人の気持ちが分からない楽山
 
 「人の気持ちがわかるには」を読んだ。
 2021年11月23日 幸福の科学とは何だろう?
 
 
書けば、書いただけ、白々しさが表れてくる楽山です。今までの嘘つきの弁が、追いかけてきて、楽山を否定してゆきます。なのに、また、否定を呼ぶかのように、書かずにはおれない楽山です。精神衛生のために、どうか、楽山と、交流しないでください。楽山に、関わらないでください。
 
楽山ほど、人の気持ちが分からない人は珍しいです。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)のために、共感や罪悪感や羞恥心などの高等感情が楽山には、ありまません。楽山にとって、他者は、利用するか、無視するか、あざ笑う対象でしかありません。
 
*心の指針
「人の気持ちがわかるには」を読んだ。
202110 人の気持ちがわかるには― 心の指針203―
・人の気持ちがわかるには―大川隆法総裁 心の指針203―
 」
相手の気持ちを知るには、まずその話をよく聞こうというのには賛成である。人の話を聞くのは大事なことだ。
 
人の話を全く聞かないで無視してきた楽山が言っています。だから「人の話を聞くのは大事なことだ」は、大嘘です。それと、楽山は、アンチではないことが、表れています。ORを否定できないから、読んで、部分的に賛同しているのです。
 
私は、楽山に、部分的にも、賛同できるところは全くありません。これほど、人を欺いてきた人は珍しいと思います。だから、今も欺いているのです。この期に及んで、まだ、当たり前の道徳「人の話を聞くのは大事」を書いているところが、異常者であることを証明しています。
 
*神仏の気持ち
とはいえ、この部分はどうにも気にかかる。
神や仏のように、
はるかなる高次元から、
迷える衆生を見守れたら、
一体どれほど胸がスッキリすることか。
 」
著者は、高みから迷える衆生を見ることに爽快感を感じるのだろうか。
 
楽山に言う資格はないと思います。楽山こそ、霊が分かるっぽい自覚で、インテリ気取りで、高みから見下ろす満悦ぶりが、今まで、数えきれないくらい記事に表れてきたのです。こういうところを見ても、本当に、楽山が、自分を見ることの出来ない人だということが分かります。
 
自分だったら、とてもそんな風にはなれない。たぶん、ハラハラしたり、心配したりで気が休まることはなくなりそうだ。
 
だから、これは、真っ赤な嘘です。楽山が嘘を吐けば、楽山の今までが、嘘を暴いてゆくのです。自業自得とはこのことです。「ハラハラ」も「心配」もせずに、平気で嘘を吐いてきた楽山です。気が休まらないのは、だんだん、誰からも、支持も信頼もされなくなっているからでしょう。
 
また神様とは、高みから迷える衆生を見ているばかりでなく、その傍らに寄り添い、救けようとする存在であるとも思う。もし高みから迷える衆生を見てスッキリしているとしたら、それは神様失格だろう。
 
寄り添い、同伴する神を、楽山は知りません。むしろ、高みから、無神論を引用したり、いちゃもんを言って、人を迷わせ、神を否定してきたのが、楽山です。このペテン師に、どうか、だまされないでください。
 
「高みから迷える衆生を見てスッキリしているとしたら、それは神様失格」・・どういう神のことでしょう。また、楽山に、神の合否を決める資格はありません。さらに、詭弁屋で嘘吐きの楽山に、人の是非を決める資格もありません。
 
好き嫌いで物事を判断するのは、あまり褒められたことではないことは承知しているが、やっぱり自分は著者のこういうところは好きになれないなと思う。
 
信仰は、聖書を読んで、キリストを好きになり、人生の同伴者として、生きる縁(よすが)として頼みとすることです。楽山に褒められる必要は全くありません。といっても、楽山が、世辞以外で、褒めているのは、いつも、楽山自身です。
 
冒頭では著者に賛成し、ここでは、著者を好きになれないと言っています。この記事の文脈は、始めと終わりで、楽山の精神が分裂しているようです。楽山は、基底となる気分と精神が、ボンヤリしているので、そこから何か言っても、一貫性がないのです。
 
楽山は、信頼度ゼロになって久しいのに、言ってることもバラバラなのが書くたびに表れるのに、いつまで、理性も情緒もないところから、繰り言か寝言のような記事を書いて、興ざめさせてくるのでしょう。多くの人に、精神の疲労と危機を与えてきたツケが回ってきているのに。
 
 
薄もやに棲む支離の人

薄もやに棲む支離の人
 
 
(2021年11月25日)
 
 
 
 キーワード: 気持ち
 
 
  意識の怪談
 
私らには奇跡的に意識がある
しかも全く別のことをしながら
確かめたわけではないが
どうやら同じ時を過ごしているらしい
とりわけ私の意識は
私にしかないので
私は離れて暮らしている
しかしすでに私の中には
逝ってしまったはずの意識が
たくさん住み着いている
 
だから悪く思わないでくれ
私が意識を失うとき
君らの中に忍び込むかもしれない
 
失った意識は思うに任せない
逃げようとしても無駄なのだ
いやそうではない
私など人畜無害の
アレルゲンにもならない埃に過ぎないから
隅に置いてもらえばいい
君らは忘れた気持ちでいられるだろう
 
万が一の逆の場合のことだ
君らが私の中に入ってきたとき
私が迎えるに当たって
むさくるしいところへようこそ
と寝起きの顔のまま
欠けた歯をむき出しにして
ニッコリ笑っても
悲鳴を上げないで欲しい
失った意識は逃げようとしても無駄なのだ
 
 
  父に言ったこと
 
昔のことである
父に言ったことがある
大学を留年して進路に迷っていた時期
「言いたいことがある」と言う父に
私は言ったことがある
「僕はお父さんを信頼していない」
 
父は言葉を詰まらせた
「お、お前ねぇ・・・
人の気持ちというものを・・・」
そのあと父が何を言ったか
言わなかったか覚えていない
 
父は読書家である
戦争のために貧しさのために
大学へは行けなかったが
努力家で物知りである
 
父は自らを厳しく律してきた
家族のためである
だからそれなりに
人生観に自信があったのかもしれない
よく説教めいた話をした
 
しかしあの頃だけは
何も言って欲しくなかった
すでに二十代半ばの私を
ただ黙って見ていて欲しかった
 
ずるい私は承知の上だった それが
ひと言で父を黙らせる
最も有効な手段であること そして
最も父を傷つける一言だということも
 
 
  救急車
 
深夜に救急車のサイレン
近づいてくる
止む
遠くないところで
何か不幸でもあったのか
急病人でも出たのだろうな
 
急に思い出して
父と母が二人だけで住んでいる家に
同じことが起こっていないかと
しばしおののく
 
サイレンが再び鳴り響いて
音階を低く変えながら
夜に吸い込まれていく
 
親の安否をちょっとだけ気遣う息子
もう聞こえないサイレンに切り捨てられて
夜に一人だけ取り残された気持ちで
何もできるものかと首を振って
ときに手足をふらつかせながら
仰向けになって
見えない空と戯れている格好だ
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも/楽山日記3さんがリツイート
新無神論bot
@AtheismBotJP
信仰者に対する無神論者の批判は「神は何があっても存在しない!」と主張しているのではない。単に、「自分の主張が真であると主張したいのなら客観的根拠を提出しなさい。それができないのなら、根拠の無いものを真実であると語るべきでない」と言っているにすぎない。基本的なモラルの問題なのだ
午後8:51 · 2021年11月23日
 
信仰者の主張は、神が存在することや、神が真であることや、自分の主張が真であることが、証明出来ることを根拠とはしていない。客観的証拠があるなら、信じる必要はない。なお「根拠の無いものを真実であると語る」のは、楽山に見られる所業である。
 
人が根拠を示せるのは、客観に成りえない個人の精神生活に起こることである。絶望が希望に変わることを経験した者は、その恵みを信じて、生きる縁(よすが)にするのは、至極当然の成り行きであり、客観的根拠など、科学を持ち込んで理屈を求めるのは、勘違いも甚だしい。
 
 
★こも/楽山日記3さんがリツイート
カルト被害相談窓口・心の相談室りんどう
@soudanrindou · 10時間
何度でも繰り返して言いますが、「嫌だな」とか「変だな」と感じたらその感覚を大事にしてください。その感覚はあなたが属する組織や信じている人に「どこかおかしな点がある事」を知らせる大切なサインです。
午前11:39 · 2021年11月24日
 」
午後0:38 · 2021年11月24日 
 
身近な危険に「気づけるチャンスは沢山」あります。「嫌だな」とか「変だな」と感じることから、邪悪な働きに気づいてゆきます。楽山の丁寧語は、そういう嫌な感じに溢れています。楽山は「どこかおかしな点がある事」というより、よく読めば、おかしなところだらけです。
 
楽山は、このツイートを、逃避と自己正当化のために引用しています。楽山の正義の味方芝居に、決して、だまされないでください。長年の自分の嘘と詭弁の罪と偽善から目を背け、他者の目を逸らせようとしています。そのために、切実な真実の追求の言葉を、賛同リツイートしているのです。
 
楽山に、引用またはリツイートされて、気をよくして、楽山と付き合うと、いずれ、ひどい人だと気づくでしょう。しかし、その時までに、とんでもない疲労を味わうことになり、思考と感性が、鈍くなったり、最悪の場合、人格を破壊されることになります。楽山は、良心の敵です。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録(1.が誰のコメントかは不明)
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。一般の「人間の性」などではなく、ゆえに、「自分もそんな風です」などという詭弁の言い訳は成り立ちません。楽山固有の悪と罪と偽善です。
 
発言が、もはや、信頼度ゼロなのだから、たとえ謝罪しても、それが、嘘であることを考えざるを得ない、という、童話の "狼と少年" 状態であります。現に、何度も「反省。とほほ」と書いてきましたが、実は、反省ではなく、反省を、トホホで、おふざけにしてきた楽山です。
 
 
 
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