まとまったもの?
 
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[ 楽山 (自由) ]
2019/2/25(月) 午後 7:40
>それにしても、stさんはまだ続けるつもりなんですね。
>それじゃあ、こちらも一度くらいは、まとまったものを書いておこうかな。
 
この状況で、「まだ続けるつもり」の「まだ」の前には、
≪おかしいのは向こうなのに、馬鹿げたことを、あるいは、無駄なことを、≫
が隠れているような書き方です。
まるで、マフィアのボスが、復讐をするときみたいな台詞です。
語尾に、≪愚かなやつめ・・≫を、隠しているようなセリフです。
 
>一度くらいは、まとまったものを書いておこうかな
 
その上、次の台詞によって、楽山は、今まで、まとまったものを一度も書いて来なかったことを自ら認めています。私は、何度もコメントに精一杯のことを書いてきたのに、誠意ある返答をまとめたことはないということです。いつもそうなのでしょう。明らかな上から目線です。
 
放蕩息子の喩えに、十分、悔い改めの必要性は表れています。それで、分からないと言うならば、その人は、一生、キリストの話も教えも、理解しないでしょう。ゆえに、信仰の話を聞きたい心を持たない人、なのに、信仰の話の是非を云々するような、いい加減な楽山と、キリスト信仰の話をすることは、それ自体が無意味だということです。
 
批判を、まだ続ける、というより、ずっと続ける、死ぬまで続ける、という必然を作ったのは、他ならぬ楽山のほうなのです。シャロームという偽善者の自己中心のカルト思想である、罪を気にしない、悔い改めない、という破壊的な信念の味方をして、人間ならば分かる理路を受け取ろうとせず、キリスト信仰を知りもしないのに、本に書いてあるからぁ、目の前の証拠不十分だからぁ、という軽口の小理屈を付けて、賛同し、批判者を否定しました。
(「ぁ」は、軽口の形容です。)
 
正面を向いて反論せず弁明せず、遠くから、嫌がらせのような当てつけをしてくる、そして、こちらが批判すれば、今回のように、圧力を持つ恐怖の台詞で余裕を見せる、という、対等で真摯な議論や遣り取りをせず、邪魔と感じた嫌なことについては無視してよいというアドラー教の軟派カルトらしい。これから、もっと、それらしくなってゆくのでしょう。
 
嫌なことを無視して生きるということは、反省をせず、修正をしないということです。この結果は、自己を増幅してゆくだけということになります。いま間違っている自分を、省みることなく、無視してゆけば、自分の間違いや悪や罪の性質を訂正せずに、そのまま含めて増幅してゆくことになり、他者に対して傷つけることがあっても、それが不快でないならば、悪かったと反省することはなく、止めることはないということを意味しています。
 
つまり、自分が生きるための楽だけでなく、必然的に、自分が苦痛でなければ、他者にとっての苦痛をも与え続けることになるのです。だから、あらゆることについて、気持ちよく、軽口の苦言だけは、たたける習性になるのでしょう。
 
>気に入らない意見は、無視しましょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20024186.html
 
>他人の意見がどうも納得いかないのなら、その人と距離を取るしかありません。
>他人の課題に介入できないと割り切って、自分のことに集中しましょう。
https://twitter.com/adler_salon/status/1051230439216562177
 
無視することを、返答せずに距離を取ると言っています。
しかし、距離を取って、遠回しの当てつけだけはしてきたのです。
 
 
(2019年02月26日アップ)
 
 
 
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