祈り、でもでも
 
 
祈りたい気持ちがあって
祈ることがあるから
まだ信じているのだろう
実際には
毎日のように祈っているが
 
でも祈ったからといって
何か変わるのかどうか
変わるとして
それは目に見えるのかどうか
どちらも人には分からない
 
信仰は神に従うことなら
偽物でしかありえないのか
つまり人間の勝手だ
ほしいまま
分かったことにしている
 
分からないと言えないなら
もはや信仰ではない
 
でも祈りたくなるのは何故だろう
委ねたくなるのはなぜだろう
そうさせているのが信仰だ
神だ
でもそれも人には分からないことだ
神のなさることは分からない
 
いくつもの祈りの結果が
すべて益でしたなんて
あらかじめ感謝と讃美が前提として
鉄則になっている人の
正直を押し殺した多幸の強迫観念だ
 
弱いから何かに頼りたいだけかもしれない
 
でも祈るとき
鰯の頭を思い浮かべてはいないから
 
でも本当の神を思い浮かべることは出来ないから
何も整ってはいない
むしろ壊れている
 
信じていない
信仰はない
信仰のない自分
いつも
そこから始まっているようだ
いたたまれなくて
祈り
 
 
(2011年10月29日)
(2019年05月29日、修正)
 
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