比喩
 
 
私は以前
詩のようなものを無遠慮に書いていた時期があって
Hpに書き、このブログにもいくつか残っていますが、
そういう邪悪な表現を楽しみながら
発散もしていました。
 
優れた表現、小説、詩、評論などにおいては
多く、悪と悪魔のイメージがついてきます。
悪を描かないと真実は語れない
ということかもしれません。
 
私に真実を語ることが出来ているということではなく
私のような下手くそでも
善の言葉だけでは善は表せない
ということくらいは知っているということです。
前にも書いたことですが、
良いことばかり言っても、良くはならず、
悪を描いて肝に銘じるほうが
善の追求には資するところがあると思っています。
 
キリストが、おんぶしてくれたから
足跡が二人分ではなく一人分しかない
という、foot print と呼ばれる話を
偽善者も好んで使っているようです。
 
この話は、信仰についての、とても良い話なのです。
ただ、この話には、悪が登場しないのです。
信仰者が頷きやすい良い話は
偽善者にとっても都合の良い話なのでしょう。
 
ちなみに、前から批判対象としている偽善者は、
この話を記事に載せましたが、今は削除しているようです。
偽善者は、都合が悪くなると隠蔽するのです。
 
話を戻しますが、
丁寧語で話してくる偽善者について
それは、これこれだから、成り立たない
という、諭すような丁寧な言い方や
理路の説明が、いかに無益であったかを経験しています。
 
そういう場合、考えるのですが、
相手を、正誤の誤、善悪の悪、
つまり邪悪であると思って嫌悪しているのだから
理路の説明ばかりにこだわっていては、
こちらの疲労度に対応した結果は生まれない・・
 
辛辣な比喩のほうが読む人には強い印象として残るだろう
ということで、文章を排泄物、さらには、
相手を指して、下等な動物や、汚い物質に譬える
ということを遠慮していません。
本人が無反応ならば、
読む人が近づくことのないように
広く警鐘を鳴らすべきだと判断しています。
 
例えば
暗いところで、ゴソゴソと動き回る、ゴキブリ、ドブネズミ、
汚い、よだれ、尿便失禁、赤さび、青カビ、酸味、腐敗、臭気、
などが、・・むしろ、相手に向ける表現?としては、当てはまる・・
そのような人だよ・・と、私が言ったということのほうを
根拠とともに、表さないではいられない私の罪業のようです。
 
ということは
多分に私のストレス解消があります。
理路を語っても無駄という繰り返しに
辛辣な比喩を書くと、少しすっきりするような、
あたかも、言い得たかのような、
・・この辺は、私の未熟なところ・・
 
まことに、優等生的な言説は心に残りません。
記事もコメントも、言説が、
偽善者がまるで証であるかのように使うところの
聖句と月並み讃美言葉で満たされているかぎりは。
 
前にも書いたと思いますが、
カルトは
一つの言葉=一つの意味
さらに自分の発した言葉なのに
=神聖、ゆえに、=無謬
ということに拘泥して
そこからしか物の言えない人たちです。
人の言葉の未完成のゆらぎ、などを理解できないところも
すでにキリスト信仰とは、かけ離れているわけです。
 
つまり
良さそうな言葉=絶対的に良い言葉
悪そうな言葉=絶対的に悪い言葉
という考え方しかないので
同じ言葉を言えば気が済むし
否定の言葉に対しては、
自虐、逆説、などと言う説明も受け付けず、
さらなる理解の余地もなく決めつけてきます。
だから殆ど子供の喧嘩になります。例えば、
「絶対違うんだからね!」・・みたいな・・
上に無遠慮、邪悪、と書いたから
だから真理ではない!というような書き方・・
言葉の曖昧も自覚せず言葉の深淵も知らない
ということを、さらに知らない人たちなのです。
因果は、傲慢以外の何ものでもありません。
 
カルトのゲストブックに
「おい!戸田!毎日来てるんだろ。
  何かコメントして帰りなさい。
  扉は開けてる。
 2018/11/23(金) 午前 11:39 Yhoshuah 」
https://blogs.yahoo.co.jp/tenzinkuoshi/GUEST/64580769.html
と書いてありました。
 
信仰について宗教について書いたら、
私の母や職業や病気のこと、
ブログにそっと書いておいたことを、どど~んとばらして、
精神病、ダメ人間、などと罵り決めつけてくるところに
扉が開けてると言われても、誰が書き込むでしょう。議論以前の問題です。
 
ちなみに、このカルトは、他のサイトには書き込まず、
自分のブログだけで、記事を書き、罵り合いを続けています。
よそに書き込んで散々な目に遭った経験でもあるのでしょうか。
ホームだけで、最近、このカルトは、
荒らしクラスの人と親しく罵詈雑言を言い合っているようです。
 
同じ問いを何度も繰り返したり
攻撃として罵詈雑言を書き続ける人は
荒らしと呼ばれます。
意地悪な言い方は、元々の性格でしょうけれど、
さらに、どこでもまともに相手されることがなかったのでしょうか、
これからもないでしょうけど、
経験から、攻撃性が増強され、さらに知恵を付けているのです。
 
荒らしは、一種のマニアであり、技術を持っており、
複数のHNを使って違う人格になりすましていることも多いでしょう。
キャラ設定して言い方も変えているかもしれません。
私のブログに最初に来た荒らしは、
私のHN?!で、私にコメントしてきたのです。
 
悲しいことに、なりすましを証明することは
私の知る限りネットでは出来ません。
 
ゆえに、しかし、というか、ネットでは、
荒らしでないということも証明できないのです。
だから乱暴にコメント攻撃を多数書きまくる人は、
なりすましの疑惑とともに、
ネットにいる限り、一生、
荒らしと呼ばれ続ける宿命であります。
 
二人で議論しているから別人だということも
2つのPCがあれば出来ることです。
マニアくらいになって荒らしておれば、
そういう記事を証拠みたいに用意しておくことも出来るでしょう。
 
「比喩」というタイトルでしたが、脱線したようです。
邪悪な偽善者が、嘘を吐き、自説をキリスト教と偽るなら、
出来る人から、する気のある人から、批判を始めて、
多くの読者、特に、信仰者と求道者に、
警鐘を鳴らしてゆく必要があります。
 
私は、生きているあいだ批判を続けると言いますが、
その時間が、リアルに、健康状態や、ボケ具合などあって、
だんだん短くなるのを、最近は実感しています。
若い人は、カルト、荒らし、偽善者に、十分注意してください。
 
 
(2018年11月29日アップ、同日一部修正)
 
喩え(たとえ、譬え)
証(あかし)
罵詈雑言(ばりぞうごん)
拘泥(こうでい)=こだわること。拘る(こだわる)
 
 
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