楽山の嘘プロパガンダ
 
 他人の妄想に巻き込まれた人たち
 2022年03月02日 楽山日記(LD)
 
 
楽山は、ネトウヨだから、嘘のプロパガンダをするのに慣れているのでしょう。こうはなりたくないものです。しかし、一般に、ネトウヨは、プロパガンダをしても、相手を侮辱するというのは、あまり見たことはないです。ネトウヨは自分の味方をしてほしいという目的だからです。
 
だから、楽山は、一般のネトウヨよりも悪質と言えます。嘘を吐き、詭弁を弄して、平気で相手を侮辱することで、自己満悦だけを求めているからです。もはや、人間として付き合うとか説得するとかは無意味になっています。触ってはいけない有害物質として情報を拡散するしかないのです。
 
 
*妄想
st氏の過去コメントを読み返して思ったけど、彼はこんな妄想を繰り返し語っている。
「シャロームから酷い被害を受けた。シャロームはカルトであり、サイコパスだ。新たな被害者を出さないためには、シャロームを批判し、その危険性を皆に知らしめる必要がある。誰もシャロームに近づいてはいけない」(要約)
 
シャロームshalomは「罪は悔い改めなくても許されるから気にしなくていい」と言って墓穴を掘りました。そんなキリスト信仰は、あり得ないからです。楽山は、それを肯定しました。二人については、仲間か、成りすましを疑っていますが、何もキリスト信仰について理解していないことがバレています。
 
シャロームと楽山は、放置すれば、計り知れない害を与えるだろうと思っています。楽山とシャロームについては、まさに「その危険性を皆に知らしめる必要がある」のです。誰も、楽山と「シャロームに近づいてはいけない」と思って批判を続けています。
 
 
聞くところによれば、シャローム氏とその周辺の人たちは、この妄想のせいで多大な迷惑を被ったという。
 
楽山は、「迷惑」と書けば、被害者として、読者が味方に付いてくれると思っているのでしょうか。自分が批判されると、相手を加害者に仕立て上げるのは、批判を理解できない自己中には当たり前に起こる症状です。批判を糧(かて)とせず被害と受け取るのは、議論が出来ない単方向の荒らしの特徴です。
 
 
*本当の被害者
 st氏は自分を被害者としているが、シャローム氏の証言によれば、実際のところはそうとばかりも言えないらしいのだ。
2022-02-22 (12)シャロームさんの本音/読みたい本は
2022-02-22 (14)メーリング・リスト/読みたい本は
・st問題資料集(4_3)st氏の過去、数人もの被害者? ★
 
被害者は、私だけではないと思います。実際、毎度書いている「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」というコメントもあります。
 
私の被害は、楽山との遣り取りで、実に、無駄な時間を費やして、疲労と徒労だけを受け取ったということです。私が、自分のためだけに批判しているのではないことは、書いてきたと思うし、文章からも分かることです。同時に楽山の文章理解力の欠如が分かります。
 
引用されているコメントは、楽山と同じような体質を持つシャロームの、ずっと前のコメントですから、当てになりませし、毎度、批判されにくいように画像で出してくる楽山の根性の悪さを再確認しています。こういうやり方で、当てつけてくる楽山の低劣さを再認識します。
 
私が要求しているのは、もはや、謝罪ではありません。二人が謝罪しても、その謝罪自体が、もはや信頼できないからです。楽山とシャロームは、ネットの言論から永久に撤退するか追放されるべきです。ネットにおける言論の詐欺師、ペテン師、嘘吐き、偽善者だと思っています。
 
 
結局、st氏が「シャロームに近づいてはいけない。話してはいけない」(要約)と繰り返していたのは、こういう情報を知られることを怖れいてたためかもしれない。
 
今ごろ、そういうことを言って満悦するのか・・という気持ちです。むしろ、「こういう情報」・・敷衍(ふえん)してください、というより、敷衍されるように書いてきました。私が「怖れてい」ることより、楽山とシャロームが、同じようなことを繰り返すことこそ、恐ろしいことだと判断しています。
 
 
*変化
ところで昨今は、st氏の妄想はこのように変化しているようだ。
「楽山から酷い被害を受けた。楽山はカルトであり、サイコパスだ。新たな被害者を出さないためには、楽山を批判し、その危険性を皆に知らしめる必要がある。誰も楽山に近づいてはいけない」(要約)
他人の妄想の主人公にされるというのは嫌なものだが、この妄想は対象を取り替えつつ、ずうっと続いていきそうだし、他の人が主人公にされて苦しめられるよりは、いっそずうっと自分が主人公でもいいかなとも思う。
 
批判対象が、シャローム、そして、増えて、仲間か成りすましの、楽山となってきたのです。「対象を取り替え」たのではなく、シャロームは、今、所在不明です。ゆえに、批判対象は、経過として、専ら楽山になっているということです。
 
「他の人が主人公にされて苦しめられるよりは、いっそずうっと自分が主人公でもいいかな」・・ならば、この記事は書いていないはずです。バレバレの嘘を吐く楽山です。また、批判対象は「主人公」ではなく、楽山という嘘吐きの自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)です。
 
楽山は、妄想の対象ではなく、批判されると批判者を加害者だと決めつける被害妄想症の病者です。楽山の、言いがかりの詭弁は、いつものことですが、楽山は脳と心の理解力がないので、こちらを加害者と言い張るしかなく、ゆえに、さらにブーメランで、加害者の無能を証明しているのです。
 
 
*ほぼ被害なし
幸いといったらいいかどうか、私はシャローム氏ほど顔は広くないので、この妄想を信じ込んで、私を非難してくる人は見当たらない。せいぜい、「幸福の科学」信者が二名、これを真に受けていたくらいである。この点は不幸中の幸いと言えるだろう。
 
ネットにおける楽山の顔は、小さくなり、潰れてゆく必然があります。不幸中の幸いは、楽山のブーメラン返しの無意味さと、楽山へのブーメラン返しによって、楽山の言うことが、ますます、どんどん、くだらなくなってきたことです。
 
 
*記録
とはいえ、事実が歪められて拡散されるのはおもしろくない。
また、モラハラ被害の防止のためには記録を残すのも大切なのだという。
モラル・ハラスメント
@mayawhite222
その者は、記憶の塗り替え、事実の隠蔽がうまい。さらに、周囲への情報操作もするため、気づくとこちらが悪者にされていることがある。なので、事実確認や記録の意味でも、自身が受けてきた被害をツイートすることは重要。
午前8:14 · 2022年2月23日·twittbot.net
 」
 
これらは、楽山のやってきたことです。このように、偽善の病質者は、相手を加害者、自分を被害者と決めつけて、自分が言われていることを相手に向けてきます。消耗させるためです。原始的な詭弁の常套手段なのでしょう。楽山の人格が、破れた張りぼてみたいになって、とても醜い現象です。
 
 
というわけで、先日から、過去のコメント欄でのやりとりを読みやすい形にして記事にした次第である。
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・st問題資料集
これは結構な分量であるが、st氏、シャローム氏、楽山との間で何があったのかに興味のある人は、自分の目で見て判断してほしい。
タイトルの末尾に「★」のある記事は、st氏という人物と、この問題のポイントを知る上で重要なコメントが含まれるものなので、それだけ読めば、この問題の大筋は分かってもらえると思う。
 
楽山からの攻撃 = 楽山へのブーメランとなってゆきます。直接の弁明が出来ないために、楽山が狂ったように書いてきた「st問題資料集」・・興味ある人はどうぞ見てください・・ですが、楽山によって、楽山の都合に合わせて、コメントの選択が為されている可能性があります。
 
私のブログの楽山批判のほうは、大方、3年分以上のの批判記事です。再録・加筆もあって、さらに、辛辣になっているかもしれませんが、表現上、文脈上、新しいほうが、私の本心に、より近いと思います。蝿ならば、殺虫剤で済みますが、楽山に対しては、根気が必要です。
 
このように、楽山は、訂正不能で、いかなる恥も感受できないために、不屈の悪意をもって、さらに力を入れてくると思います。力を入れれば入れるほど、かえって破れ目から悪疫の悪い浸出液が漏れ出て、楽山が楽山を、ますます駄目にしてゆくでしょう。何も気づかない楽山です。
 
楽山が、こちらを罵倒してくるのは、自己愛に支配されて、無謬の妄想に固定して、どこまでも、批判者が劣っているという見下ろす立場しか持たないからです。反応が固定されているわけですから、本人によらず、客観的事実によって否定するしかありません。
 
楽山の自己愛性においては、楽山に反対するものは、皆、悪ということになります。独裁者のエゴイストの理路ですから信用するに値しません。恐らく、楽山は、今まで、そういうやり方で、反対者を退けてきたのでしょう。とても原始的で臭いやり方です。楽山を放屁や排泄物に喩えるのはそのためです。
 
楽山に都合のよいように選別されたコメントの、どこが読みやすいのでしょう。楽山は追いつめられると手段を選びません。気をつけてください。楽山は危ない人です。それが、自己愛性人格障害なのです。こういう人が、ネットにいて語ることが、既に、とても異常です。そのための今回の批判なのです。
 
真っ当な自尊心がない楽山は、ねじ曲げることに躊躇しません。今までの経過から、手段を選ばなくなってきています。「読みやすい形」「大筋は分かってもらえる」と書いた時点で、既に、楽山の欺きが、全開になっていると思います。救いがないときに、平気で救いを捏造する楽山です。
 
楽山は、いかなる場合でも無条件に、人や事件を笑いながら語れるでしょう。楽山に、常識や良心や罪悪感がないからです。楽山は、傍で人が死んでいても、次の欲望成就を考えていられます。だから、いつも、冷静にに見せかける乾いた筆致なのです。人間なら持っている深い感情が無いのです。
 
どこかの国のように、楽山は、反省する心を持っていません。言葉だけ表面だけ整え、自己正当化と他罰性に固定して、批判者を加害者、批判される楽山自身を被害者、という決めつけの被害妄想を改めません。ゆえに、不治の病質と判断するしかないのです。楽山は、裏地見るとプッツン君です。
 
 
精神の悪液質 汚泥

精神の悪液質 汚泥
 
 
(2022年03月06日)
 
 
 
  郷愁
 
椅子にうたた寝しながら
誰かの呼び声を聞いた
低く小さい声
やさしげな声だった
 
果てしなく続く
原野を旅していた
暖かいのに
太陽はどこにも見えなかった
空は青くもなく
雲があるわけでもなかった
起伏に富んだ
果てしない原野
誰の心の中だろう
 
金網の向こうに山が見えた
濃い緑に包まれた山々が
どこまでも続く金網は国境である
警備している兵隊はいない
金網をつかんで
もたれていると
人の形をした黒い影のようになった
なったのが見える
それでいてどこか眠たく
金網の
一体どちらが祖国であったかなどと考えていた
 
海辺の岩に腰掛けていた
何故か苛立つ心を抑えきれない
もっと冷たく激しい風を欲して
でも白波のない海に
遠く釣り舟が一そう
よく見えないのに知っているような気がして
 
それが思い出というものだ
呼びながら届かない
呼ばれながら行くすべもない
海鳴りよりも遠く
やがて眠りを誘うだろう
見つからない故郷(ふるさと)のように
 
 
  値踏み
 
一人で思い巡らす人
こいつから学ぶべきことは何もない
むしろ邪魔だ
自ら手を下さずともこの辺が弱み
チクチクとついてやれば
そのうち手も足も出なくなるさ
逃げ出してくれれば願ったりかなったり
この男は役には立たないが
咬まれることはあるまいゆえ
当分は飼ってやるとするか
この人は一応立てておいて
程々の敬意を見せておけばことはあるまい
このお人からは幾らかは頂戴できる
今のところ借りるだけでもよいな
このお方こそ組んで、お味方、お味方
うまくいけばいつかは・・・
ん、ん、・・・フフ
 
私にいくらの値をつけた
人格を値踏みする者よ
 
えっ・・・?
空耳か
 
一人で思いわずらう人
人の気持ちをあれこれと推し量り
自分と比べ
思いあぐねては疲れ果て
寝込んでいる人
見積もれば
自分が誰よりも安くなることだけは知っていた
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
間違っても詫びることが出来ない、自分を正すことが出来ない、嘘ばかり重ねる、保身だけの卑怯者、魅力の欠片もない、失敗した、大きな過ちを重ねる、・・現実を見ないまま、剥離した皮膚をズルズル引きずって、ハイエナは、転びながら、本能が剥き出しです。決して、近寄らないでください。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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http://st5402jp.livedoor.blog/
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