ペテンと気取りの人生
 
 「科学からオカルトへ A・R・ウォレスの場合」渡部昇一著
 2022年04月04日 楽山日記(LD)
   を批判。
 
 
楽山は、人格障害者です。恐らく精神病質サイコパスだと思います。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)であり、潜在か顕在かは知りませんが、反社会性人格障害であろうと思います。病質者という言葉も使っていますが、人格障害者と、ほぼ同義です。
 
楽山は、一見まともに見える文章を書いてきますが、約3年余りの批判を受けても、無視して、同じことを書いてきます。私は、楽山とは議論しません。以前、議論しても、全く無駄だということを経験しているからです。理路に見せかけても、何の糧(かて)にもならず、感性や共感は皆無です。
 
正常な感性と知性が働かない病質者は、議論しても、決して双方向にならず、相手の意見を受け取って考えることが出来ず、繰り返しになり、徒労と疲労に見舞われるだけならマシで、下手をすると人格が破壊されるでしょう。楽山は、危険人物なのです。柔らかい筆致に見えるのは、作為の芝居です。
 
 
*概要
渡部昇一の講義録を読んだ。タイトルは「科学からオカルトへ A・R・ウォレスの場合」であり、『幸福なる人生 ウォレス伝』に収録されているものである。
その内容は、ウォレスの生涯を概観しつつ、科学的思考によって人間には不滅の魂があることを証明した功績を高く評価するものである。
 
「科学的思考によって人間には不滅の魂があることを証明」できないと思います。不滅は、人間の扱えるテーマではありません。恐らく、勢い任せの論調ではないかと思われます。しかも、楽山は、理解していないので、その根拠を何も書いていません。いつものように無責任な徘徊です。
 
 
ダーウィンは人間と動物との差異は程度のちがいであり連続しているとしたが、ウォレスは両者は質的に異なっており連続しておらず、その相違は魂にあるとしたとのことである。つまりウォレスは「科学からオカルトへ」と進んだわけである。
 
人間と動物の質的な違いを語るのに、なぜ、オカルトに進むことになるのでしょう。動物より人間のほうが、高等で、本能だけでなく、精神があるということではいけないのでしょうか。恐らく、楽山は、話を心霊の方向に持ってゆきたいのでしょう。
 
 
*私見
自分はスピリチュアリズムにはさほど抵抗感はないので、ウォレスの魂は存在するという主張にも強く反対するつもりはないのだが、人間と動物のちがいについては連続していないとするより、連続しているとする方がシンプルであり、筋が通っているとは思う。人間と動物とは、身体は全くの別物とは言えないのはもちろん、精神についても進化心理学によれば連続していないと結論付けるのは難しいだろう。
 
楽山は、霊能者気取りなので、スピリチュアリズムに抵抗感がないだけでなく、自身がスピリチュアルだと思っています。ここも、作為の詭弁です。人間と動物が連続していようといまいと、違いが分かっておればよいわけですが、楽山は、自分を特別だと言いたいがために、連続していると言っています。
 
なお、進化心理学について、楽山は甚だしく曲解して、心霊に結びつけています。
「心の理論3」
 
楽山は「人間と動物とは、身体は全くの別物とは言えない」と言っています。内臓や骨格に、人間と動物には、共通する部分がありますが、この議論自体に意味があるのでしょうか。誰も、本質は分かりません。そういう謙虚さがなく、分かっていることを自慢したい楽山は、気安く書いているのです。
 
 
とはいえ言語については、本講義で語られていることは非常に説得力がある。ただ動物も意思を伝える方法を持っていることからすれば、両者におけるこの点のちがいは大きいけれども完全に断絶しているとまでは言い切れないのではないだろうか。私はこう考えるので、言語については人間と動物とでは連続しているとも、連続していないともそう簡単にはは結論は出せないように思える。
 
「完全」とか「断然」という言い方を嫌っているように見せかける楽山は、訂正不能の偏見だけでキリスト教と信仰を否定してきました。曖昧な言い方であることが、企みの根深さを示してきたのです。つまり、楽山は、言い張りはあっても、いかなる結論にも到達することのない精神の病質なのです。
 
 
*勇者
ところで、本書の解説ではウォレスについて次のように書いてある。
ウォレスは、心霊現象研究が災いして、自然科学の方面から疎まれ、心霊現象の存在がなければキリスト教も成り立たないという論文を書いて、伝統的なキリスト教の宗派からも反感を買った。
(中山理「解説 時間を超えた言霊の世界からのメッセージ」『幸福な人生 ウォレス伝』、育鵬社、2020年、p.381)
 」
どうやら、ウォレスは名誉や権威のために口を閉じたり、自説を曲げたりする人ではなかったらしい。こういう勇気と正直さは心から尊敬したいと思う。
 
楽山は、自説を持たずに曲がっており、曲がっているのに権威を気取り、学者を気取り、誰よりも自分を「心から尊敬したいと思」っている異常者です。楽山が、「勇気」も「正直さ」も持っていないのに、有名人を引用するのは、自分を高みに置きたい・・という自己愛の方向しかないからです。
 
楽山のような自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)そしてサイコパスに対しては、丁寧語で書いても丁寧語の世辞が返ってくるだけです。楽山は、それで満悦するのでしょう。有害な楽山に対しては全否定で臨むしかないということです。
 
一部、だまされて、楽山を擁護する人がいるようですが、具体的に批判するのでないならば、せめて、楽山の美味しい具材になるのだけは避けてください。あらゆる手練手管で、作文の、いたるところに、芝居や罠(わな)を仕掛けてくる楽山です。罪悪感が皆無だからです。
 
3年余りの経過において、楽山の発言は、故意の作為であり、真実の欠片も持っていないし、求めてもいません。自分が気持ちよくなり、インテリと思われることを、欲望しているだけです。あらゆる言論を曲げてきます。楽山を受け入れる言論者は、感性が鈍くなり、理路が弛緩してゆきます。
 
楽山やシャロームのようなサイコパスには、徹底した不感不応が固定しています。そうでなければ、どこかで戸惑うはずです。楽山には、反省、共感、といった言葉はあっても、その前後関係において、実質が欠損していることで、何事も本気でないことが表れてきました。
 
サイコパスの言には、その根底において、怨念とあざ笑いが隠されています。楽山のようなサイコパスは、自分が優れていることだけをアピールしますが、柔和な筆致の裏側に、悲しみのうちに後悔したり反省したりすることが全くないことを意味します。それがサイコパスです。
 
サイコパスには、罪悪感がありません。サイコパスには、遺伝因子と環境因子が関わっていると言われていますが、成人に達するころまでに、良心、即ち、高等感情としての、静かな悲哀の感情が育っていないので、反省したり後悔したり自分を見つめたりすることが出来ないのです。
 
楽山は、私のツイッターの通知欄に書き込んできました。私は楽山を出禁にしています。楽山とは双方が成り立たず、議論にならないのは、既に、3年以上前にヤフーブログで経験済みだからです。言うには言うが、まるで受け取らないのが、サイコパス楽山の特徴です。
 
 
人類の敵は、国家でも民族でも集団でもありません。人類の敵はサイコパスです。戦争や残虐行為などの人災の陰にはサイコパスという人格障害者が暗躍しています。楽山がそうかどうかは、知能の問題かもしれませんが、少なくとも、対人関係と社会生活において、既に、破綻した人生を送っているのです。
 
 
昔聞いた話ですが、精神科に精神病質サイコパスが入院してくると、まず、取り囲んでボコボコにするそうです。一切の説得は無駄で、逆らうとこうなるという強制的な条件付けで対処するということです。楽山の不感不応には、似たようなものを感じます。作為の柔和芝居に騙(だま)されないでください。
 
精神病と精神病質は違います。前者は効く薬があり、精神療法があります。後者は、基本的に治療薬はありません。精神療法は、大方、無効です。生活の場を、制限してコントロールするしかないのです。楽山が議論の場にいるのは、病識がないために反社会性に気づかないからです。
 
楽山は、キリスト教を否定しました。しかし、別の記事では、半肯定しています。楽山には、宗教など、どうでもよくて、理解もしていません。自分は、バランスが取れていて柔和だと見せかけたいだけなのです。そういう成り立たない詭弁を仕掛けてくるので、どうか、直接の遣り取りはしないでください。
 
 
病質の脅威

病質の脅威
 
 
(2022年04月06日)
 
 
 
  聴診器の幻想
 
悔いながら懐かしみ
死にそうで生きていけそうで
ここまでは大した心臓で
 
逆流の雑音を奏でる聴診器は
既に昔の熱(ほとぼり)のように
胸を叩く幻想を傍らに
後ろ向きの赤子と
笑う喀痰の老人を同時に記帳して
費え去る収支のページをめくり
破れた扇子を広げ
無知なる未知に語り続ける
 
初めて字を書いたときの
初めて言葉を失ったときの
初めて忘れたと言ったときの
肉体と精神の継続が
幻想でも現実でもなくなるまで
内緒話の途切れ間を
管のカルテに送り続ける
 
 
  飲兵衛さんの思い出
 
昔学生の頃
バイクで帰ってきて
路地へゆっくり入ったところで
赤いお鼻の
飲兵衛(のんべえ)さんが
バイクに近寄ってきて
紙切れのようなものを差し出して
訳の分からないことを
たいそう不機嫌そうに言うもので
うるさいから無視して進もうと
エンジンを吹かし始めたら
怒ってバイクの前に
立ち塞(ふさ)がってしまった
 
腹が立ったが顔を見ると
やり場のないものが
鬱積(うっせき)しているらしい
どうしよう
このままでは帰れない
無理にバイクを前進させれば
ぶつけて怪我(けが)をさせるか
喧嘩(けんか)になって
こちらが怪我するかも知れない
 
しかたないと諦(あきら)めて
エンジンを止めて紙切れを見た
数字が書いてあった
電話番号のようでもあるが
よく分からない
近くの通りの公衆電話のことなど
首をかしげながら話していると
飲兵衛さんの顔が
和(なご)んできた
 
最後にはニコニコ
笑って通してくれた
 
気づいた
怒った飲兵衛の話など
まともに聞く人はいなかったのだ
皆ごまかして逃げるか
力ずくで押しのけるか
 
しかしこの飲兵衛さん
にだってプライドがあった
あちこちで角を立てながら
さらに傷つきながら
求めていたのだ聞き手を
 
関わるまいと逃げる人
から聞く人へ
キーを回して
エンジンを止めるという行為
それは聞き手になりますよという
こちらの意思表示になったのだ
 
あのとき思った
案外精神科医に向いている
かもしれないという見込みは
見事に外れたが
患者になってしまった今は思う
心を病んでいる人も
それぞれの精神の
受け皿を持っている
 
 
 
 2022年04月04日
 「幸福の科学」の抗議活動
  抜粋して批判。
 
幸福の科学は、政治、経済、教育…など、多方面に向けて意見を述べているので、社会全体のためを考えていないわけではないだろうけれども、批判封じのような抗議が目立つせいか、どうも守りに入っているというか、自己保存欲が強い団体だという印象を受けざるを得ないのであるがいかがだろうか。
 
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山は、社会全体のことなど何も考えていません。自我の欲求だけを追いかけています。自身に対する批判封じには、悪口記事を書いたり、仲間を利用して荒らしてきますが、根拠を明らかにしたことは一度もありません。
 
楽山は、不感不応の精神を持ち、学習による成長も発展もありません。活性のない石仏というより形の悪い岩石の硬さで、訂正不能です。そのくせ、文句を言われると、当てつけ、嘘、詭弁を弄して、おとしめてきます。時々焼け石~ヤケクソになり、反省という湧き水を持ちません。
 
カルト批判者を気取っています。学者気取り、評論家気取り、インテリ気取りでもありますが、理路は、この3年余り、一度も整ったことがありません。共感、罪悪感、羞恥心などの高等感情がないので、ネットに表れるというより、湧いてくる虫のような存在です。人格の鈍化という毒を持っています。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
約3年余り批判記事を書いても、楽山は、憎まれ口ばかりで、それで全く平気でいられることが、サイコパスである証拠となっています。そこまで明らかなのに、楽山は、私が反論させないと言って、まるで民主主義であるかのように言ってきます。楽山は、ロシアにように、民主主義から最も遠いネトウヨです。
 
楽山に議論の理路はありません。感性もありません。楽山は、自己愛だけがあって、そこから決めつけの悪口の類だけを投げてきます。どう、のぼせ上がれば、どういう精神状態ならば、楽山のようになってしまうのかは、理解不能ですが、楽山と議論することは、精神衛生上、禁忌です。
 
詭弁によって相手を混乱させてくる楽山と、直接の遣り取りをすることは、既に、3年以上前に、私の精神を守るために、しないと決めています。楽山は、他者の意見を、何も受け取れない人です。私の記事とツイッターで批判して、一般読者に、不感不応の楽山に近づかないようにお願いしています。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
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