カルトの話?
 
   ★カルト体験
   (カルトには二度と騙されないために、
   自分がカルトに引き付けられた原因を反省してみる)
 
   シャロームの転載記事
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28876255.html
   
   転載元
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41331103.html
 
 
シャロームが、意地になって書き続けているので、シャロームのインチキぶりが、無知と無恥ぶりが、どんどん表れています。
 
(シャローム)

 旧約・伝道の書
3:11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
(シャローム)
 私たちの心には確かに永遠を思う思いがあります。しかし、永遠なる神のその時にかなってなされる業を見極めることが出来ないのですが、やはり知りたいと思う心の願いが「神秘・超常現象などに興味を持ち過ぎていたことが一因になっていたのは確か」ではないでしょうか。それも人が神によって神のかたちにかたどって造られた存在であることを示していないでしょうか。

 
(私)
超常神秘への興味が神に造られた存在を示すと言っていますが、興味から信仰は生まれません。信仰も信仰の必要性も知らない者の発言です。
 
(シャローム)

遊園地や雑踏で親を見失った子どもがおろおろし泣き叫ぶ姿に出会ったことがあります。その時私が声をかけても、目はうつろであちこちさまよっていて、私の声があまり聞こえない様子が目に浮かびます。そんな子が親に出会うときの安堵した姿はやはり親でなければ与えることのできない安心、喜びでしょう。

 
(私)
人の親と子、という関係で、神と人の関係を語れるでしょうか。人の親と子は、元々親と子として馴染んできた経緯があるから、安心するのです。神と人の間に、信仰以前にそういう関係は自覚されていないはずです。親子に譬えれば、説明になるだろうというシャロームの安易さが表れています。元々の自覚が人の親子とは違うから、自由意志による信仰告白が必要なのです。
 
(シャローム)

私も50才の時、生まれ故郷である水俣病の発祥の地水俣の有機水銀を垂れ流した会社の社宅を訪ねました。もう社宅はありませんでしたが、もし、私が生後10カ月ほどで水俣を離れていなければ、きっと水俣病にかかっていたかもと思われます。水俣の海で捕れた魚をトロ箱で買って食べ、生活していたと母親に聞いたことがあります。また、母親は時々、私はコモに包まれて水俣の海岸に流されてきたのだと言っていました。冗談で言ったのでしょうが、繰り返して聞くうちに何となく、本当に自分は両親の子どもだろうかという不安を抱いていたのではないかと思います。
 戦後の生活難の時代生活力は旺盛でしたが、物凄くきびしい母親でしたから。
ですからわざわざ市役所の市民課に行って親が出した出生届けを見せてもらったのかなと思い返されます。確かに見覚えのある父親の筆跡で書かれた出生届けを見て、ほっとしたことを今も覚えています。市役所の人が怪訝な顔をしながらも、私が生後はじめて水俣を訪ねたことを話すと、古い出生届けの束を探し出してくれたことがうれしかったですね。

  
(私)
信仰と何の関係があるのでしょう。親子と、公害と、御伽話と、昔語りの身の上話なら、好印象で、受け取られると思うのでしょうか。シャロームは、信仰をそういうものと同等に考えているのでしょうか。カルトと真実の信仰という対比が必要な重要なテーマなのですが、もう一度言いますが、いったい何の関係があるのでしょう。
 
(シャローム)

自由さんが長年大川さんの本を読み、霊的人生観に惹かれたことも自由さんの心の深い思いからなされたことだと思いますが、私は人間らしい思いであり、願いであったと思います。

 
(私)
カルトの説教が人間らしいと言っています。カルトの説教の人間離れに気づくことこそ、カルトに陥らないために大事なことなのです。自分がカルト思想を持っているからでしょうか、シャロームは、人間らしさも、人間に可能な宗教も、分かっていないようです。いつも、的の外し方が驚き呆れるシャロームの見解なのです。まるでカルトに誘っているような発言。
 
(シャローム)

20年余りの歳月をむなしく過ごしてしまったという思いもあればこそ、○○は××のためだったと合理化したい気持ちも当然だと思います。すべてそういうことも含めて、そのようなプロセスも初めから終わりまで見極めることのできない神の御手のなかで導かれたのではないかと、私は私の体験からそう思うのですね。

 
(私)
シャロームは、神の御手の中で導かれたと言っていますが、その結果が、平気で嘘を吐き、悔い改めず、罪を認めず、深く感じることも考えることも出来なくなった今のシャロームなのです。
 
(シャローム)

そして私はそのよう自由さんとこうして出会い、良い交わりへと導かれ、今日があることを本当に喜び、感謝しています。
ありがとうございます!

 
(私)
ここまでの文章を読んだ後では、ますます、背筋が寒くなるほど、浅ましく白々しく、わざとらしく、芝居がかったシャロームの社交の世辞です。
 
(楽山を引用)

「これは個人的に自分はこう生きたい、ああはなりたくないというのはあるけれども、万人が従わなければならない生き方、価値観とかはあまり求めなくなってきたということ」

 
(私)
生き方や価値観を求めなくなったというのも、騙され過ぎて、めんどくさくなっているのか、自由を求めているなら、小さくない問題だとは思いますが、キリスト信仰は生き方や価値観という単純なものではありません。
(私)
キリスト信仰は、こう生きよ、とか、価値のあるものは?、とかいう問題ではなく、交わり、関わり、絆、縁、というような、言葉では表せない人間的で情緒的な本質を持つものです。
 
(シャローム)

 私の信仰の体質は無教会といえると思います。
 無教会という教会ということでしょうか。
 内村鑑三の本を好んでよく読んでいました。

 
(私)
シャロームの今までの言動で明らかになっていることとして、殆ど読解力もないことから、内村鑑三を読んだというのも疑わしく、シャロームは、無教会派でも別の教派でもなく、低劣で幼稚な妄想を、騙されやすい人を相手に、一見やさしい語り口の丁寧語と聖書語で、キリストと神の名をみだりに使って広めようとする偽善者です。
 
(シャローム)

また私は福音は人による宗教ではないという思いをもっています。宗教嫌いだということもできるかもです。

 
(私)
シャロームは、宗教嫌いではなく、宗教も信仰も、まるで分っていない人です。知らないから、何でもありで世辞を言いますが、人を救えるような何事も受け取ってはいません。
 
(シャローム)

イエスさまも教会主義者ではなかったと思っています。
ユダヤ教指導者の怒り、不信を招いた原因でもあります。
イエスは荒野や丘の上、湖の畔が教会でした。

 
(私)
イエスが教会主義ではなかったと言ったあとで、丘の上、湖の畔が教会と言っています。シャロームの言う教会は、建物として捉えているだけのようです。キリストの名によって人が集まれば、そこが教会なのです。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)18:20
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである
 
(シャローム)

私も教会にいた時よりも今が自由で好きですが、教会がキリストの生ける身体であることはむしろ今の方が実感しています。
 「万人が従わなければならない生き方、価値」ではなく、あくまでもイエスによって導かれた生ける神との関係において私がいかに生きるべきかということが切実な課題です。

 
(私)
教会を生けるキリストの体、という分かりにくい言葉を、聞いたことがあるから、言っているシャロームですが、いかに生きるべきかということが切実な課題であるなら、神の前に、正直に罪と偽善を認めて、正直に悔い改めているはずです。
(私)
それをしていないシャロームは、インチキです。
(私)
これ以上の証拠がいるでしょうか。どうか騙されないようにしてください。
 
(私)
神とキリストと聖霊は、聖書に書いてある神聖の名であります。
三位一体と言われています。
この聖三位を、人間の理路で証明することは出来ません。
このことを利用して、シャロームは、人の知性や論理や議論を馬鹿にしています。
しかしながら、
理路で理解することの出来ない聖三位であるなら、
その聖三位を、人間が、つまり、自説の根拠にすることも出来ないはずなのです。
(私)
シャロームが、犯している大きな罪と偽善は、まさに、聖三位という神秘を、神の啓示や聖霊の導きとして、問答無用の根拠にしていることに起因しています。
(私)
そのことが、シャロームにおいて、神、キリスト、聖霊、そして聖書を語る上でも、表れています。人間に分かる理路で人間を語ることの出来ないシャロームは、人間が神聖の理路を語ることは不可能なのだという自覚がないまま、問答無用に、神聖を讃えながら、自説を絶対化するという暴挙を続けているのです。
 
 
※ TVドラマ「クリミナルマインド」での格言
https://twilog.org/cminds_bot
 
人はみな仮面をかぶるが、長くかぶり続けると皮ごとはがさないと外れなくなってしまう。 
アンドレ・ベルティオーム(S6#4)
 
 
(2019年03月03日アップ)
 
御伽噺(おとぎばなし)
騙す(だます)≒騙る(かたる)
 
介護施設に入っている母が、感染症で入院することになったので、しばらく失礼するかもしれません。
何といっても、96歳なのです。認知症です。
 
シャロームにだけは、決して近づかないようにしてください。

約7年間見てきて、嘘吐きのカルトだと判断しています。
 
 

 
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]  
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]