話をするが聞かないシャローム
 
   日本人の会話のスタイル
    2018/8/29(水) 午前 9:00
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28697286.html
    by shalom (以後、シャローム、彼、あなた)
 
 
>この記事は中根千枝著「タテ社会の人間関係」(単一社会の理論)
>〈7.人間と人間の関係〉より引用。
>講談社現代新書1967年発行。900円(税別)
 

著者紹介 (ウィキペディアより)
中根 千枝(なかね ちえ、1926年(大正15年)11月30日 - )は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった[注 1]。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。

 
シャローム氏は、自分が引用した文献が、シャローム氏自身を斬っていることに全く気付かないようです。文献の著者が東大名誉教授であることを紹介したのは何故でしょう。なんだか、偉い先生だから批判をするなとでも言いたいのでしょうか。だとしたら、ひどい勘違いです。誰であろうと変なことを言えば批判対象になりますが、そんなことではなく、私が批判しているのは、文献の著者ではなく、他者の著作を自己正当化に悪用するシャローム氏に他ならないのです。
 
というわけで、
今回は引用文献のほうには学ぶべきところが多くありました。
シャロームのコメントは、相変わらず、見るべきところがありません。
 
(以下、引用文献より)
 

私たちが自分の意見を発表するとき、対人関係、特に相手に与える感情的影響を
考慮に入れないで発言することは、なかなかむずかしい。
(これを忖度というんですね)

 
シャローム氏は、忖度どころではなく、賛同意見や世辞だけを喜び、それで交流したことにしてきました。その陰で、批判や疑問は、ことごとく削除して、なかったことにしてしまう隠蔽魔なのです。彼には聞く態度がありません。
 

日本社会におけるほど、極端に論理が無視され、
感情が横行している日常生活はないように思われる。

 
問題が多ければコメントが多くなるのは当然なのですが、シャローム氏は、私のことを、コメントをたくさん書くから荒らしだと決めつけました。
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18423721.html
彼は、世辞の快感だけを交流と呼んでいるようです。
彼は、以前、異教の仏教哲学者ともやり取りをしていましたが、全く噛み合っていない単方向同士の遣り取りだったから、常識的には疲れるだけだっただろうと思います。それも今は削除されています。シャローム氏は、はっきり言って、常識程度の理路や道理も分からない人です。
 

その証拠に、日本人の会話には、スタイルとして、弁証的発展がない。
「ほめる書評」と「けなす書評」しかないように、「ごもっともで」というお説頂戴式の、
一方交通のものか、反対のための反対式の、平行線をたどり、
ぐるぐるまわりして、結局はじめと同じところにいるという、
いずれかの場合が圧倒的に多い。
(論理的な批判能力が未熟で貧しいといえるようです。)

 
シャローム氏は、褒めるコメントか挨拶コメントでないと不快になり、結局、削除してしまいます。「ごもっとも」コメントだけを求めていたと言ってよいでしょう。
 

まず一方交通の場合は、「話をする」とか、「話を聞く」という、話し手と聞き手にかたよっており、「会話を楽しむ」という、ゲーム的な対話というのは実に少ない。

 
だから、シャローム氏は、遣り取りにおいて、聞く態度が全くないので、社交でないなら早く去ることを望み、慇懃無礼を返すか憎まれ口を返すかになり、いらいらすることはあっても、何か意義のあることにはなりませんし楽しくもありません。
 
慇懃無礼の丁寧語でごまかしますが、いつも上から、いつも決めつけ、いつもまともに返せず、その不感不応を、神の平安と呼ぶのです。そして、神に任せると言いながら、自分でせっせとコメントを削除してきたのです。
 

聞き手は、その「ワキ役」を演ずるのが普通で、対話者として、同列にたつことがむずかしい。
そして、ここにも例外なく登場するのは「タテ」の関係であり、
話し手の役は普通上位の者(あるいは一座の人気者)が独占する。

 
シャローム氏は、今はコメント欄も廃止していますから言い放って終わりの噴霧器の世界に住んで、無価値な迷惑をまき散らしています。
 
かつては、自分絶対の「タテ」の関係しか認めず、批判や疑問に対しては、病人と言ったり、サイコパスのように見なしたり、カルト扱いしたり、感情的にというか怨念ベースでしかなくなり、極めて意地の悪い返答しかしてこなかったのです。彼は、根腐れだと、私は思っています。
 
(引用文献終わり)
 
 
>《shalomのコメント》
 
>世界中で極東の島国日本ほど自然豊かで、
>異文化による脅威の少ない歴史の国は少ないと思われます。
 
いつの時代のことを言っているのでしょう。今の時代は、偏向した政治思想や外圧や自然環境に対する脅威など、様々な脅威にさらされているのですが、シャローム氏は、自分だけが神からの啓示を語っているつもりなので、彼は以前、共感不要と発言しましたが、そのように、広く他者と共感する気などないようです。
 
>狭い島国で同一言語、文化で生きていくには社会的な序列による秩序、
>言葉より情緒による忖度的交流が必要だったのかもしれません。
 
そういう交流が必要だったのでしょうか。書き方、間違えてますね。引用文献は、そういう「タテ」関係の交流が支配的になってきていることを批判しているのです。
 
シャローム氏のような人が、日本人の特徴であったなら、日本のリーダーであったなら、忖度どころではなく、独裁国家にあえぐことになったでしょう。彼は、日本とその歴史をボロクソに言ってきましたが、彼自身は、賛同者は味方、批判者は敵、と見なすような、単純で幼稚な短絡思考です。
 
だから、荒らしを荒らしと見抜けず、味方になってくれれば荒らしと仲良くすることも平気なのです。そうして、都合の悪いコメントは真面目なコメントでも平気で削除して、大事にするのは、結局、自分だけ、という卑怯者です。
 
>中根千枝著「タテ社会の人間関係」(単一社会の理論)が1967年に書かれて50年。
>世界はすっかり変わってしまいました。
>日本も明治維新150年、敗戦後73年、うわべは大きく変わったようです。
>しかし、日本人の心はそれほど大きく変わってはいないようです。
 
このように、日本人の心、という大きなテーマでも、神の啓示に思い上がったシャローム氏は、ひとまとめにして気安くボロクソ節につなげてきました。自分がその中の一人であることを全く自覚できないからです。自分信仰の悲惨な末路が進行中です。
 
シャローム氏は、不感不応、無反省、自己満悦、自己中心、独善、ドグマ、無罪妄想信仰の人であり、そして、深い思慮も情感も持たないサイコパス的自分信仰者で、反キリストの、現代のパリサイ人です。そう判断するしかないような約6年間そして現在という経過なのです。
 
シャローム氏は、どんな文献も、自分に都合がよいように解釈して、自己正当化に使おうとするが、自己中心の受け取り方では、ただ引用し肯定して、自分を客観的に見ることが出来ないために、自分が斬られていることにも気づかないまま、自分は正しいと思い込んでいる訂正不能の態度で、いくら語っても成果が何一つ残らない、という無残な経過と結果を積んでゆくだけになります。
 
彼の文章からは、語尾にエッヘッヘ、という笑いが聞こえてきそうだ、というのが、約6年間、彼を見てきた私の幻聴ではなく印象です。一度も非を認めず、反省することもなく、何度も何度も、丁寧に丁寧に、焦点をずらして自分を高めようとする姑息な筆致が、今まで、延々と続いているのです。
 
シャローム氏の丁寧語に騙されないでください。彼は、その丁寧語と聖書語だけを身につけて処世してきた偽善者であり宗教ペテン師であり、恐らく誰にも認められたことのない権威主義者であり、自分の言動に責任を負わず、罪悪感を感じない男です。ゆえにキリスト者でも言論者でもありません。もう彼については、私が受けたストレスだけで十分であり、誰も、彼から影響を受けないように、切に願ってやみません。
 
 
(2018年08月31日)
 
慇懃無礼(いんぎんぶれい)
 
 
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