主イエス
今もそうだが
昔も地上には争いがあり
土地を得ようと
人と人は奪い合い殺し合い
群と群、国と国には、戦争が絶えなかった。
そういう人間の有り様に
うんざりした人々のうち
思慮深い人たちがいて
生きているこの世界に
何の秩序も平和もないなんて考えられない。
そして
今は隠れているが
きっとこの殺伐とした時間と空間の背後には
麗しい世界があって
この人間の世界を造ったであろう御方がおられ
その御方は全知全能で
いつの日か絶対の秩序をもって
この地上をも支配してくださるに違いない
という思想を表した。
その御方を神と呼んだ。
人々はその神に
希望を抱くようになった。
もはや
そこにしか希望が無かったからだ。
神は今は目に見えず
その働きも分かりやすく顕れてはいないが
どんなに過酷な生き方をしていても
神という支配のもとにある
と思うことが慰めと励ましになると唱え始めた。
そしてそれは救い主の預言となった。
イエスという名の
救い主すなわちキリストと呼ばれる御方は
奇跡を抜きにしても
人格に対する優れた洞察力があり
人間が抱えている悲しみと苦しみに対して
溢れる共感を抱いておられ
憐れみのために
命を捧げることを厭わなかった。
古代には直接、神またはキリストに会った人々がいるが、
今のキリスト者は聖書を読むことでキリストを知るのである。
聖書を読んで
世界と自分の救い主だなんて
と思うけれど
いつしかその御方を忘れることが出来なくなり
聖書で知っただけなのに
孤独を癒やしてくれたり
一生そして永遠に同伴してくださる
というその御方に惹きつけられている人間は
その御方の愛に絆されている。
これは縁であり愛なのだ。
年月を経ても変わらない思いによって告白する。
わが主は
聖書に記されたところの
イエスという名の救い主すなわちキリストである。
キリストが愛してくださり
慰めを得ているのだから
この御方なしで生きることは出来ず
キリストを愛すると告白する。
この罪人をおゆるしください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
(2018年12月25日アップ)
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