この地上に
 
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
 
信仰者にとって
本当のふるさとは神の国
ということなら
それは信仰者として
真実でもあるのだが
 
一方で
逃避なのかもしれない
 
 
人というのは生涯
演技し続ける動物のようだ
恥ずかしくないように
少しでもきれいに見えるように
嫌われないように?
  
そういう演技は正当で
普通なのかもしれないが
過ぎれば
「世間体」大明神とか
「体裁」大権現とかの崇拝にもなりうる
 
自分というものをしっかり持って
という「しっかり」の基準は分かりにくい
自分を信じて
という「信じて」は
責任の自覚か
努力と実績に裏打ちされた自惚れ
つまり自信だろうか
 
 
世間体も体裁も
人間関係も幸福も捨てて
真理や真実を追究して
心を病んで
傍目には
自滅的な人生を歩んだ幾人かの
哲学者、数学者、文学者、詩人などの
名を思い起こすのだが
 
 
私のふるさとは
この地上にはありません
と言いたくなるとき
 
そういう質を持ってしまった者が
反社会的ではなくても
非社会的になって自閉して
ただ一度だけ
逃避が許される最後の時を
待っている人であるなら
 
幾人かの名と違って
自分は志よりも病が先なのか
いつまで社会人でありえたのか
と風景のように遠い人々を
 
遠い社会と世界を
ぼんやりとした意識の向こうに眺めている
 
 
思うところに
以上のように思うところに
ふるさとの不在を思うだけのところに
 
いちばん知っているつもりで
本当は、いちばん知らない自分は
むしろ、いて欲しくないのかもしれない
 
 
(2011年04月30日)
(2019年05月08日、修正)
 
ちょいとネガティヴで・・
 
 
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