詭弁に詭弁?
 
   天国のかぎ
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28859818.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームは、問われて、悔い改めは必要だと言いながら、悔い改めは神が与えるもの、と言って、自分が悔い改めないことを詭弁で逃れようとしました。今回、そのことを強め、さらに詭弁を加えて、いかに愚かであるかを露呈しています。シャロームは、体質でしょうか、キリスト者ではないことを自ら証明する結果になる方向を選んだようです。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
16:15
そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
  (マタイ16:15-17、新約聖書)
 

イエスは「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と
信仰告白したペテロに向かって、
「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。
あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である」と言われました。

 
誰が「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と言いましたか。ペテロです。
 

ほかの多くの人たちはイエスに対して自分の思いや考えで
いろいろイエスについて言ったのですが、
ペテロのイエスに対する信仰告白はペテロ自身の思いや考えからではなく、
天の父なる神から与えられたのですとイエスさまは言われたのです。

 
誰が「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と言いましたか。ペテロです。
 
これだけでもいいのですが、念のために、ペテロに、神の導きがあることは誰も否定しないでしょう。ペテロだけでなく、私たちにも、神の導きはあるのです。
 
このことを拡大解釈して、神から与えられたと言って、シャロームは、悔い改めも神から与えられるから自分でする必要はないと、実際は、シャロームが悔い改めないことの言い訳にしたいのです。
 
>信仰告白はペテロ自身の思いや考えからではなく
 
信仰告白は、誰がしたのでしょう。ペテロです。シャロームは、ペテロが、このとき正気ではないようなことを言っています。信仰者は、神に操られた夢遊病みたいな状態で、思うことなく考えることなく、信仰を表すのでしょうか。シャロームは、露骨に人間性が信仰に向かう摂理に逆らって、信仰は人間離れだと言っているのです。シャロームこそ、正気でしょうか。
 
シャロームには、神の導きが無いのでしょうか。
 
キリスト者は、皆、神の導きによって、悔い改めているのですが。すなわち、シャローム以外のキリスト者は、皆、神の導きによって、言い換えれば、神に与えられて、悔い改めているのですが。
 
シャロームが、神の導きを、人の正常な意識に対してではなく、魔法で操ることのように見なしていることが明らかになっています。
 
信仰告白は、私たち人間の、思いや考えや気持ちといったものから離れることはありません。そして、私たちの本心そして真心からするのでなければ信仰告白にはなりません。
 
シャロームは、何を言っているのでしょう。信仰の世界を魔界だとでも思っているのでしょうか。
 
>神から与えられたのですとイエスさまは言われたのです
 
イエスがキリストであることを表したのは神であると、主イエスは言ったのです。つまり神の導きのことを言ったのです。それを、シャロームは、神から与えられた、という、シャローム自身の詭弁に当てはめて、彼自身の妄想に救い主イエス・キリストを合わせようとしています。シャロームは、どこまで神聖を冒涜したら気が済むのでしょう。
 

さらにペテロに向かって、
イエスさまは「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。
そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、
あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」と謎のような言葉を語られました。
信仰告白したペテロに授けると言われた「天国のかぎ」は
この世で、この地上で信仰によって生きる時、天国の扉を開けたり、閉じたりする鍵です。
その鍵は人からではなく、イエスさまから与えられるというのです。
その鍵を私たちに与えるために、イエスさまは十字架にご自分の命をささげ、
私たちの罪を贖い、罪の赦しを与え、神の子としてくださったのです。

 
シャロームは、地上で、天国の扉を開けたり閉じたりする鍵がキリストから与えられると言っています。それが、十字架の贖いだと言っています。
 
地上で、天国の鍵を開閉して、天国に入ったり出たりすることは出来ません。鍵は、具体的なものではなく、手掛かり、ヒント、と言った比喩と、神が導くという約束を表していると受け取るべきでしょう。
 
シャロームは、聖書の言葉を、魔法のようにしか受け取れないことを明らかにして、ますます、キリスト者ではないことを証明するに至っています。
 
このようなシャロームを決して信頼してはいけないことが分かると思います。我欲の言い逃れに聖句まで悪用する者です。
 

さらに、イエスさまを信じる私たち自身もイエスさまとともに十字架につけられ、
死んでいることを信仰によって受け容れる時、
イエスさまを死人のなかからよみがえらせた聖霊の働きによって
新しいイエスさまのよみがえりの命に生かされる天国の扉が開かれる約束なのです。

 
ここで、シャロームは、聖霊によって天国の扉が開かれると言っています。上で、ペテロが扉の鍵を与えられたと書いたばかりなのですが。
 

天の父からイエスさまが与えられる鍵によって開かれる天国の扉は
信仰告白しても、なお生まれながらの古き人という
肉の働きによって生きる時、閉ざされてしまうのです。

 
今度は、キリストが鍵を与えられると言っています。そして、肉の働きによって閉ざされると言っています。まるで、シャロームが、神聖の仕組みを作ったかのような言い方をしています。
 
私たちは、聖書を読むことで、体験から、感動をもって、天国を垣間見るような癒しの体験をすることがありますが、具体的に天国の扉を開くことは、地上ではできません。
 
具体的な事物と、比喩的な働きの区別、そして、一部と全部の区別さえできないシャロームです。この人が、このような口から出まかせで、人々に説教していたのですから、たまったものではありません。
 

イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。
だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
 (新約・ヨハネによる福音書3章5~6節)

 
シャロームは、肉から生まれた肉です。
 
シャロームは、水と霊を知りません。水と霊を恐れることも知りません。
 
神聖について、信仰について、詭弁という嘘を吐く者が、キリスト者と牧師のふりをして、とんでもない説教をブログに書いている、ということだけが明らかになっています。
 
シャローム shalom を、決してキリスト者、クリスチャンとは思わないでください。
シャロームは、信仰者を惑わし、信仰の邪魔をする者、つまり言葉で攻撃する迫害者です。
 
 
(2019年01月14日、同日一部修正)
 
ここのところ、コメントでも、記事でも、断末魔のように、シャロームの攻撃が酷くなっています。他のサイトも訪問するかもしれません。言っていることは、詭弁でしかありませんが、見かけだけ、讃美言葉によって丁寧に熱心に見せかけてくるので、特に、心に何らかの弱みを持つ人は注意してください。シャローム shalom からのコメントは、削除していいと思います。
 
 
 
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