議論と保身(11)2
 
 嫌われる勇気
 楽山ブログのコメント欄の続き。
 私のコメントは、大方、記事用です。一部編集。
 批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
  を改めて批判。(名前)のないところが今回の加筆。
 
 
前に、楽山、シャロームと、遣り取りがありました。シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい・・などと言ったことから、偽キリスト者、偽牧師であることがバレています。
 
(私)
だんだん、本性を表してきました。楽山とシャロームの意地の悪さが全開です。
 
(楽山)
stさんの意見は、的外れのことが多いけれども、
その原因は、この辺りにあるのでしょう。
気の毒なのは、
stさんは、構造、本質が分からないために、
自分が的外れなことを言っていることも分からず、
それがために、
なぜみんな自分の意見を理解してくれないんだという
不平不満、苛立ちを抱えているだろうということ。
 
これが楽山の筆致です。相手を可哀想な人に仕立ててきます。根拠のない決めつけです。
 
(私)
私が書く動機は、何度も言ってきたことです。不平不満や苛立ちではありません。
それが、文章から分からないのは、楽山の読解力不足です。
それに、最初から、あなた方の話で満足できる人は、いてもお仲間だけだと思っています。
 
私は、何度も言っていたわけです。
 
(楽山)
これは本当に気の毒だけども、
本人が気づかない限りは、
外から何も言っても無駄であるし、
誰にもなんともできないのだから仕方がない。
 
楽山は、丁寧語で、ボロクソに言っています。
 
(私)
仕方がないと言いながら、なお、おとしめてくるのも、
批判する大きな動機にも理由にもなるでしょう。
楽山は、化けの皮がはがれて、もろに侮辱しています。
 
(楽山)
stさんが、他人の意見に素直に従うタイプであれば、
別だろうけど、
 
楽山は、奴隷を集めているのでしょうか。
 
(私)
楽山が「他人の意見に素直に従うタイプ」と言っているのは
騙されやすくて従順な犠牲者のことを言っているのです。
 
(楽山)
そうではないのだから、傍からはどうもできない。
結局は、stさんと話しても徒労に終わるという結論になる。残念。
2019/8/30(金) 午前 9:39[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
残念と書いていますが、私のほうは、徒労は承知の上で書いています。
ある時点から、言っても無駄だろうとは思っています。
批判として、有害で邪悪な言説に、貼りつけるやり方です。
 
楽山に、誰も近づかないようにと願っているわけです。
 
(楽山)
>shalomさん
私の方でも、この辺りで終わりにします。
あとは、stさんに反論してもらい、
記事保存、ブログ整理するだけ。
最後まで、
優しいお心遣い、ありがとうございました。
2019/8/30(金) 午前 9:46[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
偽善者同士の仲間ぼめは、何とも言えない気色の悪さです。
(私)
楽山とシャロームは、和みに誘ってきますが、決して和んではいけないブロガーです。
 
こういうところから、楽山とシャロームは、同一人物ではないかと疑うようになります。PCが2台以上あれば、できることです。
 
(楽山)
stさんの反論があったら、
それでコメ欄を閉めて、コピペ保存するつもりでしたが、
相変わらず、おかしなことばかり書いてます。
もうそれらをいちいち指摘する気にはなれませんが、
分かりやすい箇所を少し書くと、この辺りです。
2019/8/30(金) 午後 1:26 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
>おかしなことばかり書いています
 」
このようにカルトの浮かれ具合は、侮辱することしか出来なくなることに表れてきます。
このような人たちに、誰が導かれたいと思うのでしょう。 
 
(楽山)
「 
>>stさんとやり取りしてる自分が、ますます愚かに見えてきた。
 」
>楽山から「愚か」も飛び出してきました。丁寧な楽山の、面影はありません。
こういうことなんです。
2019/8/30(金) 午前 11:19st5402jp
 」
私は自虐的なことは、わりとよく書いてます。
自分のことを、愚か者、迂闊者、ばか…いろいろ。
だから上の文章は、いつものことです。
でも、stさんは、どうも
私がstさんのことを「愚か」と言ったと誤読してるっぽいです。
stさんはこの手の勘違いから
ああだこうだ騒いでることが、ちょいちょい見受けられます。
2019/8/30(金) 午後 1:27 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
誤読ではなく、楽山は、相手と遣り取りする自分が愚か、ということは、相手にしてはいけない愚かな者を相手にしているからという侮辱になることを知らないようです。言葉の表面しか理解できず、人の気持ちが分からない者の特徴が出ています。
 
(私)
楽山が、文脈とも筆致とも理路とも言わず、構造と言ったのは、
ニュアンスが把握できないために、機械的に考えているからのようです。
日本語のニュアンスが分からない人のようです。
これは、自虐に見せかけた侮辱です。
「stさんとやり取りしてる自分が、ますます愚かに見えてきた。」
つまり、あんな奴と付き合ってる自分が嫌になったというのと同じで、
では、stについては、どう思っているかと考えてみると、
相手している楽山自身が愚かに見えるほどに、愚かだと言っているわけです。
決して自虐ではありません。いや、寒気がするほど、悪質な言い方です。
 
(楽山)
>マリアさんは、モラハラ男は拒否するという当然のことをしただけ
 」
>楽山から「モラハラ男」とか飛び出しました。
>2019/8/30(金) 午前 11:19st5402jp
 」
stさんのなかでは、
私は「モラハラ男」は使わないことになってるのでしょうか。
モラハラ男、DV男…普通に使いますけどね。
 
ふつうに相手に向ける言葉ではありません。人間離れした楽山の常識のなさが表れています。
 
(楽山)
モラハラ野郎、DV野郎でも使えます。
マリアさんの記事を読んだら、そういう感想を持つのは当然でしょう。
ここは何というか、
楽山のまちがいを批判するというよりも、
楽山のことは全て否定したい、ケチつけたいという本音が、
あからさまになってしまってます。
カルトだから批判するのでなく、
憎くてたまらないから批判するという感じ。
これは恥ずかしいことです。
2019/8/30(金) 午後 1:32 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
楽山が丁寧ではなくなったことを言ったのですが、
「モラハラ男」のどこが普通なのでしょう。蔑称というものです。
楽山の丁寧な言葉遣いが嘘だったという意味です。
やさしそうな言い方をしてきた楽山が
野獣の本性を出しているだけだから分からないのです。
(私)
侮辱しかできないため、侮辱の度合いを酷いものになっています。
これが、ケダモノの性根というのでしょう。
嫌悪感は、半端なくありますが、憎しみではありません。
憐れみでもありません。この者たちは公共での話をする資格がない
という実感です。
 
(楽山)
上の点について、
stさんは、修正釈明するかしないか自由に決めてください。
その後は、コメ欄は閉じて、stさんとの交流は終わりとします。
2019/8/30(金) 午後 1:33 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
相手が悪いと決めつけたうえで、修正釈明する自由と修正釈明しない自由いう選択を与えていますが、楽山が決めることではなく、余計なお世話なのです。言えることがなくなっている表れです。
 
(私)
俄然、命令調になってきた。
ふざけないでください。荒らしの本領発揮の筆致が出ているということは、
今までの丁寧な書き方が読者を騙すための三文芝居だったということです。
野獣登場ということです。あなたは、そういう人。
 
(シャローム)
> st5402jpさん こんにちは
 
(私)
この白々しい挨拶のことを言っても、同じように書いてくるのは
底意地の悪い証拠ですが、前にも書いたと思うが、
シャロームは、またしても、むしろあざ笑うかのように挨拶を入れてきます。
これが、シャロームの、不感不応のモンスターたるゆえんです。
 
(シャローム)
「(私)
私が書く動機は、何度も言ってきたことです。不平不満や苛立ちではありません。
それが、文章から分からないのは、楽山の読解力不足です。
それに、最初から、あなた方の話で満足できる人は、いてもお仲間だけだと思っています。
2019/8/30(金) 午前 11:37st5402jp返信する」
 」
長いお付き合いですが、stさんの批判に同調し、支持し、交わりを続けている方はおられますか。
stさんの執拗なたくさんのコメントを読まれ、stさんにやめるようにたくさんコメントされた方を思い出しますが、stさんも覚えていて、それらの人はみんな荒らしであって、私のなりすましであるとか、仲間であるとか繰り返し書いておられますね。みなさん読解力がなかったのでしょうか。
2019/8/30(金) 午後 1:58 [ shalom ] 返信する
 
(私)
私は、シャロームと楽山をいっしょに批判しよう、ではなく、何よりも二人に関わらないようにと、いつも、お願いしています。だから、シャロームに関わる人が少なくなればよいのです。いなくなれば、もっとよいのです。
(私)
数を頼むのは、下種の勘繰りです。私に、批判をやめるように言ってきた人は、事情をよく知らないか、シャロームの丁寧語に騙されている人です。シャロームは、悪性度が、普通とは違うのです。そのことが、このシャロームの嫌らしい嘲りのコメントに表れています。そして、シャロームにだけは、分からないのです。
(私)
シャロームは、お前には仲間がいないだろうと、私をおとしめています。
神に従っている人は、このような、自分のほうが偉いみたいな言い方はしません。
シャロームが、神もキリストも聖霊も信じておらず、恐れてもいない証拠です。
(私)
カルトには仲間がいるものだから、このように、
仲間がいないだろうと、侮辱してくるのは、今に始まったことではないのです。
シャロームの本質は、他者を下に、自分を上に置くことだという表れなのです。
仲間が多いかどうかで、測れると思っている偽善者の吐く息を覚えてください。
 
(シャローム)
stさんに同調し、支持し、私に対して注意された方のHNを教えてくださいませんか。私は一度もSTさんのきびしい度重なる警告にもかかわらず、一人もおられませんよ。
 
こういうとき、誰々とHNを書いてしまうと、その人が攻撃されて、大いに迷惑するわけです。実際は、私は、今のところ、一人であり、独りであり、その方が、自分の言葉を鍛えながら書くことが出来るので、誰かの助けは必要としていません。
 
さらに、キリスト者には、祈りがあります。祈りは一人でするものであり、そういう時間が大切で、そこで、一息ついて、かつ、内省することも、静けさのうちに、慰めを得ることもあります。
 
キリスト信仰の神は、キリストに表されたように、愛の神ですが、一方で、戒める神でもありますから、いつも神が自分の味方ということではないのです。しかし、神の前でのみ、人を気にせず、正直に告白できることがあります。
 
そこが、いつも訂正不能の妄想を味方とする楽山やシャロームとは、根本的に違うところです。
 
(私)
シャロームは、私が孤独であることをもって、仲間のいる自分を誇っているのです。このように、数に物を言わせることが、何よりも、シャロームが下種であることの証明なのです。
(私)
こういう、卑怯で、低劣で、嫌らしい皮肉を言ってくるのが、化けの皮の剥げつつあるシャロームの特徴なのでしょう。もっとひどくなるでしょう。
(私)
真実は、孤独のうちに、目覚めとして、開かれるものです。
シャロームのように、誰かを騙して、誰かに褒められて、開かれるものではないのです。
ましてや、シャロームの最悪な皮肉や当てつけで、真実が明らかになることは永遠にないのです。
 
(シャローム)
確かに自由さんは初め、私のコメントが皮肉のようで、そんなコメントがSTさんの批判を招くのではないのではないかと注意されたことは覚えています。
 
(私)
批判というものは、特に務めと意識している批判者にとっては、偽善者のコメントなど、全く当てにはしていないのです。
 
(シャローム)
はじめ好意的にstさんにかかわっておられた方は私がSTさんの思いや気持ちをよく理解されると思ってSTさんに紹介したverさんと今から一年ほど前から関わりが始まった自由さんでしょうか。
しかし残念ながらおふたりとも結果はご存知の通りです。
いくつものブログを開設して、つづけるのも大変でしょう。
stさんも5402生まれなのですから、若いとは言えませんが、徒労に終わるのではないでしょうか。
それともまた新しい人を探し出して続けられますか。
続けるのも自由、やめるのもSTさんの自由な意思にかかっているのであって、誰の責任でもありませんよ。
Shalom!
2019/8/30(金) 午後 1:58 [ shalom ] 返信する
 
(私)
ずっと前に関わった人のHN"ver"を持ち出してきました。手段を選ばないシャロームです。"ver"がシャロームを批判できなかったため、シャロームは、ネット寿命を延ばしていますが、それを、まるで、正しいことであるかのように言っているシャロームの無反省は、妄想宣伝家の、パリサイ人以上の偽善者ならでは・・なのでしょう。
(私)
この「Shalom!」という挨拶も、嫌がらせとして、いつも付けてくるのです。
シャロームは、悪意の人、時々の最後には脅迫しか手段がありません。
侮辱して悦ぶサディストだと書いたのは間違いではなかったようです。
(私)
そして、恩着せがましく、丁寧語で、お前しだいみたいなことを書いてきます。
この丁寧語に騙される人が、いなくなることを祈り願って止みません。
(私)
私は、もとより、孤独を覚悟の上で、批判しています。新しい人を探し出して世辞を言って、認められたがっているのは、シャロームに他なりません。
(私)
私の自由は当たり前のことです。言論の自由を勝手と勘違いして、言論の責任を負わないシャロームは、長きにわたって、嘘八百の妄想を宣伝してきました。総ては、シャロームの無責任で起こっている闇の不祥事を、私は、私の責任の範囲で批判しています。
 
verさんは、神学者のようでしたが、知識があったと思うけれど、なぜか、シャロームに反発することが出来ないようでした。こういうことから、キリスト教を悪用する、楽山やシャロームを含む群れか、同一人物の成りすましか、という推測になってゆきます。
 
シャロームは、社交の世辞で物を言うので、シャローム批判を始めた頃、別の人から、失礼なことを言ってる・・というコメントをもらいました。また、楽山には、やさしいお人柄・・というコメントが寄せられていました。ここが、脅威となり得るところです。
 
詐欺師は、うわべだけ、やさしいのです。そういう言葉に、人が弱いことも承知の上なのです。今の時代、だまされないための教育・・なされているでしょうか。そのためには、必ず、人の言うことを、鵜呑みにするのではなく、真意、深み、文脈を読み取ることが必要になります。
 
シャロームshalomは、平和という意味のヘブライ語の挨拶の言葉だそうです。楽山は、中国の観光地の名前から取ったのでしょうか。いずれにしても、あくどい2人、というより、同一の一人かもしれません。楽山は、他にも、多数のHNを使っています。
 
 
楽山の名は、隆かもしれません。それで、ツイッターの raku も taka も、楽山である可能性が高いです。筆致や内容も、ほぼ似たような方向性で、内容が薄く、ゴシップや興味本位のものばかりです。つまり、何かを真剣に考えて思想をまとめるということをしない人です。ひやかしだけなのです。
 
このシャロームと楽山の思想には軸がなく、ゆえに広がらず、その場その場で、体のよさだけを書き、真っ当な理路もなく、一定の結論もなく、いいかげんな先細りに終始します。求めているのは、分かっているらしいと受け取らせて好意的なコメントで満悦したいだけなのです。
 
ゆえに、言ったことに、一切責任を負いませんし、反省もしません。その時、その場限りで、言いたいことを言い、後は、大方、忘れているのだろうと思います。じっくり考察して真実を追求する人ではありません。自分の満足だけを求める自己愛性人格障害だろうと思っています。
 
自己愛性パーソナリティ障害NPDは、自己中のために、自分を見ることが出来ません。自分というのが既に完成している病状で訂正不能だからです。ちゃんとしていると見せかけるために、反省、共感、とほほ、痛い、などという言葉だけを書きますが、反省も共感も後悔も出来ない人です。
 
信仰は、神の辻褄を分かることではありません。キリスト教の信仰は、聖書に表されたイエス・キリストに惹かれることです。悲劇が起こっているのは神のいない証拠のように言うのは酷い的外れです。逆であって、悲劇が起こっているから支えが必要だという動機から信仰は始まります。
 
キリスト教批判には多くの共有できる実がありますが、楽山の言には実がありません。信仰を受け取る心の問題を、楽山は、全く理解できません。出まかせの幼稚な辻褄で欺いて、他者の信仰とその始まりを妨害しているのが、楽山であります。楽山とは意見交換が成り立ちません。
 
キリスト信仰者は、神の辻褄によって信じるのではありません。ゆえに、神がどうのと、辻褄ばかり語っている楽山は、だいたい無神論者でさえありません。楽山には、いかなる論も成り立っていません。小学生が、屁理屈を繰り返して駄々をこねているようなものです。
 
信仰は、理屈では表せません。信仰は、人間らしい温もりと潤いを持った心で受け取るものです。もちろん、受け取らないのは、個人の自由です。しかし、受け取っていないのに、文句だけ言って、信仰と神を、机上の空論として扱う弊害をもたらしているのが、楽山その人であります。
 
真実の信仰者からは、体験と心情が表れてくるでしょう。偽信仰者もたくさんいて、シャロームがその典型です。楽山と同一人物かもしれません。宗教と信仰を、手のひらで、机上で、語れると思っているこの二人には、どうか近づかないでください。信仰について恐ろしく愚鈍なのに執拗です。
 
 
毒満ちるまなこの裏

毒満ちる まなこの裏
 
 
(2019年09月07日)
(2021年09月15日、再録+)
 
 
 
  ウソの国
 
男は登っていく
深夜の階段を
息せき切って走っていく
走らねばならないのだ
走らねばならない
遅れてはならない
遅れてはならない
 
遅れた
男は人前に連れ出され
何人もの男から
したたか腹を殴られたが
痛みはなかった
 
夕暮れの街を歩いていく
人々は夕闇と過去に追われながら
すでに死んだ油の眼で
われにもない毒の顔をさらして
ネオンの間から間へ
苦しい巡礼を始める
あぁ この七色の 肉色の
光のおりが天国とは
拳を握りしめて
「何もない」
「何もない」と
壁に向かって叫び続ける男
誰もいない街角に向かって
手を振り続ける女
眼を振り続ける人々
通り過ぎる車が
水たまりをはねて
尻が濡れた
時が引き裂かれた
青春と人情の墓場から抜け出し
人通りの少ない路地で
恋人に声をかける
お茶でも?
あいされたいわ たれからも
 
吐物をまき散らしながら
男は逃げる
転びそうになりながら
 
幾分か小高い丘に
塀のある幼稚園があった
数人の子供が砂場で遊んでいる
ジャングルジムがある
子供たちが登れるようになると
外が見えるようになるわけだ
 
男は登ってみる
もう吐き気はしない
尻のあたりの濡れた感触もない
男はようやく安んじて眺めている
人っ子一人いない街の風景を
 
あたりはもうすっかり明るい
 
 
(昔々・・)
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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