楽山の地獄めぐり
 
 神は存在する? 存在しない?
 2022年01月09日 楽山日記(LD)
    を批判。
 
 
楽山は、同じテーマを、同じ主張を、自分が通らないならと他者の言葉を引用して言い続けます。ふつうは出来ないことです。正常な精神を持っておれば、批判に何も返せない自分に、恥ずかしくなるか、嫌気がさすか、うんざりするか、改めるはずです。楽山には、羞恥心がないのでしょう。
 
論争ではありません。論になっていません。人真似しか出来ない楽山の繰り言です。だから、こちらも、同じようなことを、視点や角度を変えて書いてゆくしかありません。何も書けないから、他者を利用~引用するのは、今に始まったことではありません。学習ではなく、利用しているだけでしょう。
 
楽山は、無駄が大好きなのでしょう。あるいは、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)によって、読者が、皆、自分に賛同しているという妄想があるのかもしれません。楽山の資料が積み重なることは、必ずしも無駄ではありません。似たような詭弁屋は、他にもいるでしょうから。
 
*まえおき
 神の存在に関する議論について、興味深いツイートがあったので保存し、感想を書いてみる。
*無いことの証明?
中村圭志 神話・宗教学
@seattlelubbock
【神のパズル①】信仰が不利になったときよく切り返されるのが「神が無いとは証明できない」。これは真ですが「ゴジラがいないとは証明できない」など無数の妄想や陰謀論に当てはまる極めて微弱な議論であることに注意。つまり実質的に「神は存在しないも同然」と言っているのに極めて近い議論です。
午後1:31 · 2022年1月3日·Twitter Web App
 」
 
娯楽のフィクションの怪獣映画の「ゴジラ」と、現実を生きるための支えとしている信仰者が仰ぐ「神」とを、並べている時点でアウトと言っていい暴言です。何を言っても分からないほど知恵の遅れている人がいるようなので、もう一度言っておきます。↓
 
神の存在も不在も、人が証明することは出来ません。神は信じ仰ぐ対象です。つまり、存在が証明されたから、不在が証明されないから、信じるのではありません。聖書を通した縁(えん)で、神とキリストを生きる縁(よすが)とするのが信仰者です。
 
率直な感想を言うと、「神が無いとは証明できない」という切り返しは、その人の願望の強さを表しているようだ。ナンセンスな主張をしてまでも、神は存在してほしいと願っているのだなと。
信仰心が強いということは、この願望が人並み外れて強いということであろうし、信者の中にひどい自己中がいるのもこれがためだろう。
 
神の存在は願いでもありますが、個人の人生の体験を通して、否定できないことです。人の生きる縁を、侮辱し、あざ笑うように、ナンセンスと言っている楽山は、今まで、ずっと、ナンセンスです。想像~空想に過ぎませんが、この執拗さは、ハルマゲドンみたいな決算の時でも近づいているのでしょうか。
 
楽山は、意味のあることも、生きる糧(かて)になることも、ヒントさえ、一言も語れません。あらゆる人間の愚かさを集約したモデルとなっているようです。世辞と丁寧語で、さらに、同類の他者を引用して、キリスト教の悪いイメージを、吹き込み、刷り込み、だまされて味方になる人を待っているのです。
 
楽山は、すっ飛んで理路を外れた詭弁と嘘をもって、何の学習機能もなく、同じようなことを言ってくる、いわば、宇宙を漂って足場のない果てしない空転に一生を費やす宿命です。誰も相手にしないでください。宇宙のゴミのようなものです。どうか、楽山の罠に、引っかからないでください。
 
*半々
中村圭志 神話・宗教学
@seattlelubbock
【神のパズル②】「神は在る無いも50・50だ。私は存るに賭ける」。これもありがちな主張ですが、ただ言葉の上で「ある」「ない」が対等になっているので半々という印象をもつだけのこと。「奇跡があるも無いも半々だ」もそう。半々どころか可能性がほとんどないからこそ奇跡と言うのです。
午後1:31 · 2022年1月3日·Twitter Web App
 」
恥ずかしながら、自分はドーキンスの著書を読むまで、神が存在するかしないかは半々だという考え方の間違いに気付けなかった。たぶん、自力では一生気付けなかっただろう。ドーキンスに感謝。
読書はこんな風に、自力では気付けないだろうことを気付かせてくれるので楽しい。
 
「神は在る無いも50・50」ではありません。信仰者にとって、神の存在は否定できないのです。何故なら、既に、癒しと救いを受けているからです。楽山は、何を受けていません。そして、何も与えることもありません。誰の支えにもなりません。キリストを殺した者たちのように笑っているだけです。
 
*全知全能
中村圭志 神話・宗教学
@seattlelubbock
【神のパズル③】神は全知全能と主張されます。この定義もまた「神は存在しているのではないか?」という印象を導きます。つまり99%無さそうと思えても、全知全能ならばそんな人間の予想を覆すとも予想できるからです。しかしそれは「全知全能」という概念自体の言葉遊びであることに注意。
午後1:31 · 2022年1月3日·Twitter Web App
 」
 「神は全知全能である」という定義は、個人崇拝を止めるために役に立つところはあると思う。「神は全知全能である、教祖は間違うことがある、教祖は全知全能ではなく、神ではない」みたいに。
 これには「言葉遊び」的な反論もできなくもないが、とりあえず自分の場合はこの考え方で個人崇拝という悪癖は止めることができた。
 
神を否定することも、現実の皮相を玩ぶ者には、「「全知全能」という概念自体の言葉遊び」であることに注意してください。否定する者の主張には根拠が無いのです。神は、自らの御姿を顕しません。また、地上の現象を説明することもありません。神の秘密だからです。
 
信仰者は、現実に耐えて生きることが必要ですが、楽山のような自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)者は、怠慢のために忍耐せず、神に反逆しているのです。全て、自分に分かって、自分に都合が良いことを、呆れたことに、神に求めて、そこで、神の合否を判断しているのです。
 
そういう楽山らの願いは叶わないだけでなく、逆方向に実現するかもしれません。楽山は、その時を待たれて存在しているのでしょうか。信仰者と、一般の人にとっても、楽山は、人生に余計な謎をかけて、答えのない問いの地獄に誘い込むペテン師であります。
 
*信仰を失う時
中村圭志 神話・宗教学
@seattlelubbock
神概念をめぐるパズル(思考のトリック)はまだまだあります。とりあえず①「神はないとは証明できない」②「あるもないも半々じゃないか」③「神は全知全能だ。人間がとやかく言うのはおこがましい」といった考えがヨギったときには、神信仰の土台は極めて脆くなっていることに注意しましょう。
午後1:32 · 2022年1月3日·Twitter Web App
 」
 
神信仰の土台は、神にあります。ゆえに、信仰の根拠を、人が明らかにすることは出来ません。人は、体験から学ぶのです。信仰体験のない者は、余計なことを言うべきではありません。なのに、そこを忘れさせよう、惑わせようとする企みを楽しみたい、という、楽山が意義もなく存在しているだけなのです。
 
どうやら、とある宗教の信者だった頃の自分は、このトリックに完全にハマっていたようだ。特に③はよく活用していた。「自分の小さな頭で、あれやこれや考えても仕方がない。教祖は仏陀であると信じて、ついて行くだけだ」みたいに。
 
楽山が、正当な宗教の、正当な信者だったことは、ないと思います。もしあったら、今日、このような、不細工で、見苦しい、詭弁を弄して、かつ、何度も繰り返すようなことはなかったはずです。楽山は、宗教の、正反対の部外者、反逆者です。どうか、関わらないでください。
 
楽山から出る言は、一言も受け取らないでください。楽山は、言論を組み立てられない頭と心のカオス的不細工です。受け取れば、混乱が待っています。従えば、破壊が待っています。楽山への、いかなる同情も期待も、裏切りと消耗を返されるだけとなるでしょう。
 
今にして思えば、こういうことを繰り返し、自分に言い聞かせていた頃は、ほぼ信仰は失われていたということなのだろう。だから一生懸命に信仰にしがみつこうとしていた。
 
楽山は、信仰に、しがみつこうと、したことも、することも、ないと思います。自己中で、自分の欠陥を認めない人格には、信仰は、曲がって解釈され、否定され、笑われるだけだからです。楽山のことを、反キリストと呼んでいるのは、そのことです。反信仰と言ってもよいのです。自己中は信仰になりません。
 
いわば、その時の自分にとって、信仰は藁だった。傍から見ればそれを掴んでも助かるわけがないのは明白だろうが、それでも掴まないではいられなかったのだ。これは信仰を失った者の多くが経験していることなのだろうと思う。
 
藁をも掴(つか)むということのようですが、楽山が言えば、信仰は藁のようにくだらないと言っているに等しいのです。楽山は、藁をつかんだことはないと思います。代わりに、悪魔のしっぽに引きずられているのです。いつまで、こういう詭弁が通ると思っているのでしょう。成長してない証拠です。
 
 
ぐりぐりと性懲りもなく赤黒い

ぐりぐりと、性懲りもなく、赤黒い
 
 
(2022年01月10日)
 
 
 
 宏洋氏は、訴訟を起こしたそうだ
 2022年01月09日 
 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
    を批判。
 
 
楽山は、まだ、他人のことを言えると思っているようです。この記事が示すものは、それだけです。病識がなく、罪の意識がなく、言い続ければ何とかなると思っている楽山の、意見ではなく、症状です。
 
*論点
宏洋氏によると、この訴訟の目的は、霊言による被害を防ぐためであるという。霊言という形をとって誹謗中傷が行われ、多数の人々が傷付けられている現状は容認できないと。
 
霊が分かるっぽい自覚の楽山は、霊言による被害に対して、加害者です。丁寧語で、傍観者ぶっても、誹謗中傷の加害者に、楽山は、いつも、含まれます。楽山は、多数の人々を傷つけている現状の加害者の中にしかいません。被害者でも傍観者でもなく、いちばん、卑怯に逃げようとしているのが、楽山です。
 
またマインドコントロールされていると思しき人や、仕事としてこれに加担せざるを得ないだろう人については問題にしないつもりだともいう。
さて、これに対して、幸福の科学側はどのような反論をするのであろうか。
 
マインドコントローでもなく、仕事でもなく、詭弁に自ら加担しているのが、楽山です。人の言うことを全く聞き入れず、弁明も出来ず、まるで本能のようにペテン記事を重ねて、嘘に塗(まみ)れた偽善者の楽山は、反論にならない出まかせを、いつまで、表し続けるのでしょうか。
 
*愛と正義
ちなみに、自分はこの動画を見て、宏洋氏は愛と正義の人だなと思ってしまった。
多くの人々のために立ち上がり、かつ敵方にも温情を与えているようなので。
自分の見方は、甘すぎるかな。
 
愛と正義の人と褒めている楽山ですが、愛と正義の欠け落ちた楽山は、どういう立場で他人の評価とかできるのでしょう。どのように立ち上がれるというのでしょう。どういう、臭いだけの温情を与えるのでしょう。詭弁と言い逃れは、甘い辛いではなく、臭いのです。楽山の目は、自分だけが見えません。
 
 
 
 キーワード:地獄
 
 
  悪魔の臨終
 
軽い手帳はめくられた
涙のように
パラパラと
安い花は乾いて散った
時計を手にした信仰が
秒針のように優しくうなずいて
病者を見つめ
死者を送るとき
哀れみという哀れみが
牢獄のように彼を囲んだとき
そこにいる誰もが知らないところで
とてつもなく激しい嘔吐が起こり
病者は墓穴を求め
はじけた煙のように消え失せた
かわりに年老いた天使が目覚めて言う
「あなたがたが安い施しをしたので
あなたがたが天国を約束されているなら
地獄へ落ちたいと彼は望んだ」
 
 
  自殺した少女
 
やわらかい羽毛の
あたたかいベッドの上で
少女は目を覚ました
白い衣を身にまとった白髪の老人が
穏やかな表情で立っていた
「ここはどこですか
天国なのですか」と
少女がたずねる前に
大きなディスプレイの画面に
映し出された光景は
家族の狂ったように泣き叫ぶ様子
恋人が悲しみのあまり酒を飲み
暴走している姿
そして自らの惨たらしい死体
些細な誤解が生んだ
少女の自殺がもたらす数々の悲劇
誰にも秘密にしていた見苦しい思い出
画面は延々と続く・・
少女は泣き出して言った
「お願いです
どうか私を地獄へ落として下さい!」
老人は哀しげな目で答えた
「娘よ
気の毒だが
ここが地獄なのだ」
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
こちらの言うことを受け取っておれば書き方が変わるはずですが、約3年余りに及んで、楽山が、単方向に同じことを書き続け、同じことを言う他者を引用していることが、楽山の成長と学習の障害を表します。命の終わるまで、償いも反省もなく、不可逆に、非人間であり続けるのでしょうか。
 
自己愛性人格障害で自他未分化の楽山には、他者も自分のワールドに同じように生きるものだという思い込みがあり、自分とは別の独立した存在である他者が違う意見を持つということが、理解できず、受け入れられず、許容できず、言われたら言い返せばよいという単純な短絡を繰り返すのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
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