪すべきだ)(彼らは同性愛差別をした。これは間違いだ)(今は霊性の時代だ。どんな奇跡が起きるとも限らない。だからその霊言は偽物だと簡単に決めつけてはいけない。歴史を振り返れば、そのような決めつけて、多くの光の天使が傷つけられてきたではないか)という(他を裁くな、攻撃するな)という型の主張が多い。
些細な意見対立は省略し、大きな視野から見た場合、両者には上のような方向性の違いがあるし、どちらが争いの原因となりやすいかは言うまでもないところだ。
 
不良で、排除されるべきは、恐らく、楽山その人だということです。人を、上から俯瞰したつもりで、ああだこうだと主張する者に欠けているのは、自分を見る視線だということが分かるでしょう。誰が、楽山に、楽な山の上から眺めて意見を言ってくださいと頼んだでしょう。
 
そんなこと、誰も頼んではいないのです。楽山は、自分の問題を無視して、お山の上にいることしかできない人です。そして、頼まれもしないのに、宗教、思想、真実について、退屈なだけの文章を書き続けてきたのです。
 
こんなに詳細な文章を・・すごい!などと思ったら、楽山の思うつぼです。
 
勝手に、まとめとばかり、現時点から離れて、昔のことを書くのも、責任逃れのためでしょう。何の助けにも参考にもならないことは、今までの文章に、うんざりするほど、表れてきたのです。
 
*結論
以上のことから考えると、ガンレオ陣営はHS教義の解釈の正統性だとか、論客としての能力などでは、コウ陣営より上手といえなくもなかろうが、ブログ村において騒動を引き起こす原因を作ったのは誰かという論点からいえば一番にその名をあげられても文句は言えない立場にあるといえるだろう。
ガンレオ氏らはその傲慢さから、自分らは相手方より真理を理解し、正義の立場にあると思い込み、自分の目の丸太に気づかぬままに、相手の目に塵があることを非難するというよくある陥穽に落ち込んでしまったのである。
 
このように、人の力量を図るのが、楽山の大好きな趣味なのでしょう。楽山は、訂正不能の自己中ですから、論客にはなれません。騒動の引き金にはなるかもしれません。真理など、狭量な楽山は、微塵も理解していません。
 
楽山の付け焼刃の愚かさです。「自分の目の丸太に気づかぬままに、相手の目に塵があることを非難する」・・まさに、楽山自身に他なりません。自分の目に刃が刺さり、血が出て、全く盲目となっても、同じような気取りを続けるのでしょうか。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)19:24
また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。 
 (マタイ19:24、新約聖書)
 
楽山は、自分のことだとは、まるで気づいていないようです。富んでいるということは、財産のことだけでなく、知恵におごっている状態をも示しているのでしょう。愚かさも極まったと言うべきでしょう、キリストの立場で物を言うとは。
 
*動機
最後に、今回「ブログ村騒動」に関する記事を書くことにした動機について触れておきたい。
これにはおよそ二つあるが、まず一つは先日他所で書いた通り、楽山日記の人気記事にブログ村騒動の記事が上がっていることである。いまでもこの問題に関心を持つ人がいるなら、分かりやすいまとめ記事を書いておこうと考えたのだ。
もう一つはレオ氏から次の批判があったからである。
 
「分かりやすいまとめ記事」でしょうか。長さと鬱陶しさで疲れさせて、圧倒したいだけだと思います。どうか、楽山の文章を、本気で読むことだけは、しないでください。
 
この退転アンチの悪質さは、ブログ村騒動では、第三者の仲裁があって、騒動の原因が明確になったにも関わらず、その後も延々と、相手方の方が正論であるかのような悪質な印象操作を交えた、事実改竄記事を書き続けて粘着していたこと。
・『アンチとのディベートは不毛だなぁと今更ながら振り返る』記事のその後 - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/24172922.html
 
楽山は、詭弁と嘘と印象操作によって刷り込んできます。さらに、実質が何もないことも明らかになっており、自己顕示欲だけの自己愛性パーソナリティ障害NPDです。罪悪感がなく、悔いることも反省することもなく、執拗に書いてきますが、中身は何もないので、疲労だけをもたらします。
 
相手方の非が数多く証拠もあがって、事情がいっそう明確になった後でさえも、それらのことはスルーして、わたしを貶めたいあまりの、自己都合の解釈論でもって、延々と相手方を弁護し、こちらを誹謗中傷するという邪悪な行動を行ってきました。
・『アンチとのディベートは不毛だなぁと今更ながら振り返る』記事のその後 - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/24172922.html
 
楽山は、自己愛性パーソナリティ障害なので、責められると、必ず、被害妄想を返してきます。そして、反省しないのです。救いようのない人・・ということになります。○○論ということを、しばしば言ってきますが、楽山は、自己中ですから、先ず、論というものが成り立っていないのです。
 
これは私には身に覚えがないことであるが、そんなに言うならブログ村騒動を振り返り、事実確認してみようと考えたのである。
それで結論はどうかといえば、すでに上に書いた通り、前以上にガンレオ陣営には厳しい見方をするに至ったというオチである。
ぶっちゃけた話をすると、発言集を見れば分かる通り、レオ氏はその高慢さと短気さのせいか失言が多く、自分で自分を貶めることを繰り返しているので、レオ批判のためにわざわざ歪曲捏造、誹謗中傷をする必要はないのだ。
それにも関わらず、自分は誹謗中傷される被害を受けているというのは、自己客観視ができておらず、他のアンチ氏が指摘しているように被害妄想があるためなのだろう。お節介かも知れぬが、大事に至る前に他のアンチ氏の指摘は真面目に検討した方がいいと思う。
 
楽山には、自己中の事実しかありません。楽山によって選択し捏造される事実を、真に受けてはいけません。何度も何度も、オチてきたのは、楽山のほうですが、そのたびに、ネチネチした正当化の詭弁を、今回のように、書いてくるのです。「真面目に検討」するということのない人です。
 
そして、楽山は、「自分で自分を貶めることを繰り返している」ことに、全く気づかない特性があります。そして、今までも、「わざわざ歪曲捏造、誹謗中傷」を、丁寧語で返してきます。この自己中は、恐らく、どこに行っても、嫌われるだけでしょう。
 
*自己正当化のための議論
余談ながら、「書評・レビュー」カテゴリーを見てると、レオ氏は香ばしいタイトルの記事を連投している。
 
URLが並んでいます。しかし楽山は、
 
>記事の中身は見ていないが、
 
だそうです。そういう人です。人の言うことを、まるで、受け取っていません。自己愛の精神病質のために、受け取れないのかもしれません。
 
タイトルからすると誰かを批判し、自らの正当性を主張するものばかりなのだろう、たぶん。
でも誰かをどんなに批判したところで、自らの難点が修正されることはないのだ。それよりは先に書いたように他人の目の塵を見て、自分の目の丸太を見ないことになるのがオチだ。
 
「自らの正当性を主張するものばかり」・・これが、楽山であり、今回も、全開なのです。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)7:3
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 
 (マタイ7:3、新約聖書)
 
自己正当化に、好きなだけ、聖書を悪用している楽山です。2回目。これが、どれだけ、大きな罪と背教になるか、楽山は知りません。つまり、根っからの、悪より悪質な、反キリストであり、偽善者であります。
 
たとえば、「書評・レビュー」カテゴリーで自分の記事がどんなに浮いてるかが分からなかったり(笑)。
レオ氏はこの辺りのことについてよく反省し、脚下照顧を実践してみてはどうかと思う。そうすればアテツケ記事はやめられないにしても、アテツケ記事を書いた後で、ほんわか記事を書いて柔和さアピールするのは傍から見てあまり格好良いことではないことに気付けるはずである。
 
楽山の基本姿勢は、あざ笑いだということが表れています。つまり、真剣味はゼロということです。そのような軽薄さで、宗教と真実に関わることの報いは、いずれ、楽山が負うべきものであります。とばっちりを食わないように、どうか、楽山には、誰も関わらないでください。
 
 
醜い自慢

醜い自慢
 
 
(2021年08月18日)
 
 
 
  忸怩(じくじ)
 
怒りは常に自らを嘖む
烈火のごとく
仮借ない呵責である
 
繰り返してみるがいい
あらゆる初(うぶ)と
あらゆる甘さを廃された
否定しようのない道は
そこで完結し
進めぬ先を更に塞ぐ
 
それゆえ泣いても笑っても
人の顔は美しく
自らは常に醜い
怒りは嘖む
滑稽なほどに
火は常に焼かれている
 
(2000年代か)
嘖む(さいなむ、苛む)呵責(かしゃく)
 
(ネットより)
じく‐じ〔ヂクヂ〕【×忸×怩】 の解説
[名](スル)深く恥じ入ること。
「吾人、実に―するに堪えざるなり」〈東海散士・佳人之奇遇〉
[ト・タル][文][形動タリ]深く恥じ入るさま。
 「忸怩として非礼を謝す」「内心忸怩たる思い」
 
(人間にあって楽山には無いものです)
 
 
 
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(古い記事もインポート済み)
 
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