楽山は嘘吐きの権化
 
 『自分のついた嘘を真実だと思い込む人』片田珠美著
 2021年09月05日 
 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 
(ネットより)
片田 珠美(かただ たまみ、1961年 )は、日本の精神科医。
 
最初に、このテーマは、楽山に当てはまることです。結局、自分が斬られている文章なのに、気づかないで、利用しようとしている楽山の悪意と、度重なる醜態を、批判として書いてみます。
 
なぜ、楽山は、批判に何も答えられないのに、平気で書いてくるのでしょう。人格に根差している自己正当の妄想があるからです。どんな不都合もオートマチックに、人のせいにするのです。こういう無反省・無責任は、自己愛性パーソナリティ障害NPDの症状です。
 
*きっかけ
タイトルから、とある新興宗教の教祖を連想したので試しに読んでみた。いろいろと参考になるところがあったので、その部分についてメモしておきたい。
*空想虚言癖
まず著者は、空想虚言癖の人は、つじつま合わせが巧みだとしている(下線は楽山による)。
 
楽山は、嘘と詭弁を弄する反キリストですが、辻褄合わせが巧みではありませんので、よく読めば、詭弁だらけです。楽山のデタラメの理路と嘘は、既に、バレているのです。
 
妄想を抱いている人は、現実世界の事実と自分の妄想が矛盾をきたしたときに、周囲を納得させることができないのに対して、空想虚言癖の人は、新たに虚言を弄し、容易に細部を改変して、周囲をうまく言いくるめることができる。要するに、嘘の上塗りが上手なのである。
(『自分のついた嘘を真実だと思い込む人』片田珠実著、朝日新聞出版、2015年、p.60)
 」
 
楽山に、そっくり、当てはまります。婉曲表現のボンヤリ言語と、お情けちょうだいのオチャラケ三文芝居で、嘘に嘘を重ねて満悦します。そして、矛盾に矛盾を重ねてゆき、自身の実質を、ますます失ってゆくのです。
 
また、このような人が「だまそうという意図なんかみじんもないようにふるまえる」理由についてはこう書いている。
嘘をついていながら、なぜそんなふうにふるまえるのかというと、自分の嘘を本当と思い込んでいるからだ。これは空想虚言癖の特徴で、自分の願望を投影した空想と現実を混同していて、何が本当で何が嘘なのか、自分でも区別がつかなくなっているからこそ、嘘八百をよどみなく話せるのである。
(同上、p.59)
 」
どうもこれは、いかにもカルト教祖にいそうなタイプだ。矛盾だらけのトンデモ話を、さも真実を訴えるかのように熱く語ったり、「これは永遠の真理だ」と断言していたことでも、その時の都合によってコロコロ変えたりなど…。
 
これも、楽山という教祖願望の強い偽善者に一致します。楽山は、よくもまあ、この引用記事を選んだものです。自己愛性人格障害の楽山は、間違いにも嘘にも気づかない人です。トンデモ話を、さも批判しているふうに語りますが、実際は、自己満悦だけの楽山がトンデモなのです。
 
*信じ続ける人
こちらでは、嘘を信じ続ける人の心理が説明されている。
嘘つきの周囲には、嘘をつき続けることを可能にし、ときには嘘に拍車をかけるイネイブラーが存在することが多い。一度イネイブラーになってしまうと、嘘の呪縛からなかなか抜け出せない。誰かを信じるということは、その人を信じている自分を信じることでもあるので、嘘の証拠を目の前に突きつけられても、なかなか受け入れられないからである。
(同上、p.41)
 」
 
(ネットより)
イネイブラー(enabler)とは、嗜癖その他の問題行動を陰で助長している身近な人のことをいいます。「世話焼き人」などと訳されることもあります。
たとえば、表向きには夫のアルコール問題で悩んでいるように見える妻が、じつはその問題がなければ自分の価値がなくなってしまうために、夫のアルコール依存を陰で助けている場合などに用いられます。
日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン
(URLが20行くらい、恐ろしく長い)
 
イネイブラーは、付き合いが、ズルズル続いて、他に行きようのない人のことでしょうか。私が、たびたび、近づかないように関わらないように言っているのは、まさに、このためであります。楽山の書くものは、その丁寧そうな表面とは、かけ離れた危険な誘導に満ちています。
 
恥ずかしながら、これは自分にも心当たりがある。
以前、とあるカルトから退会するときに、上で指摘されているような呪縛から抜け出せずに苦労したので…。
 
楽山は、自分が被害者であるかのように言っていますが、真っ赤な嘘です。楽山は、イネイブラーを作る人です。誰かを信じるなどということはありません。自己愛性パーソナリティ障害NPDは、自尊以外を必要としません。他者は、支持者か奴隷くらいにしか見ていないと思います。
 
少し詳しく説明すれば、
①教祖を信じる(教祖は本物だとした自分の判断力を信じる)
②教祖を信じない(教祖は本物だとした自分の判断の間違いを認める)
という構図になっていたので、②を受け入れるのは、いらぬプライドのせいで難しかったのである。
 
楽山は、自分のほうが上だ、自分が教祖に相応しい、というような構図になっていると思います。だから、ホラー映画も、HSの映画も、右翼の偏りも暴言も、大好きなのです。楽山は、超常世界と現実世界を、ごちゃ混ぜにした世界チャンポンなんでしょう。
 
何も知らない人が楽山と遣り取りをすると、丁寧でバランスのとれた人、と好感をいだきますが、付き合いが続いて、楽山が、人の意見に対して不感不応の、的外れ応答の人だと気づいたときには、精神の疲労から、人によっては、すっかり鈍麻人間になっている、それが楽山症候群なのです。
 
*嘘を見抜く方法
本書には、嘘を見抜く方法についても書いてある。
相手の言うことが何となく妙だなと感じたら、その違和感を封印してしまわず、アンテナを張りめぐらすことが必要だ。じっくり観察し、分析しているうちに、相手の正体が見えてくることが多い。
(同上、p.154)
相手を過大評価してしまうと、どうしても目が曇る。そうならないようにするためには、どんな話でもうのみにせず、なぜこんなことを言うのか、こんなことを言う意図はどこにあるのか、などと常に考える習慣をつけなければならない。
(同上、p.153)
他人を疑ってはいけないと思うあまり、自分自身の感覚を封印してしまうのは危険である。そんなふうに感じるときは、これまでの経験や知識から用心しなければならないと本能が自分自身に警告しているのだから、自らの嗅覚を信じるべきだろう。
(同上、p.161)
 」
 
楽山に対して、分析、意図を考える習慣、自分の感受性を注意深く意識して維持する・・こういうことをしないでいると、人格が、鈍麻し、破壊されてゆきます。うすぼんやりとした楽山の奴隷的コピーが出来上がってしまうのです。イネイブラーと言ってもよいでしょう。
 
楽山は、柔らかい表面を装い、鈍いのに、毒の牙を隠し持っていて、喩えるなら、毒を持つ毛虫のような男です。この毛虫には、刺されたことに気づかないことが多く、気づいたときには、心の大事なところに、少なくないダメージを受けているのです。
 
「なんか、おかしい」という直感は大事にする、個人崇拝や権威主義に陥らないように注意する、相手の話をうのみにせず、自分の頭でよく考える…これらはどれも正論だと思う。
 
私は、ある時点で、楽山が「なんか、おかしい」と感じました。そのうちに、疑問は、楽山の、理路が詭弁であること、感性が乏しくて月並みな褒め言葉や感動言葉を多用すること、無反省・無責任であること・・などを再三にわたって感じて、批判に転じる決心をしました。
 
*過剰反応
著者は、嘘つきの特徴として、他人の嘘に対して過剰反応をしめすことを挙げている。自分自身を相手に投影したり、自分は嘘つきではないことをアピールするためにそのようになるのかもしれない。
こうした否認は、他人がちょっとでも嘘をつくと激しく責めるという形で表れることが多い。
(同上、p.22)
嘘つきほど他人の嘘に敏感なようだ。 
(同上、p.23)
 」
 
この楽山の記事のように、自分を棚に上げて、他者に対して、逆の過剰反応を示します。他者を批判して、自分を見ないのです。そして、正常人でアドバイザーであるかのようなアピール芝居をします。楽山という嘘吐きは、自分の嘘について恐ろしく鈍感~不感です。
 
こういう指摘を読むと、とある新興宗教は、批判者に対して、ちょっとした記憶違いに対しても、悪意ある嘘だと決めつけて非難していたのを思い出す。
他人に対してやたらと差別主義者呼ばわりする人こそが、もっとも質の悪い差別主義者だったということがあるけれども、嘘つきに関してもこれと同じなのだろう。
 
楽山は、記憶力が悪いので、他者の反応が過剰に感じられるのかもしれません。その善後策として、否定し、のちに肯定するなど、責任を負うこととは逆の、自己正当化の策略を用いるわけです。そういう正当化は成り立たないことを知らないからです。このいい加減さは小学生にも劣ります。
 
*これから
著者の本は、『他人を攻撃せずにはいられない人』は読んだことはあるが、他はあまり読んでいない。これを機に他の著作も読んでみたいと思う。
 
楽山が、いくら、読書したつもりでも、受け取って考えることをしないのだから、結局、自己正当化の材料を漁っているだけだと何度も書きました。楽山は、無視して、ずっと読書家気取りで、病害をまき散らし続けています。
 
楽山は、自己愛性人格障害によって、くじけることのない不感不応を貫くことが出来ます。他者を、平気で無視できて、平気で侮辱できるのです。ふつうは出来ません。精神病質ならではのことです。別の言い方をすれば、楽山は、関わる人をイネイブラー化するエナジーバンパイアなのです。
 
自分が言われそうなことを、人に当てはめて言うのは、以前からの、楽山のやり方です。それが分かっているので、驚きもしませんが、よく書けるな・・と、厚かましさと白々しさには、毎度、呆れるので、その都度、批判の決意を新たにしている次第です。
 
私としては、将来、楽山が、間違っても、症例または犯罪以外の、良い意味でウィキペディアに載ることがあってはならないと思っています。実際、自己愛性人格障害らしいポショポショ言語という気障なしゃべり方をする精神科医は、今も、ウィキペディアに載っているという事実があります。
 
 
 
(ネットより)
 
 自己愛性パーソナリティ障害の診断基準
 
1.自分は非常に重要で偉大な人物だという思い込みがある。それを裏付ける業績や才能を大げさにアピールするが、実際には内容がともなっていない。
 
2.自分の成功、権力、才能、美しさ、愛に関して、現実にそぐわない理想的な幻想にとらわれている。
 
3.自分は一般人とは違う特別な選ばれし者だと信じていて、同じように特別な地位にある人や団体としか関わるべきではない、そういう人たちにしか理解できない人物だと思っている。
 
4.常に他者や世間から、大げさにほめたたえられることを求めている。
 
5.特権意識が高い。周囲は自分に対し、特別有利な対応や意のままに従うのが当然だと思っているが、実際にそのようにされる理由を持ち合わせていない。
 
6.自分の目的達成のために他者を利用する。
 
7.他者の気持ちや欲求や都合を理解しようとしない。
 
8.他者に強烈な嫉妬をする。反対に、周囲が自分の能力や美貌に嫉妬していると決めつけることもある。
 
9.尊大でごうまんな行動や態度が目立つ
 
 
 」
 
楽山について、
 
1、2、3については、学者気取り、インテリ気取り、などの、気取りが筆致に表れています。しかし、それに見合う洞察力や整合性は、むしろ欠けていると思われます。
 
4については、成就しないことからルサンチマン(劣った者に募る怨念)に至る、あるいは、至っている可能性があります。
 
5については、自尊過大で、いつも、言い方だけ丁寧だが、自分の断定を、上から目線で、繰り返してきます。しかし、学習経過が見えてきたことはありません。
 
6については、生活習慣のように有名人の著作を引用して、自己が正当だということをアピールしてきます。しかし、理路は拙劣で、名前にしがみついているだけだと思います。
 
7については、前から書いてきましたが、思いやり、共感性、羞恥心、罪悪感などが欠如しており、高等感情の鈍麻が当てはまるでしょう。経験から学ぶことをしないからでしょう。
 
8については、筆致には、何を言われても書き続ける執拗さとして表れていますが、これが8なのかどうかは分かりません。既に負けていないと思っているのかもしれません。
 
9については、意識して隠している狡猾さが伴っています。そして、謙虚芝居など、かなり、作為的な白々しい演技が目立ちます。
 
内容が伴っていない、特権意識の根拠が無い、などは、如実に表れてきました。理路も情緒も、知性も感性も、正常以下のレベルだと判断しています。
 
 
イネイブラー、嘘が嘘を呼ぶ

イネイブラー、嘘が嘘を呼ぶ
 
 
(2021年09月07日)
 
 
 
 
 信仰について
 
人間の心では到底納得できないことを「神は云々」と考えて理屈だけで辻褄を合わせて理解したようなつもりになることは、ちょうど本当は何もわからず悲しいのに無理矢理わかったような作り笑顔を見せているようなものです。
 
人の前ではそういうこともあるかもしれませんが、どんなにうまく作ったつもりの理屈も顔も、その中にある嘘と本当を見抜かれる全知全能の神様に対して、偽りを向けてはならないはずです。
 
また人間として考えれば悪いことだとわかるはずなのに自らの怒りを「神の御旨」に置き換えて罪を罪とも思わない場合もあるでしょう。
 
信仰生活のいかなる場合においても人間の持っている、言い換えれば人間に与えられている人間としての知性と感性を押し殺すようなことをするべきではない。特に神様の前ではどこまでも正直な告白と祈りができるように努めたいものです。
 
 
 
 
 すべて意欲は
 
すべて意欲はからからと音をたて
枯れ葉のような空回りをした 
その目は絶えず中空(ちゅうくう)にのぞみ
底知れぬ空しさにのめり込むようだ
 
すべて情熱はふれあう縁(よすが)もなく
真っ赤な嘘に目をまわしていた
心は絶えず波の上 木の葉のよう
いつしか海に沈むことに憧れていた
 
 雲がわき
 雲が飛び
 雑多な雲が流れ
 千々に流れて
 虚空(こくう)へ消えた
 
すべて祈りは尽くせぬ歌のよう
とまどう思いに吐息を返した
その手は絶えず
差し伸べる力もなく
さわれぬ何かを待っているようだ
 
ひととき光が枯れ木にさして
ほんの一滴しずくがこぼれた
しずくの下まだ傷ついたまま
春は静かに眠り続けた
 
まぶたの裏に 語らぬ唇に
明日(あす)に届かぬ夢がうずいた
明かさぬ胸に あたためた やさしさだけ
伝えたかった 誰よりも先に
あなたに
 
 
(昔々の・・)
「あなた」は初恋の人か。神・キリストではないようです。
 
 
 
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