誇大妄想気分
 
   楽山ゲストブック
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/GUEST/41469556.html
 
 
シャロームの異常を、楽山は加速させてきました。今回も。
 
シャロームは、正義の味方気取りで、自らを省みもせず、
今回も、日本をボロクソに言っています。
 
(シャローム)
こんにちは
私は40年来の花粉症との付き合いですが、
 山に囲まれたところから海辺の町に来て、花粉症はだいぶん軽減されたのですが、今年は花粉の飛散量が多いのか、いやに花粉症がひどいようです。
 寒気になかにも明るい陽ざしに春近しといううれしい時候のはずですが、咳とハナミズと目の不快感で頭も重く感じて本が読みづらいシーズンとなりました。
 「日本教について」届きました。七平さんの本が5冊手元にそろいましたが、「日本教の社会学」一章を読みかけたままとなっています。
 日本人は日本は戦後民主主義になったと思っていますが、ただアメリカの経済力と軍事力の支配のもと、経済復興のみに心を奪われ、日本人の心の民主化が置き去りにされ、アメリカの占領状態からいまだ脱却しようともせず、いまだに民主主義については全く知られていないというのは本当だと思います。
2019/2/24(日) 午後 3:50 [ shalom ]
 
ここから引用してみます。
 

日本人は日本は戦後民主主義になったと思っていますが、ただアメリカの経済力と軍事力の支配のもと、経済復興のみに心を奪われ、日本人の心の民主化が置き去りにされ、アメリカの占領状態からいまだ脱却しようともせず、いまだに民主主義については全く知られていないというのは本当だと思います。

 
日本へのボロクソ節ですが・・
 
>アメリカの経済力と軍事力の支配のもと、
 
アメリカを意識してはいたでしょうが、
アメリカの支配のもとだったでしょうか。
どういう意味で、支配、という重大な言葉を使っているのでしょう。
 
>経済復興のみに心を奪われ、
 
経済復興のみ、だったでしょうか。
他は何もしない日本だったのでしょうか。
多くの人の様々な努力を無視してはいないでしょうか。
 
>日本人の心の民主化が置き去りにされ、
 
心の民主化と言っています。置き去りにされたと言っています。
民主主義というのは政治の形態ではないのでしょうか。
「心の」を付ければ、民主主義が心の話になるのでしょうか。
しかも、問題は多いとはいえ、置き去りにされたのでしょうか。
今、運動している人々の努力を無視してはいないでしょうか。
 
>アメリカの占領状態からいまだ脱却しようともせず、
 
アメリカとの関係では難しい局面や難題が多々ありますが、
占領状態から脱却しようともせず、と、
脱却という言葉を使えば、言い得たことになるのでしょうか。
乱暴な断定のボロクソ節を機関銃のように連射しています。
 
>いまだに民主主義については全く知られていないというのは本当だと思います。
 
自分は分かっているという高揚した妄想気分が、
他者をボロクソに言って、お前はどうなんだと
返されそうな痴態をわざわざ表しています。
 
黄葉気分でボロクソになっているシャロームと判断します。
 
(シャローム)
それは単に知的な理解ができていないということではなく、
民主主義と何ぞやという基本的理解がされないまま、拠って立つべき契約意識、法という背骨がなく、従来の空気の流れに支配される多数決があたかも民主主義であるという誤解が今日の日本的民主主義を機能不全にしているように思われますが、
どうでしょうか。
「言霊のくだりは興味深い。話をしただけで、けがれがうつったとみなされて排斥されるとか、言霊を信じるとジョークが言えないとか、事実を事実として指摘できなくなるとか。論争になると罵詈讒謗だらけになるとか。この辺りは、「ある、ある」と頷きながら読んでしまいましたよ。」
これから読みますが、指摘されているようなことが
日本人の心の民主化を妨げている理由のような気がしますね。
これから読みます。
shalom!
2019/2/24(日) 午後 3:51 [ shalom ]
 
これだけ、思い上がる人も珍しいと思います。
 
>単に知的な理解ができていないということではなく、
 
ずっと知的な理解が出来ていないのは、
シャロームのほうです。しかも自覚がない。
 
>民主主義と何ぞやという基本的理解がされないまま、
 
言うに事欠いたからと言って、一行目とどう違うのでしょう。
 
>拠って立つべき契約意識、法という背骨がなく、
 
シャロームは、誰かと契約しているつもりなのでしょうか。
民主主義というのは、政治的視野で考えるべきではないのでしょうか。
国と国民の契約関係で理解するものなのでしょうか。契約書ありますか。
 
>従来の空気の流れに支配される多数決があたかも民主主義であるという誤解が
 
空気の流れなのでしょうか。これが、全か無の断定言い張りシャローム集です。
 
>今日の日本的民主主義を機能不全にしているように思われますが
 
民主主義の機能不全に対して、シャロームは何が出来るのでしょう。
言葉も選ばず、否定の言葉を並べて、ボロクソに言う以外に、
シャロームは、何が言えたのでしょう。
シャロームは、何も出来ないのです。何もしていないのです。
けなせばいいと思っているだけなのです。
義憤という言葉がありますが、
これは、シャロームの、欺糞、あざむきのクソです。(造語です)
 
 
(楽山)
こんばんは。
自分も花粉症のようで、春先、初夏あたりがもっともつらい時期です。特に春先の朝の連続くしゃみは、家族からもうるさいと顰蹙を買ってるので、今年はこれを試してみるつもりではあります。↓
・耳鼻咽喉科専門医に聞く。朝起きたときのくしゃみや鼻水が止まらない「モーニングアタック」とは!?
http://news.livedoor.com/article/detail/9784551/
読書の方は、あまり無理せず、体調と相談しつつ、ゆるゆる進めればよいかと思います。
2019/2/24(日) 午後 9:23 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
ゆるゆると、遠回しに、他者の言葉を借りて、人を侮辱してきた楽山です。
読んでも、理解できないだけでなく、自己中心に、自分の都合で、
聖書を、読んでもいないのに、
逆に解釈していた情けない事実が、私の記事になっています。
 
 
(楽山)
政治の話については、私にとっても耳の痛い話です。民主主義とは何かと問われれば、すらすらとは答えられず、契約書はさほど身を入れて読まなかったり、質問、交渉もあまりしない、空気に流される、権利主張しないで我慢することも多いですからね。
 
>政治の話については、私にとっても耳の痛い話です。
 
こうして自分のことを言って、柔和に対処しているつもりの保身です。
 

民主主義とは何かと問われれば、すらすらとは答えられず、契約書はさほど身を入れて読まなかったり、質問、交渉もあまりしない、空気に流される、権利主張しないで我慢することも多いですからね。

 
答えられず、読まない、しない、流される、主張しない、我慢、と
自身が謙譲することによって、傷つけなかった、傷つかなかったと、
楽山は、アドラー教に照らして、気が済むのでしょう。違います。
 
偽善者シャロームに関わって、否定せず、相手をすれば、偽善の保護者になります。
 
(楽山)
若い頃、イェーリングの『権利のための闘争』を読んで感銘を受けたときは、周囲の空気を無視して、権利主張したりもしたけど、最近はまた元に戻っちゃったという感じです。
この辺りは私も反省しないといけないところかもしれません。
2019/2/24(日) 午後 9:25 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
権利主張したり、戻っちゃった、反省、などと書いて、
楽山は、手をデスクか何かについて、寄りかかり傾いて、
反省したのでしょうか。いつぞやのテレビの、猿のように。
 
シャロームは、相手が低く出てくれば、さらに、さらに、舞い上がります。
それは、シャロームの、今までの、そして、今回、上のコメントにも表れています。
 
楽山は、自身を低くする様子を言葉にすることによって、
シャロームを高め、シャロームの誇大妄想を増長させ、
シャロームの偽善的自己中心の浮かれ気分を煽る結果になっています。
 
楽山は、自身が謙譲したのだから、気分よく納得するのでしょう。
これは、ひどい、偽善なのです。ぶん殴るより悪いことがある、という見本です。
 
妄想気分加速者の楽山です。
こういう人は、あとで言うのです。
「私は、精いっぱい、受け入れようとしただけです」と。
 
これは、自身が納得すればよい、という、自己中心の、
ひどい偽善なのです。
人間とキリスト信仰の立場から言えば、
シャロームによる人格への破壊行為を促進することであり、
シャロームの人格荒廃をも促進する行為です。
 
 
(2019年02月25日アップ)
 
 
 
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