他者を巻き込む楽山
 
 妄想に巻き込まれた人たち(st対策)
 2022-03-18 楽山日記(a)
 
 
楽山は、私が、以前、批判していた対象のHNを持ち出して、注意喚起?のような記事を書いてきました。悪い噂、あるいは、デマ宣伝のような記事になっています。楽山は、元々、そういうことを書く人なのでしょう。つまり、楽山は、理解できず、弁明できず、言いがかりだけになっています。
  
半ばパニックかもしれません。こういうときの自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)は犯罪性が高くなります。今、ネットにおいて、悪質ゆえに、注意・警戒して、かつ、決して近寄ってはいけないのが、まさに、楽山その人です。
 
前と同様、引用されたコメントは画像で、かつ、楽山の恣意によって選択されている可能性があるので、相手にしません。引用しやすいテキストで表そうとせず、弁明・批判する余地も理路もなくしてしまう者の、狼狽の因業と見るべきでしょう。こうはなりたくないものです。
 
 
*妄想(1)
以前、st氏はこんな主張を繰り返していた。
「シャロームから酷い被害を受けた。シャロームはカルトであり、サイコパスだ。新たな被害者を出さないためには、シャロームを批判し、その危険性を皆に知らしめる必要がある。誰もシャロームに近づいてはいけない」(要約)
 
シャロームは偽牧師のペテン師です。そのインチキについては何度も書いたのに、楽山は、仲間だからでしょうか、また、書いてきます。つまり、楽山は、それまでの批判を全く受け取らずに書きまくる暴走の人だということです。
 
精神が未熟で、退行していて、まるで、わがままな子どものケンカのように、悪口と無駄口ばかりで、いちゃもんをつけて、前に進まない文章になっています。それで、ちゃんと書いたつもりになるのです。文章とか、理路とかを、整える動機も能力もない楽山です。
 
 
*妄想(2) 
でもその後は、相手をシャローム氏から楽山に変えて、こんなことをいうようになった。
「楽山から酷い被害を受けた。楽山はカルトであり、サイコパスだ。新たな被害者を出さないためには、楽山を批判し、その危険性を皆に知らしめる必要がある。誰も楽山に近づいてはいけない」(要約)
 
そのとおりです。私自身が、楽山と遣り取りをして、何の糧(かて)にもならない異常な疲労を経験しました。楽山は、無神教カルト、精神病質サイコパス、ゆえに危険性を知らせる必要があるのです。誰も楽山に近づいてはいけないと思います。楽山は、思考が枯渇して、新しいことを書けないのです。
 
 
*被害者
ところで、この妄想の被害者は、シャローム氏や私だけではない。私が知るだけでも、マグマリ、ヨシュア、mine氏などがいた。
 
自称マグダラマリアは、一見柔和ですが、批判すると、人が変わったように怒りだし「ケロッ」「プププ」などと意味不明なことを言って、メチャクチャ罵詈雑言を向けてくるキリスト教系カルトです。
 
自称ヨシュアは、「神の教えを守って完全になる」などと言って、キリスト信仰の敬虔・謙虚・神への恐れ・・などを全く弁えておらず、ひどい罵詈雑言で、サーバーに記事を削除されたこともあります。
 
それにしても、楽山の、自分の言論だけではどうにもならず、人を巻き込んで、平気でいいられる性癖は、信頼を失わせることに気づきもせず、自己中を誇るかのような傲慢な筆致となっています。楽山、シャロームshalom、易坊に共通する厚顔無恥の、罪をなすりつける偽善者ぶりなのです。
 
mine氏については、疑問を感じましたが、継続的に批判していたわけではありません。楽山は、もはや、手段を選ばず、こちらをおとしめたいようです。これが、楽山の正体です。たちのわるい荒らし、品格も何もない下種(げす)なのです。冷静に見える態度は、真っ赤な嘘の芝居なのです。
 
 
シャローム氏の証言では、こんなこともあったという。
st氏は誰かをカルトだと思い込み、粘着、攻撃することを繰り返してきたのだ。おそらくは今後も同じことを繰り返すのだろう。
 
批判を、「粘着」「攻撃」と言っています。これも、前に指摘したことです。楽山の、何も受け取らず、考えず、自己愛からの我執の正当化をして、批判者を侮辱する体質的欠陥が、一種のパニックとして表れています。知性と感性が鈍麻して、経験からの学習の出来ない楽山は、雑言リピーターのようです。
 
 
*根深さ
では、この妄想の根深さはどのくらいかといえば、それは次の発言から察することができる。
https://magtaranomaria.blog.fc2.com/blog-entry-7979.html
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4202269.html
どうやら、st氏の脳内では、自分は凶悪なカルトと命懸けで戦っているということになっているらしい。これはかなり深刻な状態といえるのではないだろうか。
 
楽山は、冷静さは見かけだけで、内実は、凶悪なカルト妄想者です。病識も罪悪感もないのです。私の命は、既に、老人ですから、そう長くはないでしょう。だからこそ、誰も、楽山の被害に遭わないように、注意喚起しています。楽山は、サイコパスらしい悪意で、全く反省もせず、中傷だけの筆致です。
 
 
*注意
st氏は上のような妄想を抱いているせいか、友好的に接している相手であっても、ちょっとした切っ掛けでカルトだと決めつけて口撃に転じることがある。たとえば、こんな風に↓
「今、あなたの正体が分かった。あなたはカルトだ。これまで善人芝居で、私を騙していたのだ。新たな被害者が出るのを防ぐために、批判記事を書き、その危険性を皆に知らせます!」(要約)
 
楽山の言は、結論に始まり結論に終わって固定されたままの被害妄想で、進みようのない訂正不能の開かずの扉から、小児期からの "霊が分かるっぽい?" 自慰的自認から、狭い視野の主張をお漏らししてきます。相手を「決めつけ」だと「決めつけ」るだけの貧相世界に棲んでいるのです。
 
「ちょっとした切っ掛け」どころではなく、楽山の病質は、とんでもない悪意だと、もうずいぶん前に気づいたから、批判しています。カルトというのも、病質というのも、楽山は、「決めつけ」だと言いながら、その根拠を示せません。相当に粗暴な精神の持ち主です。
 
 
私はこれをやられたし、シャローム氏もそうだったらしい。
「ウソの国ー詩と宗教」のst氏と話をする人は、私やシャローム氏のようにならないためにも、よくよく気をつけてほしいと思う。
 
批判を受け取ることの出来ない楽山は、自分の加害を全く自覚できず、自分を「やられた」被害者としてしか見ることが出来ません。批判を批判として受け止めず、楽山は、私が攻撃したという訂正不能の被害者意識で書いてきます。なお、楽山・シャローム・易坊には、同一成りすましを疑っています。
 
楽山に、真面目に議論したい人がつかまると、疲労し人格破壊をきたす恐れがあります。楽山とは、世辞以外、交流~議論不可と判断しています。楽山には、理路も、共感も、成り立ちません。知能も感受性も、元々かどうかは知りませんが、低下・鈍麻しています。
 
楽山は、他にもあるかもしれないが、3つのブログ「楽山日記(a)」「楽山日記(LD)」「幸福の科学とは何だろう?」、そして、3つ以上のツイッターなどのHN、それらを利用して、曖昧なボンヤリ言語、お情けちょうだい芝居のトホホ言語を、単方向で発信する荒らしです。
 
楽山は、自己中心、自己愛妄想、無反省、無責任、無理解、無神経、無思考、応答・双方向不能、不感不応、学習不能、偏見固着、訂正不能、高等感情鈍麻、詭弁、嘘吐き、堂々巡り、エナジーバンパイア、罪悪感欠如、人格破壊、等々です。どうか、精神衛生を守るために、決して楽山に近づかないでください。
 
 
焼かれる 焼ける

焼かれる 焼ける
 
 
(2022年03月20日)
 
 
 
 (断片引用)
 
質素な食卓で食べた果実は
禁断の果実ではなかったか
苛立つ頭を巻き込んで
胸がやけ
後頭部に響く強い酸が上がってきた
充血した眼で唾液を引きずり
塊が糸を引いて連なり
胃の底まで吐き出してしまった
 
赤い実は溶けかかっていたが
子供の頃から知っているような気がした
 
森の中で見つけて眺めていた
今、火の内臓にしみこんでいく
 
血の流れを黒く染めながら
絶え入るばかりの罪の流れだった
 
聖なる嘔吐に清められたかった
暗い床の凹凸に伏していた
動物のように邪気もなく
信じられるものを求めていた
 
 
  夕陽に奪われて
 
エンジンを切るとき
一日は静けさに奪われる
 
置いたヘルメットの上にも
弧を与えて光の切れ味を引いている
 
同じ景色は一つとしてないけれど
正しい形容は一つとしてないけれど
激しく傷ついて天地を巻き込み
夕焼けと呼ばれてこんなにも涼しい
 
子供の頃からいつも無条件で
老いることを知らない
誰に所有されることもない
 
その一かけらも
持って帰ることを許さないのなら
いずれ老いて果てる私の
一生を静けさで奪ってくれ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 」
 
 
良心・良識がなく、病識もない楽山は、罪悪感がないから「謝罪」が出来ないのです。楽山は、やさしい人柄に見える表面的な筆致しかなく、世辞で誘って、話が込み入ってくると詭弁の迷路に誘導します。世辞だけなら普通に見えるかもしれませんが、真面目に相手をすると、破壊的疲労を与えてきます。
 
楽山の、この記事もそうでしょう。双方向の気遣いが全く見られません。ゆえに、批判を理解できず、受け取らず、全部、批判者のせいにします。批判に対して、底意地の悪い嫌がらせや、中傷を当てることしか出来ません。交流の場に、いてはならない病質者だと判断しています。
 
問題は、はるかに大きいのです。いちいち、楽山の言うことに従うことこそが、人格破壊の罠となっています。むしろ、楽山が勧めることには、一切、従わないくらいの気持ちが必要です。それでも表れてくる、塵埃のような、鬱陶しい、心無い、洞察も共感もない、楽山の筆致を問題とします。
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも/楽山日記3
@komo266
返信先: 
@komo266
さん
久しぶりに、st氏のブログを見たら、
シャローム氏が、楽山の読書感想文を批判するなら、その本を読んでからにすべきではないかと注意し、
st氏が、その必要はないと答えてる場面があった。
st氏は真面目に書いてるといいつつ、こういう手抜きをするからよくない。
 
読んでないなら批判するな・・という意味の、楽山のツイートです。楽山らしい、楽山くさい、婉曲、丁寧装いの筆致です。いつまで、乱暴な本性を隠せているつもりなのでしょう。楽山の乱暴・粗暴は、楽山が書いてくる文章の文脈に表れてきたのです。イエスマンしかいない楽山が気づかないだけです。
 
★こも/楽山日記3
@komo266
返信先: 
@komo266
さん
読んでないなら、そのことを正直に明示した上で、控えめに感想を述べるのが普通なのに、st氏の場合はそれでも非難糾弾してくるからおかしい。
そういや、いつぞやは、HS教義の記事に、その知識なしに的外れの文句つけてきてたな…。
 
私が読んでないというのは、楽山が読んだつもりの本のことです。私は、むしろ、楽山が、いかに、本を恣意的に受け取り、都合の良い文言と意味だけを利用~悪用しているかを書いてきました。原本を読んでないことをもって自分への批判を不成立と見なすような、楽山の恣意に従うことはしません。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング