仲間で自己満足(2)
 
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/GUEST/41469556.html
  楽山ブログのゲストブック。
 
 
途中から、シャロームが、いい気になって、しゃべりだして、いっぱい、デコレーションケーキに見せかけた段ボールのような大嘘をまき散らしています。嘘から始まり、嘘で終わる、という凶悪さです。楽山は、心がないのです。シャロームは、嘘しかないのです。
 
平気で嘘を吐く人というのは、言ってることが、ことごとく嘘、絵空事、ということがありうるという例です。
 
 
(楽山)
というか、私にとって、stさんはあんまり批判対象にはなりません。
数万、数十万の信者がいるとされるカルト教団ならともかく、信者も、取り巻きもいないstさんを、批判しても仕方ないです。
stさんはいろいろ書いてるけど、読者は賢明なので賢明な判断をするでしょう。
それに私にとって、stさんはもとから議論の対象から外れます。私はこの記事にある基準から外れる相手とは、議論する気にはなれないので。
・議論の作法 (なぜ議論は難しいのだろう?)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41325846.html
2019/2/26(火) 午前 6:17 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
教団の規模で貶めている。こちらは、そんなこと関係ありません。赦しがたい背教のシャロームをかばえば、批判対象になる。自覚のない破壊という害が起こると予想されるからだ。二人のような者が、また登場しないように、できるだけの努力が必要である。
 
(楽山)
ちなみに、上と同じことを、shalomさんで試すとこうなります。
 「カルトや毒親の過干渉はスルーしてよい」
 「shalomさんの過干渉はスルーしてよい」
 「HSは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
 「shalomさんは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
なんか、いまいち重ならないですね。
この点については、HSとshalomさんは別ものですね。
2019/2/26(火) 午前 6:19 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
シャロームは、押し付けてはいない。丁寧語と聖書語で騙している。それは、もっと、偽善の悪性度が高い。楽山は、おかしなことばかり言っています。
 
(楽山)
>シャロームshalomと楽山を、上から命令を下す硬派カルトに対して、刷り込みや印象操作を手段とする軟派カルトと呼んだのは正解だったようです。<
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html
印象操作といえば、stさんがいつもやっていることかと思います。
相手の意見を、変に捻じ曲げて、さも変なことを言っているかのように吹聴するというやり方。
2019/2/26(火) 午前 6:20 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
まだ分からないのか。楽山は、ずっと、変なことを言っている。キリスト者が、罪を認めず悔い改めないなど、ありえないということ。そのまま、背教としか言えない。
私は訂正不能ではないし、印象操作などしない直球。シャロームも楽山も、納得のいく説明など、一度もせずに、同じような作為の意図で言い続けているから、同じように批判対象であり続ける。
 
(楽山)
>二人は、無視することによって邪魔なものを排して楽をしているために、洞察力や、文献の理路を検討する努力や、多面的に検討する思慮と、さらに、真実への深い共感性も欠けていることが、言説に表れています。<
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html
私としてはstさんとの対話は難しいと判断しています。誤読、曲解、思い込みが激しくて、事実に基づいた対話は無理と…。
口出しするな(黙れ)と言ったり、無視するな(しゃべろ)と言ったり、発言がコロコロ変わるところも、対話不可能と判断する理由でもあります。
さらには、こういうことは他の人も気づいていることだろうと想像してます。
なので、私からいちいちstさんを批判することもなかろうし、スルーするということになります。
思うに、stさんは自分から狭い方に進んでます。孤立する方に進んでます。ほぼ無抵抗のshalomさんの内面を悪く想像して、悪く言うのは止めて、仲直りした方がいいです。こういうことは恐らくは他の人も勧めてきたのだろうけど、私もお勧めします。
2019/2/26(火) 午前 6:40 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
受け取らない者は、結局対話しないことを言い出すという典型。話し合いは、こちらも諦めている。誰も、二人に近づかないように、二人に対してではなく、心ある読者に、記事で訴えていきます。
 
(楽山)
ところで今、HS界隈は大騒ぎの最中です。私もHS批判する機会は増えるかと思いますが、stさんにはそれを自分に対する当てつけだと勘違いして怒らないでほしいと思います。再度お願いしておきます。
 
(私)
楽山もシャロームも、何も書かないのが相応しいと思います。自己中心の楽山に宗教を語る資格はないと判断しています。シャロームは、既に、百害あって一利なしです。
 
(シャローム)
長いメールありがとうございました。
悔い改めの後先については書いておられることでいいと思います。最初にアダムとエバが罪を犯したとき、私たちが今もよくしているように、二人はすぐ枯れてしまう木の葉で身を隠しますが、神は毛皮の衣(罪のあがないと赦しのために流される血)によって覆ってくださり、さらにカインが荒野へ放浪の旅立ちをするとき、だれでも私を見つける者がわたしを殺すと恐れ、私の罰は重くて負いきれませんと呻き苦しんでいる時、神はカインの額にある印をつけてカインを守ることを約束しておられます。その印もまた毛皮と同じく、イエスさまの十字架を指示していますし、新約聖書においては神によって与えられた義の衣と記されています。
2019/2/26(火) 午前 10:09 [ shalom ]
 
(私)
義の皮をまとったつもりの化けの皮がシャロームです。自分の罪と偽善を認めず、アダムとエバのせいにしたのは誰でしょう。アダムとエバを、はるかに浅ましい偽善者シャロームは、悪者にしたのです。
アダムとエバは、今の私たちの姿です。
 
(シャローム)
古今東西すべての人が神の赦しと愛のなかに生かされているのです。しかし、そのことは信仰によって受け容れることによってはじめて、人の現実となるのです。受け容れないとしても神の赦しと愛のなかに生かされていることに変わりはありませんが。
 「今、HS界隈は大騒ぎの最中です」
そうのようですね。
「・大川隆法長男が語る「『幸福の科学』決別の理由は清水富美加との“結婚強制”」」という記事が
私は読んでいませんが、有料記事が掲載されていましたね。
「私としてはstさんとの対話は難しいと判断しています。誤読、曲解、思い込みが激しくて、事実に基づいた対話は無理と…。
口出しするな(黙れ)と言ったり、無視するな(しゃべろ)と言ったり、発言がコロコロ変わるところも、対話不可能と判断する理由でもあります。
2019/2/26(火) 午前 10:09 [ shalom ]
 
(私)
キリストを信じてもいない部外者が、シャロームをかばうことのほうが無法である。楽山の話は、ボンヤリ言語の曖昧さで、要領を得ず、人をイラつかせ疲労させるからです。
そしてシャロームは、前に批判して返したことを、また言って理路を乱すばかり。理路とか順序とか節操とか、良心とか、全く理解できない人です。
 
(私)
口出しするな、というのは、部外者だから、それでも、このように、口出しをしてくる楽山に対しては、口出しするなら批判を無視するな、と言ったことを、都合よく文脈を作って、矛盾のように見せかける詭弁。楽山もシャロームも、こういう悪意に基づくことを、平気でやってくる人です。忘れないで。
(私)
疑問を少し突っ込んで問いただしてみると、正当な議論も交流も出来ない彼らの、実に気色悪い本性が表れます。訂正不能、自己中心、人間離れ。覚えておいてください。
 
(シャローム)
「さらには、こういうことは他の人も気づいていることだろうと想像してます。
なので、私からいちいちstさんを批判することもなかろうし、スルーするということになります。
思うに、stさんは自分から狭い方に進んでます。孤立する方に進んでます。ほぼ無抵抗のshalomさんの内面を悪く想像して、悪く言うのは止めて、仲直りした方がいいです。こういうことは恐らくは他の人も勧めてきたのだろうけど、私もお勧めします。」
きのうメールした後にstさんの記事を読み、stさんの私と自由さんに対する批判コメント読みました。
stさんとの対話が無理なように、きっと仲直りも難しいと思います。仲直りを望まれて断る理由はありませんが、stさんの病的体質が変わることは難しいでしょうから、関わることはないと思います。
shalom!
2019/2/26(火) 午前 10:10 [ shalom ]
 
(私)
"病的体質"をこちらに向けてきました。言われそうなことを言ってくる、というのは、シャロームが、よく使う手です。唐突に、自他未文化ですね、などと言ってきたこともあります。根拠を示したことは一度もありません。芯から腐っています。恐らく、治らないのだろうと思っています。
 
(楽山)
ゆるしにもいろいろありそう。
・悔い改めによってゆるされる。
・神は全能であり、罪びとを消滅させることもできる。でも慈悲によって、その存在をゆるし、悔い改めを待っておられる。
2019/2/26(火) 午後 9:15 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
存在をゆるし、などと言葉をいじっても無駄なのです。きたないですねぇ。赦しているなら、悔い改めを待つ必要もないのです。悔い改めを待っていると楽山が書いたとき、既に、赦されるためには、悔い改めが必須ということなのです。
 
(シャローム)
「関わることはないと…そうですか。それも仕方ないですね。余計なこと言ってしまったようで失礼しました。」
 少しも余計なことではありません。
とても大事なことです。でも私たちは神に赦され、愛されていることを頭で知っても、心に届かない現実があります。そのために人を赦し愛することができないことも事実なのです。その力が自分自身のうちにないのです。それでは神様からどんなに赦され愛されていると信じても無意味な虚しいことでしかないではありませんかと思うのも当然です。ですから信仰をもつと互いに赦し合い、愛し合おうと努力をするのです。
2019/2/26(火) 午後 11:29 [ shalom ]
 
(私)
頭でも心でも、シャロームは、神の愛を知りません。知っていたら、罪を認め悔い改めるはずだからです。今になっても、しらばくれるのが、シャロームの底知れぬ暗闇なのです。シャロームのきれいごとは、いつ見ても、闇の焦げる臭気に満ちている。
(私)
シャロームは、賛同する者に世辞を言うだけです。
許し合い、愛し合うならば、どうして、コメント未承認、コメント削除、コメント欄閉鎖、侮辱、などということが出来るでしょう。シャロームの大嘘です。シャロームは、罪悪感がなく、羞恥心もなく、反省もしないので、誰も近づかないように、何度でも言い続けなければなりません。
 
(シャローム)
しかし、疲れてしまうのです。そして疲れると、自分は神に赦され愛されていると信じていると言いながら、人を赦し愛し、ありのままで受け容れ仲直りをすることもできない、私の信仰は偽りだ。あの人の信仰は偽りだと自分を裁き、互いに裁きあうようになってしまい、その結果、信仰を失ってしまことが多いのです。
 
(私)
こちらに当てつけています。裁いてはいません。裁くのは神の仕事です。そのときになっても遅いのです。だから、もはやシャロームは無理でも、巻き添えを減らすように、批判を書いています。このことを、何度、書いてもシャロームは、理解できないようです。同じようなことを言って、おとしめようとすることしかできないシャローム。
 
(シャローム)
何が問題かというと、神との和解、仲直りは信じて、神さまはこんな私をありのままで赦し愛しておられると信じながらも、自分自身との和解、仲直りができないと、神さまの赦しと愛が他の人へと流れることができないのです。なぜ神さまの赦しと愛を信じているのに、他の人を赦し愛することができないかの理由は自分を赦し愛し、自分をありのままで受け容れることができないからのようです。
 
(私)
シャロームの偽善が全開です。自分は受け入れていると結局言いたいのです。何をか、と言うと、実際は、シャロームの、ありのままは、不正直と罪を偽善を積み重ねても、神は自分を愛するから悔い改めなくていい、という自分の妄想の中の神?をです。
(私)
そのシャロームのありのままを、受け入れているのは、自分信仰者シャロームだけ、ということにしかなりません。そしてカルト宣伝の楽山もファンなのでしょう。二人とも、自分だけを愛しているナルシシストです。丁寧語に騙されないようにしてください。シャロームの言うようなキリスト信仰は、どこにもないのです。
 
(シャローム)
自分で自分を赦し愛し、受け容れるなんておかしいと思われるかもしれませんが、自他未分化状態ではこの気づきがとても難しいのです。それが例えば、投影というような様々な自己防衛機制となって表れるのです。このことに気づくのはそう簡単なことではないようです。
2019/2/26(火) 午後 11:30 [ shalom ]
 
(私)
分かりもせずに、あちこちで滑っていながら、まだ、難しい言葉を使って、別のところで最近も書いていた、自他未分化と投影という言葉を、わかりもせずに使って、ごまかしを自慢しているのがシャロームです。この浅ましいインテリ気取りのようにならないために、楽山のようにならないために、決して挨拶などしないでください。
 
(シャローム)
ですから人と人との和解、仲直りは人が作り出すことではなく、神の御業なのです。神のみわざが私たち間で和解、仲直りを生み出すのは、初めに神との和解に始まり、その次に神を信じた人とその人自身との関係が和解し、仲直りする必要があるのです。
そうして初めて神の赦しと愛が信じる人をとおして他の人に流れていくのです。とても回りくどい言葉を羅列していますが、
 
(私)
自分が悔い改めないのを、神の御業だからと言い逃れしています。前にもあったことで、もう使い物にならない詭弁ですが、弁明できないものだから、繰り返す駄地獄のあがきなのです。シャロームは、神を無視して、罪を認めず悔い改めないのです。決定的に、神と和解せず、神に逆らっています。
 
(シャローム)
このことが分からないために、多くのクリスチャンの人が信仰生活に疲れて信仰を失ったり、教会に混乱、分裂が起こったり、異端に走ったり、挫折し、教会から離れてしまわれるのです。
私もその一人で、そのことが分からず随分回り道をし、自分だけではなく、多くの人を傷つけました。そのことを気付いた今でも他人事ではないのです。なぜ自分のことで悩んだり、他の人との関係で悩んだりするのか、その原因は他の人にあるのではなく、自分自身と和解できないことに原因があることが多いようです。それを私たちは自分に向けたり、他の人に向けてしまうことで苦しんでいるのです。
2019/2/26(火) 午後 11:31 [ shalom ]
 
(私)
自分自身と和解だそうです。シャロームが、こう言うとき、自己中心を刷り込んでいます。つまり、よく言われるところの、自己肯定が大事、ということに引っ掛ける、悪意の詭弁です。
(私)
シャロームは、キリスト信仰が、まるで分かっていないのに、妄想で分かったことにしているために、他人の言うことを、いっさい、気にせず、無視するようになったのでしょう。それで、もはや、考えることも、感じることもないのでしょう。シャロームに従うと、このような、廃虚の瓦礫のような空虚な鈍麻状態になるのです。くりごとの人になり、くちだけの人になるのです。こうなったら、おしまいです。神に裁きを任せるしかありません。
(私)
ただ他の人々が巻き添えにならないように、私は、書いています。だから、シャロームを変えようとか、今になって、全く思っていません。
 
(シャローム)
私たちの心のからくりを解きほぐし、自由にしてくださるのは神の赦しと愛による他できないことだと痛感させられます。
 私が
「stさんとの対話が無理なように、きっと仲直りも難しいと思います。仲直りを望まれて断る理由はありませんが、stさんの病的体質が変わることは難しいでしょうから、関わることはないと思います。」と書いたのはstさんと自由さんに謝罪し、撤回し、削除すべきだと思います。
stさんの病的体質が変わることは難しいと書きましたが、それはstさんだけではなく、私自身のうちにもあることです。それは私と他の人との和解、仲直りを妨げている障害は私という自分と自分自身との和解、仲直りができていないことにあり、自分との和解を妨げている病的体質の気づきの難しさだということです。
このことを抜きにして私たちがどんなに仲直りをしようとしてもそれは出来ないと思うのです。
 私の思いをつたない言葉と文字で書きあらわすのは難しいのですが、少しでも伝えることができればうれしいです。
2019/2/27(水) 午前 7:51 [ shalom ]
 
(私)
楽山は、きれいごとを並べていますが、本心ではなく、それに、根拠もなく、私を病的体質の中に入れています。つまり、悪意が明確に表れており、ゆえに決めつけなのです。何故なら、約8年の批判の経過の中で、シャロームの、和解する心など、一度も見たことがないからです。読者を騙すために、付け焼刃で並べたことは、シャローム自身の今までの経過が否定します。
(私)
もし、和解を、今から始めるのだと言うなら、これからの言に表れるはずですが、このコメントが2月、今が7月、その間に他のところで批判を罵るだけで、一度も表れていません。こういう程度の低い言葉の細工を、シャロームも楽山もしてきますが、中身も深みもないために、話にならないほど幼稚な嘘になってゆきます。
(私)
これだから、言葉だけ、自戒したようなことを書いても、罪と悔い改めに反する発言を修正しないのですから、それだけで信頼はなくなるのです。だから、何を書いても、だまされる人はいても、伝わる人はいないのです。
シャロームの言うようなキリスト信仰は、無いからです。きれいごとを、わざとらしく並べても、真実味は皆無であり、シャロームの独り芝居なのです。
 
(シャローム)
おはようございます。
「日本教の社会学」の一章をまだ読み終わってはいませんが、
日本教の問題点について触れられ、嫌な言葉ですが、「日本人にはわからない」と繰り返されていることを不快に感じながらお気づきだと思います。私が書いていることが日本教、日本教キリスト派の核心だと思いますがどうでしょうか。私もまた日本教キリスト派のひとりにほかなりません。そこから解放し、自由を与え、名実ともにイエスキリストにある神の子としてくださり、その完成に向かって助け、導いておられる方がイエス様であることを信じていますが、私たちのこの世における人生はその旅路の道程だと思います。
2019/2/27(水) 午前 8:44 [ shalom ]
 
(私)
日本教キリスト派と言っています。そんな教派はないと思います。シャロームの信仰?は、自分信仰ですから、好きなように造語を捏造し、自己において完結?して訂正不能です。だから、誰にも伝えてはいけない自己中心絶対教なのです。
 
(シャローム)
5:13 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
5:14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
5:15 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。
5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
 (新約・ガラテヤ人への手紙5章13~17節)
2019/2/27(水) 午前 8:44 [ shalom ]
5:23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
5:24 あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
 (新約・第一テサロニケ人への手紙5章23,24節)
2019/2/27(水) 午前 8:45 [ shalom ]
 
(私)
シャロームには、保身と自己顕示欲という肉しかありません。それ以外を見たことがありません。まさに、欲望のために、神もキリストも聖霊も利用する悪意しかないペテン師です。
(私)
この聖句に書かれているのは、信仰者への戒めです。背教者に対しては、キリストは、はっきり批判していますし、いってしまえ、とまで言っています。私たち信仰者も、できる範囲のことはしないと、怠慢の言い訳に神を利用することになります。つまり、批判禁忌が、大変な間違いであることが分かります。
 
(楽山)
こんばんは。
難しい文章ですけど、ありのままの自分を受け入れることが、他と良好な関係を築くことにつながるというのは分かる気はします。
思い返してみれば、自分の場合も、ありのままの自分を受け入れるに従って、喧々諤々の議論をすることもなくなってきたと思うので。
2019/2/27(水) 午後 7:52 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
議論をすることがなくなったのは、不都合を総て無視するようになったからでしょう。そりゃ、なくなるでしょう。その態度では、もはや、議論も、真実の追求も、成り立たなくなりますから。いつも、社交の薄笑いを浮かべて、気味悪く・・ああでもないこうでもない・・かなぁ・・とか言ってるつもりなのでしょうか。鈍く根深く腐れてゆくのに。
 
(シャローム)
楽山(自由)さん こんばんは
「2019/2/26(火) 午前 10:10」の最後の私のstさんとの関わりについてのコメントは間違いであることを謝罪と撤回をしたうえで、そのあと私の考えを書きましたので削除せずにそのまま残してもいいのかなと思っています。
 私はだれとの関わりについても言えますが、連れ合いや家族関係も含めて自他未分化を前提としたような関わりに対しては程良い間を取り、互いに自立したありのままのひとりの人として尊重し合い、基本的には不即不離でありたいと考えています。
shalom!
2019/2/27(水) 午後 9:48 [ shalom ]
 
(私)
シャロームは、決して自立ではなく自他も分化しておらず、こともあろうに、神と一体化しているような書きぶりで、つまり、自分と欲望の一体化を神と思い込んでいる様子です。尊重しているのは、自我と我欲であり、書いたものから表れている本質は、離人と妄想の世界なのです。
(私)
キリストに反しているということを、シャロームは、今まで述べたように、罪と悔い改めについて言われても、まだ、わからないのです。どこまでも、わからない人のようです。それで、不正だと分からないものだから、シャロームは、言い訳の壊れた言葉を、これからも、ジョボジョボと大量に垂れ流してゆくのでしょう。
 
(楽山)
自他未分化では、ずいぶん前に聞いたジョークを思い出してしまった。
 A「自分がされて嫌なことは他人にもしてはいけない。自分がされて嬉しいことは他人にもしてあげなさい」
 B「そんなこと言ったって、相手も自分と同じ趣味とは限らないじゃん」
2019/2/28(木) 午前 6:55 [ 楽山 (自由) ]
 
(私)
また、宗教・信仰という真実を追求する普遍的なテーマを、趣味で片づけています。どこかに、前にも書いて私が批判したことがあるのですが、カルト思想に固着した楽山とシャロームは、趣味で信じ込んでいるので、人の話など聞いていないか、気にいらないからと無視して、忘れるのでしょうか、また、初めて言うかのように繰り返します。
(私)
実に軽々しい宗教趣味の同好会のお仲間だと思います。その軽さで生きて、軽さで終わってゆく命なのでしょうか。巻き込まれないようにしてください。
 
(私)
これまで、思い切り、汚い嘘を吐いて、妄想を吐き出して、ありのままを見られる神の前に、どんなに顔と言葉を繕っても無駄である神の前に、己の顔を向けられることが、驚き呆れることである。
 
 
(2019年07月26日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
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http://st5402jp.livedoor.blog/ (移行スピードは速かった)
 
 
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