楽山の無責任引用2
 
 言葉のズレ(幸福の科学と一般では、同じ言葉でも意味が違う)
 2020年12月22日 楽山日記(LD)
  を再録し、改めて批判。
 
 
信仰は、自分の罪を認めることから始まりますが、楽山には、それがありません。そして、楽山は、人のことばかり書いてきます。言葉で、お世話している立場に立って、自己愛と自己中を、さらに、深めてゆくのです。
 
楽山の過去記事ですが、楽山は、堂々とは何も言えず、せいぜい、当てつけか、陰で悪口を言いふらし、あとは、コピペで記事を書いたり、冷静・柔和に思わせるための嘘の芝居で、忠告めいたことを書く、というくらいしか出来ないのでしょう。
 
楽山は、また、自分の卑怯な性質をごまかすために、記事を書いてきました。しかし、その大部分が、他者のサイトからの引用となっており、そのことが、かえって、楽山が、自分では何も書けないことを露呈しています。
 
*言葉のズレ
信者と一般人の言葉のズレについて、Togetterにまとめられていたので、ここにも保存しておきたい。
・一般とは違う幸福の科学の言葉 - Togetter
 」
全体的にみて、皮肉、風刺が効き過ぎてはいるが、たしかにこんな風なのだからおかしい(笑)。
 
おかしい楽山が、何かを、誰かを、おかしいと言うことを、信頼しないでください。楽山は、いかなる他者に向かっても、おかしいと言う資格はありません。楽山は、自己中心の見なしで、おかしいと言っているだけです。また、ゲームのように面白がっているだけです。
 
楽山に、知性や理性があるなどと思わないでください。心の無いところに、知性も理性もありません。知性ではなく無知が、理性ではなく無理があるだけです。楽山は、お山の上にふんぞり返って、人を下に見て、楽しんでいるだけです。
 
心の無い者には、知性と理性の代わりに、ごまかすための、世辞、嘘、詭弁、妄想、自己愛、自己中があるだけです。それらは、総て、無知によるものであり、無理にこしらえるもので、かつ、無恥によって、後悔せず、反省せず、責任を負わず、ズルズルと言い続けるだけなのです。
 
*一例
特に印象に残ったものを、ここにも保存しとく。
 
楽山の記録は、楽山によって恣意的に選択・操作されて出来てゆくものですから、保存せず、破棄してください。いかなる問題を解決するのにも、役には立たないと思います。楽山の印象は、無責任な忘却化、偏見となってゆくだけでしょう。
 
以下のまとめは、別サイトに書いてあるもので、楽山は、何事も、まとめることが出来ません。だから、時により、状況により、言うことが、ころころ変わります。楽山の情緒不安定と高等感情鈍麻によって、楽山の忠告めいた文章は、汚染されています。近づかないでください。
 
「悪魔」
(一般)特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在
(HS)大川隆法や教団に批判的な者、またはおかしいと思ったことをおかしいと口に出して言う者
『嘘』
【一般】
事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽?(いつわ)?り(デジタル大辞泉)
【HS】
幸福の科学に対する批判的な言説。
 」
一説によると大川隆法無謬性信仰を元に、総裁や法を批判するとしたら嘘だからという前提に立つ。
 
何やら、分類しているように見えますが、超常の話です。理路も感受性もない楽山は、現実の大事なことを書けないのです。いつも、楽山は、人をだますために言うだけです。楽山には自己を訂正する機能が全くありません。自己愛に凝り固まっているからです。
 
物知り顔に、楽山が言うのは、他者の文章から無断で持ってきたものか、自前の、嘘と詭弁に他なりません。人のことなど、真実という意味では興味もなく、遊び道具に過ぎないので、何の責任も負う気がないのが、楽山です。
 
『地獄』  
【一般】宗教的死生観において、複数の霊界(死後の世界)のうち、悪行を為した者の霊魂が死後に送られ罰を受けるとされる世界  
【HS】
長いものに巻かれず、勇気をもっておかしいものをおかしいものを言った者が死後に集う場所
 
どちらの意味でも、神も宗教も知らない楽山は、ホラーとしてしか考えることのできないものです。自分以外を、寄る辺とすることが出来ないからでしょう。自己愛絶対に生きる楽山は、宗教と信仰に、生涯、縁のない人なのでしょうか。
 
『社会的信用』
【一般人】
しばしば融資の可否を決める指標となる。収入安定や前科無しなどで測る。
【HS】
教団が大川隆法総裁の霊言に「ある」と主張するもの。
イタコ芸の回数や出版数、お金を出して新聞に広告を載せた実績などで測る。 
 」
 
楽山に前科があるかどうかは知りませんが、楽山には、他者の心をもてあそび傷つける性質があるので、一般の信用も、HS流の信用も、ないということです。現実を無視して、超常を語っておきながら、責任も負わないし学習も修正も出来ないなら、いったい何を信用しろというのでしょう。
 
『自由』
【一般】義務や制限に縛られないこと
【宗教者】欲望・煩悩に惑わされないこと
【HS】大川隆法総裁が許した範囲内で選択できること
『宗教弾圧』
【一般】
個人や集団がもつ信仰を理由に、その個人や集団を差別・迫害すること。
【HS】
幸福の科学に対して他者が批判的なことを述べること。
「批判される=弾圧されている=権力側が恐れている=HSが素晴らしい証拠」と脳内変換させる途中の段階。
 」
 
自由と、自分勝手を、混同しているのが、楽山です。社会道徳を知らず、責任とか反省とかについての知識も弁えもありません。楽山の言動に、この約3年間、表れてきました。だから、何度も、無反省・無責任と書きます。これからも、書くことになります。
 
こういう人は、結局は、信頼されません。それを、全く無視して、書くことをやめない病質が、楽山にはあります。楽山が、書けば書くほど、書いたことが批判記事とともに資料として蓄積することに、楽山は何も危機感をいだかないのでしょう。固定して学習不能だからでしょう。
 
『守護霊 霊言』
【HS】一人にひとりずついる「守護霊」の話。地上に生きている人の「潜在意識」であり、「本心」「本音」そのもの
【一般】大川隆法総裁が生きている有名人に成り済まして行う、通称「イタコ芸」
『証拠・証明』
【一般】質を重視。因果関係も重視
【HS】数量を重視。霊言は数出しているので証明済み。
因果関係は、都合の良いように設定すればそれでよい。
 」
 
楽山は、親戚が霊が分からないっぽいのには驚いた、と記事に書き、楽山自身は、霊が分かるっぽいつもりのようです。しかし、楽山の言う霊とは、宗教的なものではなく、ホラーや超常の用語であり、何も努力しなくても備わっている霊であり、怠慢な楽山を、空想と妄想で満たしています。
 
『常識』
【一般】
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。
【HS】
大川隆法や幸福の科学を批判せず、その言説や活動を尊く正しいものとして共感と賛同の意を以て耳を傾けること。あるいは受け入れること。
 」
 
楽山が「普通の知識や思慮分別」を持っているなら、無反省・無責任ではなかったはずです。つまり、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山には、普通の、良識や、高等感情がなく、ゆえに、罪悪感もなく、人に悪を当てはめる快感だけを求めているのです。
 
楽山は、自分信仰、自己絶対の思い込みが前提にあるので、他者を信じることがありません。丁寧語も、霊性・柔和を装うための手段に過ぎません。ゆえに、正当な理路の組み立てが出来ず、詭弁に走って、まともに見せかけたり、世辞を糊塗することで、ごまかしているのです。
 
ゆえに、楽山は、他者の言うことを受け入れることは、世辞以外にはなく、逆に、いつも、他者を、楽山の安い天秤に乗せて、評価・批評したがるのです。楽山の言動は、総て、気取りによるナルシストの症状だと思います。
 
『信仰の自由』
【一般】どの宗教を信じるか、または何も信じないかも含めて自由なこと
【HS】どの宗教を信じるかの自由。信じない自由は含まれない。
尚、大川隆法総裁が仏陀であることは、「前から知っていた」と「今知った」しかあり得ない。
 」
 
楽山は、自由と、自分勝手を、混同して、キリスト教を、好きなように、何度も、けなして、訂正もせず、反省もせず、責任も負わないで、書き続けている約3年の流れです。これだけ批判されても、楽山は、平気でいられるだけの厚顔無恥です。
 
信頼度は、ゼロであり、自由など重要なテーマについて、楽山に問うのは無駄であり、また、楽山は、問うことに答えられる何ものも持ってはいません。批判目的以外で、楽山を対象にしてはいけません。決して楽山と遣り取りをしてはいけません。恐ろしい疲労が待っているからです。
 
『脱カルト』
【一般】悪しき集団から抜け出て社会復帰すること
【HS】基本的には一般と同じだが、幸福の科学から抜けた場合のみ「転落」と言う
『発展』
【一般】
勢いや力がのび広がること。盛んになること。「都市の―」。次の、いっそう高く盛んな段階に移っていくこと。
【HS】
以前語っていたことと矛盾することを言った時の説明。「法は-する」。
 」
 
「以前語っていたことと矛盾することを言った時」に、何の罪悪感もいだかず、反省も訂正もしないのが、楽山です。否定を言い、肯定を言い、どちらも、言った責任を負いません。真に受けると酷い疲労だけが残ります。楽山は、言論や意見交換の場に、いてはならない人なのです。
 
『深い考え』
【一般】
表面的・短期的なことだけではなく、本質的・中長期的なことも含めて熟考すること。
【HS】
総裁の理解しがたい言動・行動を無理矢理納得するために使う用語。
「これは、主にーがあるに違いない」
 」
 
楽山には「深い考え」は皆無であります。借り物、無断引用、理解しないまま引用しているもの、嘘、妄想、など、邪悪なものだけで、言い逃れに終始します。楽山が、記事を書いて、あるいは、ネットに何かを発表して、さらに深まってゆくのは、「無理矢理」な人格の異常さだけです。
 
『目安』
【一般】当て。 目標。おおよその基準。また、おおよその見当
【HS】基本的には一般と同じ。但し「奉納目安」となった場合は、一般の「定価」とほぼ同義
『唯物論者』
【一般】
観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する価値観を持つ人。
【HS】
①宗教や信仰、霊界、真理に関心を示さない人。暗に一般大衆を指す。
②幸福の科学を批判し、エルカンターレ信仰の意義を否定する人。
 」
 
楽山の唯物論と、信仰についての言は、どちらも、心を考えていない前提です。だから人間の言葉とは到底言えないものです。学者の引用で語りますが、楽山自身は、マンガ・お伽噺・ホラー映画レベルの辻褄だけです。分かってもいないのに学問や宗教の用語を使って見栄を張ります。
 
*反論
今のところ、このまとめに対する信者側の反論は、KENTO氏によるものだけのようだ。
2020-12-22 パスタ氏とジョニー氏は
https://twitter.com/KENTO00687971/status/1340789023216861185
 」
 
引用サイトに書いてあるところの、知らないのに語るな、というのは、楽山の無知と無恥に対して当てはまるでしょう。
 
知らない人が、知らないことさえ知らないのが、いちばんの偽善の悪につながります。楽山が、そうです。中身には理解も洞察も直観もないのに、言葉だけ、人の口を借りながら、執拗で、煩わしいだけの出まかせ状態が続いています。
 
ツイートを読むと、冒涜だ、悪口だ、HSのことを知らないんだという風に、大変に憤慨しているけども、まとめ内容は事実に反するという論証は一つもないことからみると、信者側から見ても、これらは事実であると認めざるを得ないということなのだろう。気の毒なことである。
 
「気の毒」と言って、さげすみ、楽しんでいる、まとまらない楽山です。楽山こそ未熟なのに、他者の未熟を指して、「気の毒」≒ 才能がなくて悟らない人は哀れだ、というニュアンスを伴う言い方しか出来ないのです。まともぶる外道の乱暴者に、だまされないでください。
 
「論証は一つもない」と言っていますが、楽山こそ、論証も、根拠を示すことも、一度もなかったのです。自分を見ないで、人のあら探しをして、批判したつもりになって悦に入る楽山こそ、他者を、婉曲の丁寧語で、疲れさせ、かつ、貶めることしかできない、悲惨で、気の毒な人なのです。
 
*自己を客観的にとらえること
自分がHS信者だったころ、現代新興宗教事典のようなものでHSの項目を読むと、非常に不満に思ったものだった。ワイドショーでHSについてまとめられた動画をみても不満だった。そこに嘘はなくとも、「そんなんじゃない」という激情を抑え難かったのだ。
 
今も、批判に対して、まともな返し、つまり、弁明や反論が出来ず、返してくるのは、批判者についての、捏造の事実や、詭弁や、決めつけ~妄想に過ぎない楽山です。それと、恐らく、楽山には、激情も、情熱も、無いと思います。楽山にあるのは、欲求不満だけだと思います。
 
でも今にして思うと、この時の感覚は、録音した自分の声を聞いたときの感覚と似ているのかもしれないと思う。実際の自分の声は、自分が思っていたのと違っていたのと同様に、実際のHSも自分が思っていたのと違っていたので、そこに戸惑いが生じていたのだと。
 
こういう反省のような発言を真に受けないでください。無反省と言われたものだから、あたかも、反省しているかのような、過ちを認めたかのような、思いやっているかのような、楽山独特の芝居です。「反省、とほほ」とか言うこともあります。
 
反省文を書くときに、「とほほ」とか、書くでしょうか。こうかけばいいじゃろ・・という気安さで、言葉を置いているだけで、その前と後に、全く変化も成長も見られなかったのです。これは、中身のない大根役者、楽山の、低劣な、偽りの三文芝居なのです。
 
楽山の芝居や詭弁を、今まで楽山の言ってきたことが、ことごとく否定しています。真実の追求は、「録音した自分の声を聞いた」ことに喩えられるものではありません。異常な感覚だけで、拙劣な比喩を書いているだけですが、恐らく、楽山は、うまく表現できたと思ってきたのでしょう。
 
言葉のズレではなく、体質的な欠陥ですから、治ることは期待できず、実際、約3年間、変わることなく、成長も改善もすることなく、続いています。自分を見ない楽山は、批判者には決してなれません。楽山は、いわば個人カルトであり、約3年間、嘘と詭弁と無理解しか残していません。
 
楽山の発言の、正当性の証拠が、今まで、ずっと無いので、言えば言うほど、無根拠の嘘の芝居になります。他者を、いつでもだませると、軽く見ている証拠です。楽山は、発言が、ことごとく失言となって山のように積み重なっても、全部無視して、不感不応の独り芝居を続けています。
 
KENTO氏以外にも、上のまとめに反発を感じる信者もいるだろうけれども、この辺りのことに注意しつつ、事実は事実と率直に認め、反省すべきところは反省し、修正すべきところは修正したらいいのではないかと思う。
 
「反省すべきを反省」せず、「修正すべきを修正」しないのが、楽山です。人のことを、とやかく言う資格はありません。注意、忠告、反省・修正を、促している態度を自分に向けることのできない楽山、実に、厚顔無恥の悪魔性であります。
 
楽山の発言は、自己愛に慢心したベースからの出力です。これに頷けば、結局、人間性と共感性を破壊されて、腐った麩(ふ)のような中身のない、偽りの人格模様になるでしょう。どうか、自分の精神衛生のために、精神を侵す公害の楽山に、関わらないでください。近づかないでください。
 
 
単方向

単方向
 
 
(2020年12月26日、同日一部修正)
 
 
 
  不眠と雨音
 
ときに強く
今にも屋根を天井を貫き
身を貫くかのように
上から下へ容赦なく叩きつけて
天からの怒りのようでありながら
絶え間なく打ち続く夜の雨音にも
トトンピチャピチャと撥ねる音
ボトリボトリと落ちて当たる音
流れる水の音が渾然(こんぜん)一体となって
響く夜のシンフォニーは単調ではない
 
絶え間なく落ちてくる水滴は
水となり水に叩かれ水となり
淀み
流れ
躊躇(ためら)うこともなく
変わり続ける夜のオーケストラは変調でもない
 
絶え間なく過ぎている時間にいて
外も内も変わり続けていることに
変わり果てた姿に唖然とするまで
気づかない壊れた楽器は
オーケストラになれない
 
眠れぬ夜のシンフォニーに
しばし耳を欹(そばだ)てて
眠れぬ夜の耳鳴りと区別しながら
もはや明日の目覚めと呼べなくなった
今日の睡眠を水に流している
 
 
  早朝の時間
 
眠れない夜ふと
とうの昔忘れたものに
眠らない夜の向こうから
呼ばれたような気がして
澱(おり)を覗(のぞ)いてみる
 
そう簡単に覗けるはずもなくて
深林のような
墓地のような
来たところから帰るところへ
明日の目覚めは望みません
と祈りさえしたくせに
 
一方では
いきれのような
ほとぼりのような
まだ足りない
まだ足りない
まだ尽くしていないと焦がれていて
いたたまれない時間がまだ残っている
と呟(つぶや)くほどにかすんでゆくから
習慣も癖も拡大しないと壊せない
崩せないフォントの往来だ
 
いってらっしゃいで帰ってくる
ただいまで出かけてゆく
集散も病も活動しないと死にきれない
早(はや)眠れない速度の早朝だ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
嘘ばかり重ねる罪と偽善と崩壊を「これも一種の、人間の性なんでしょうかね」で済ませようとする無反省の楽山は、恐らく一生、反省、とほほ、などと、ふざけて書いても、本当に反省することはないようです。心を持たず、無理解のまま、言葉だけ書いて済む世界など存在しないのです。
 
 
 
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