聖書に向かうとき
 
 
聖書から
神の救いの仕組みや奇跡ばかり受け取っていると
人が何もしなくても
救いは超常から一方的に与えられると
勘違いする方向に向かう可能性があります。
 
確かに聖書には
人知を超えた神の業(わざ)が
いっぱい書いてあります。
 
奇跡ばかりに注目して
人知を超えた神の業に目を奪われがちなのです。
しかし私たち人間は
人知を超えたところを扱うことは出来ません。
 
よく読めば
神は超常など分からない人間のために
キリストの人間に対する共感であるとか
キリストと人間の交流であるとか
キリストに出会った人々に見られる特徴などに
救われるには
どういう人間であればよいか
ということを示しています。
そこを見逃さないようにしてほしいと思います。
 
そこを、すこ~んと見逃した偽善者は
赦され救われるということだけを受け取って
罪は赦されるから気にしないでいいと
悔い改めという信仰の芯を捨てて
罪悪感を感じない人になり
そしてそのことが招く一切の不祥事について
一生涯、反省しない人になっています。
 
このような偽信仰による人格破壊は
自覚も病識も伴わずに進行します。
 
誰もが否定はしないが
心に残る何ものもないような
言葉だけの讃美と感謝を人前で滑らせて
笑いを浮かべ
その偽善性を指摘されると
平気で嘘を吐き
相手を侮辱するようになります。
そして自覚も反省も一切しない人になります。
 
感謝も讃美も
本来、神に向かって唱えるべきことなのに
偽善者は、なぜか人のいるところで、
ブログの記事で、コメントで、
感謝と讃美の言葉だけを大仰に披露してきます。
 
白々しい言葉だけ過剰な讃美の唱え方は
自分を高めて
偉く見せたい偽善者やカルトがすることです。
 
そのあまりの、わざとらしさに、
また、受け取る内実の欠けている空疎さに
また、言行の不一致という実態に
顔をしかめ目を逸らしたくなり、
さらには吐き気を催すようになるのが正常です。
 
直接、相対して
間違いを指摘するのが難しくても
正常であるネガティブな反応を
多くの人が身につければ
白々しい讃美や感謝を武器とすることは
偽善者も出来なくなるでしょう。
 
人間の一生の中で
本気で感謝したいときというのは
いつも崖っぷちで生きている境遇の人を除けば
そんなに多くはありません。
 
聖書に書いてあるから
感謝しなければ、讃美しなければ、と思うのは、
一種の強迫神経症に似てくるということは
実際に私も経験しているのです。
 
感謝と讃美を唱えないと罰が当たりそうで
唱えると義務を果たしたような気持になるときは要注意です。
信仰者の義務は、そこにはありません。
 
どうしても溢れてくる感謝以外
神に対しては不必要ですし
むしろ御心をけがすものだと思います。
 
感謝と讃美をことさら強調するのは
言葉が全てで
言葉だけで信仰を完成させたつもりのカルトの所業です。
信仰?をひけらかして
信仰?が厚いと見せびらかしたい偽善者の所業なのです。
 
神の前に正直に生きてください。
神の前に、いかなる身構えも無意味です。
ただ正直だけが人間からの有効な神への音信です。
 
そこで信仰と偽善が分かれるからです。
救いと報いが分かれるからです。
 
神の前に正直に生きることが恵みなのです。
そうするべき、というより、そうあってよい
という恵みなのです。
このことによって地上の多くの荷が下せるでしょう。
 
神は在って在るものですから、
しょっちゅう感謝される必要もなく
讃美される必要もないのです。
 
聖書を読んで、
神の前に不正直であった者が
救われたことはないということを
学んで覚えてください。
 
聖書を読んで、
神の前に正直でありえた者だけが
救われていることを学んで覚えてください。
 
その分かれ目において
もはや洗礼の有無さえ吹き飛んでしまうのです。
 
正直とは
正確に事実を言うことではありません。
故意に捻じ曲げたり隠したりしないことです。
 
故意に捻じ曲げるのはカルトであり
故意に隠すのは偽善者です。
 
信仰の土台は儀式ではありません。
信仰の土台は人の言葉ではありません。
信仰の土台は神の憐れみであり
そしてキリストの愛に答えるキリストへの愛の双方向であります。
 
そこに、故意の偽りがあっては、信仰は成り立たないのです。
 
どうかキリストを儀式の主役にしないでください。
キリストを言葉の駆け引きにしないでください。
さらにキリストの臨在に拘泥しないでください。
 
キリストは
人間が何をどう考えようと
助けと癒しと赦しと救いと導きの必要な人間の正直な告白を待って
いつも身近におられるからです。
 
 
(2018年11月30日アップ)
 
披露(ひろう)
捻じ曲げる(ねじまげる)
 
 
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