昔々書いた詩のようなもの
 
 
  祈り・実感を
 
もうしばらく傍(そば)に
いて下さいませんか
さびしい
と声に出してしまいそうですから
しかも調子外れの怒号のように
すでに出しているのです
 
でも声帯は震えているものの
咽喉(のど)の吸い殻の
泡沫を振動させて
歯間を開閉しているだけなのです
 
いつも傍にいて下さる
と教えられるだけでなく
すべての体液が覚えるほどに
染(し)み込ませることが出来たなら
ずぶ濡れになった厚紙の五感のために
五臓六腑に満々と
湛(たた)えられた廃液のために
動きの取れなくなった五体も
眠りすぎた疲労も
声なき吠(ほ)え面も
澄んだ自虐のうちに
然(しか)りは然り
否(いな)は否
と捌(さば)き捨てて
液体へ気体へ
霧散・昇天お許しを
流れるままに乞いゆきましたものを
 
(1999年06月21日)
 
 
  問いの小道
 
ある日
問いは
どこかの小道を
歩いていました
きれいな花や
しぼんでゆく花びらや
ささえている茎や
はぐくんでいる土にも
ときめいたけれど
切り取ったり根こそぎ
摘んでしまっては
わるいからと
めぼしいものを見つけては
クレヨンでスケッチ
クエスチョンでマーク
したりしたり
していました
 
家に持って帰って
スケッチを並べて
あいだをひらひら
舞う蝶には
なれないから
いつかスケッチを見ながら
スケッチブックをふくらませて
なつかしい小道を
目の前にありありと
うかべることができたら
そのときは生きてもいー
死でもいーと
ため息をつきました
 
とぼしいビジョンをかかえて
ため息はまた
すこしやせた問いになって
どこかの小道を
歩いていくのでした
問いは問いを生み
どこまでも問いのまま
いつか問いのまま
問われる先に
名前のないお墓が
明るく陽を浴びて
小道の花々に
隠されていくことを
願うばかりでした
おこってくれー
かくれないでくれー
 
(1997年4月1日)
 
 
  夢の肌
 
眠れない夜は
ひとつの世界
重なりあう思いに
乱れた欲望に
解き放たれようと
夢の肌を探る
天井と床の間で
さまよう視線が
繰り返す明滅のうちに
苦しみながら呼んでいる
ひとつの旅
光も闇も
夢と眠りの跡を
ゆるやかに流れ
消えて
忘れた言葉のような
弱々しい悔いと気分を残して
新しさにまだ気づかない
朝を迎える
夢の肌のあせるころ
 
(96年、またはそれ以前)
 
 
  夢の予告
 
目の前に丸い太い
ぶ厚い重い輪が
ぎらぎら毒々しく光る
これは経験から明らかに
(夢の中で経験が生きる?)
持病の偏頭痛の前兆だ
 
というところで目が覚めた
視野の中心から広がる
いびつな三角形の閃輝暗点
今度は紛れもなく経験から
偏頭痛の前兆だ
 
急いで頭痛薬を飲む
起きてしばらくすると
頭の左半分に軽い頭重感
痛みというほどではない
薬は効いている
 
夢が予告した?
網膜と神経に生じた異変を
浅い眠りの
夢の乱れた思考が
取り込んで表現したのか
肉体に対する警告
とても稀な
夢と現実の接触
 
(2006年03月29日)
 
 
  生死の拠りどころ
 
生きることが
死ぬことよりも怖くなるときでも
そうではないときでも
いちばん怖いものは
死ではない だから
いちばん大切なものは
生ではない
生よりも大切なことがある
だからといって それは
死でもない
それは生きることの
拠(よ)りどころとしているもの
と それに関わるすべてのもの
例えば信仰について
例えば詩のようなものを
書いている時間は
生よりも大切だ だから
その時間に事切れても
たとえ未完のまま息絶えても
その死ではなく
その生でもなく
その結実でもなく
その時間は
永らえるためにでも
けっして惜しんではならない
生よりも大切な命の時間だ
 
(2006年03月08日)
 
 
  静けさ
 
心静かに
静かな夜に眠れない
心静かに・・・
 
それは
暇人にも追い詰められるような
瑣事や心配事は
いろいろあるのだけれど
眠れない夜に
不安がいっぱい周りで騒いでいるけれど
負えない荷物に潰れてしまいそうなのに
重さは別のところにあって
ぽつんと独りの
しかも眠れない夜にあるのだ
 
もう将来と呼べるものもないのに
自らの死と
肉親の死に狼狽することしか
待ってはいないのに
やけっぱちでも投げやりでもなく
あきらめでも達観でもなく
とても無さそうな時と所に
眠れない夜
苛立ちとは別に
経過してゆくのだ
 
(2007年06月01日)
 
瑣事(さじ)
さ‐じ【×些事/×瑣事】 の解説
取るに足らないつまらないこと。ささいなこと。小事。「―にこだわる」
 
 
真実 孤独

真実 孤独
 
 
(2021年11月12日、再録+)
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも楽山/楽山日記3
@komo266
·4時間
こんな話は、はじめて聞いた。
星と三日月サラディンに会いたい
@saladin4733
以前聞いたことある話
ブラジル人の現地信者でもの凄い伝道成果を上げた人が日本に来た。
日本の信者は彼ほど伝道実績がなく、彼を褒め称えた。
最初は謙虚だった彼は
「なんだ日本の信者は主のもとに生まれたから素晴らしいと思ったがたいしたことはない」
と慢心し、ブラジルに帰って教祖になった。
午後0:04 · 2021年11月10日
 」
午前6:20 · 2021年11月11日
 
「はじめて聞いた」話を、楽山は、議論に耐えるセンスがないために、キリスト教への悪口として無節操に書いてきます。どこでも、宗教には、曲解する人々は当然いるわけですが、楽山が面白がって書いてくるのは、生産性がなく陰湿な反キリストそして偽善者だからです。
 
理路も情緒も整わないために、検証とか考察とかが全くできない楽山ですから、悪口を言って溜飲を下げたいだけで、結果として、卑しい性根を表して、どこまでも、どこまでも、とても原始的な自己愛性人格障害という自分を、自分で証明しているのです。どうか関わらないでください。
 
楽山のような、羞恥心も罪悪感もない反キリスト・反宗教は、自分の言ったことに責任を負わないし負えない卑怯者で、他者の忠告を無視し、一方では、他者の話を食い物にします。そういう醜態を繰り返すほどに分別がないのは、楽山には、まともな自分という人格の尊厳がないからでしょう。
 
 
 
 楽山日記へのコメント再録
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて
 自分 正さなくちゃいけない」
「それが出来て 初めて人間だと
 それ出来ないなら 人ではないと」
「嘘ばかり 重ねる君よ
 保身だけの 卑怯者の君よ
 そんな君は 魅力の欠片もないのに」
「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は
 最大限の償いと 最大限の反省と共に
 開いた出店を 畳むしかないんだよ」
「人間で在り続けるのなら
 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、
これを実践するのは難しいんだよなあ。
恥ずかしながら、自分もそんな風です。
これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山の、邪悪な性根の根深さが表れています。「人間の性」などではなく、楽山固有の悪と罪と偽善です。一つ一つ批判して、性根を暴いて、否定してゆくしかありません。ほとんど、ワームと言っていいくらいです。
 
 
 
 
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