福音から遠い者2
 
 
 楽山のツイッターですが
 
書くか引用しないと人生が成り立たないのでしょうか。反省はせずに。
つぶやきでしょうか、いいえ、妄想です。
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
·4時間
キリストは、アメリカや日本にも訪れていたとすることは、モルモン経、竹内文書にも一理ありとすることになりますね。
午前7:13 · 2021年3月28日·Twitter Web App
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これってどうなの@宗教2世
@asasfjgg
昔の幸福の科学は、イエス・キリストの復活とは霊的な復活だと言ってた。
なのに最近は、宇宙人の協力を得て物理的復活を遂げ、その後アメリカ大陸、さらに日本の青森へ渡ったと言うことになったそうだ。訳わからん。
午前1:10 · 2021年3月28日·Twitter for Android
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楽山は「訳わからん」というツイートを引用して、訳わからんのがキリスト教だと言いたいのでしょう。世の中には、霊が分かるっぽい?という妄想をもって、他の宗教を否定する者がいます。楽山です。つまり、自分が教祖願望に酔っているのです。
 
目に見えないあり方で、ということを、霊的、という言い方もしますが、霊的と言うことで、神秘の味を人が加えたがる傾向は、あまり良いこととは思えません。心霊は、超常であり、人間には分からない、自由に扱えない、よく知らない、という敬虔のスタンスを持つべきです。
 
さらに、楽山のような者は、キリスト教が、こんなにバカなことを言っている、あるいは、誰かに言われていると、揶揄して笑うだけです。悪意と作為で物を言う者の定めなのでしょう。聖書から、本から、世辞か笑いのネタを探している楽山です。
 
聖書を読んで、キリストを必要とする人と、笑いか妄想のネタにする人が分かれます。キリスト者であってもなくても、2つに分かれてゆきます。楽山は、後者です。笑いのネタばかり探しているのは、これほど、恵みへの感受性のないのは、人格そのものに問題があると判断しています。
 
神の存在や、キリストの教えに、疑問をいだくのは、正常です。そこから、人の生きた学習が始まり、神の導きが始まるのでしょう。神については、存在も不在も証明できないのに、どちらかを決めてものを言うのは、信仰の概念的固着から自分信仰への落とし穴です。
 
しかし、最初から、おごり高ぶり笑っている妄想家に、真実が届くのは、それこそ、ラクダが針の穴を通るくらい、無理だということです。笑えば笑うほど、怒れば怒るほど、慢心すればするほど、揶揄すればするほど、別の者に愛され、利用され、捨てられてゆくのです。
 
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
19:23
それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。 
19:24
また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
 (マタイ19:23-24、新約聖書)
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
23:23
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。 
23:24
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。
 (マタイ23:23-24、新約聖書)
 
 
地上に生きる人の信仰が、完全になることはありません。
完全という能力が人にはないからです。
 
完全な信仰を求めること自体が間違いであります。信仰が完全になる、あるいは、なったと思うなら、その思いは罪であります。人間である限り完全はありません。神の前に、信仰者であってもなくても、人は罪人です。正直な祈りだけが、人の側の為し得ることです。
 
救われることと、完全になることは別です。信仰の希望は、前者であって、後者ではありません。楽山は、いつも、自らを完全の立場に置いています。だから、インテリ評論家気取りになるのです。
 
ゆえに、おごり高ぶる者は、傲りを信仰し、高ぶりを信仰し、即ち、自分を信仰しているので、いかなる救いも、受け取ることがないのです。神がどうこうというよりも、人がどうこうということで、救いを受けるかどうかは、終末以前に決まってゆくものなのです。
 
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
藤倉善郎YoshiroFujikura@やや日刊カルト新聞総裁
@SuspendedNyorai
確かに隆法って変に正直なところありますよね。信者さんたちも含めて、それがおかしいことだと考えてないから、ことさらに正直じゃなくて普通にしてるだけって感じかもしれないですが、それでも結果、正直っちゃ正直。特に信者さんは基本、ウソはよくないっていう教えにも忠実な真面目な人たちだし。
午後3:58 · 2021年3月28日·Twitter Web App
 
HSは、教祖も信者も正直だというツイートを、楽山が引用しています。「変に正直」と楽山が言っても、不正直よりは、マシです。楽山は正直なところが全然ありません。言い損ないではなく、故意に偽りを言う、つまり、嘘吐きです。それを隠している芝居に、だまされないでください。
 
ゆえに、なおさら、不誠実で、嘘吐きの楽山には、HS批判をする資格はないし、あらゆる宗教と信仰を批判する資格もないのです。楽山の体質的な嘘吐きは、当然ながら、体質的な正直よりは、はるかに性悪です。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の害です。
 
どんどん墓穴を掘ってゆく楽山です。既に、批判されて、その卑しさが明らかにされてゆく途上ですが、ますます、高ぶって、書いては、寒くなる楽山です。楽山が活動するところ、血が通いません。温もりが滅しています。潤いが凍り付きます。
 
 
 
※ 信仰は
 
信仰は、
静的ではなく、動的です。
守ることではなく、求めることです。
保存ではなく、成長です。
達成ではなく、努力です。
到着ではなく、旅路です。
座すことではなく、歩むことです。
境地ではなく、道です。
 
だから、気づけば誰でもできることです。
 
それを可能にするのは正直な祈りです。
 
信仰者は、
得ていると高ぶることをせず、
足らざるを知って低さの弁えを欲します。
 
偽善者は、そこを、真逆に勘違いしてゆきます。あざ笑うかのように。
いつも陰気臭く、意地汚く、鬱陶しい楽山が典型です。
 
 
明るさ芝居が陰気臭い

明るさ芝居が陰気臭い
 
 
(2021年03月30日)
(2022年04月09日、再録+)
 
 
 
  妄想(疑心暗鬼)
 
見えなかったものが
ぼんやりと見えてくる
閉ざされた沈黙の奥に
歪んでいく闇がある
ぼんやりとしか見えなかったものが
血を引くように
薄暗い
顔に近づき
不明の表情を持ち
青白い
体になり
地を離れ
次から次へと
倒れ込むように重なり
命のない眼が訴えるように揺れ
色が揺れ
熱を帯びて
息がさまよい
口が開いて
黒ずんだ肉を求め
吐き出されたものが
輪郭をあらわにするとき
爛れた粘膜を貫いて
暗闇から
鬼の目が光る
 
 
  テレビ
 
あぐらをかいて座っている
男の顔は
肌色を消されて
明るくなったり暗くなったり
赤くなったり青くなったり
次々に変化していく
座っているのは同じ男なのに
幽霊になったり鬼になったりする
男は光源を見ている
光源は男を照らす
光源からは目をそらすことが多いのに
じっと見つめ
泣いたり笑ったりを
光源からもらっている
 
焚火を囲む人たち
その顔は炎の色に輝いている
男の顔も赤くなる
しかし炎の色ではない
炎は熱い
テレビの火は冷たい
火を受けて凍りつく顔
 
外に出て星を見上げた
輝く星の光を受けて
男の顔は真っ暗だ
 
 
  (抜粋)
 
自分を責める心を持っているということが、人間であり続けるための最低条件なのでございます。それができなくなったら人間ではない、人間性を保ち得ない。信仰は妄想か狂信に過ぎなくなるとさえ思うのであります。
 
 
 
 
 2022年04月04日
 「幸福の科学」の抗議活動
 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
  抜粋、批判。
 
幸福の科学は、政治、経済、教育…など、多方面に向けて意見を述べているので、社会全体のためを考えていないわけではないだろうけれども、批判封じのような抗議が目立つせいか、どうも守りに入っているというか、自己保存欲が強い団体だという印象を受けざるを得ないのであるがいかがだろうか。
 
この楽山の文章で、鼻に突くのは、「社会全体のためを考えていないわけではないだろうけれども」と持ち上げておきながら、「自己保存欲が強い団体だという印象を受けざるを得ないのであるがいかがだろうか」と貶(おとし)めていることです。
 
前から書いてきましたが、これが、楽山の、典型的なボンヤリ言語なのです。同時に、評論家気取りでもあります。楽山は、知性も論理性も小学生レベルです。評論など出来る人ではありません。恐ろしく背伸びした見栄張り楽山の悲惨な症状と言ってよいでしょう。
 
批判するために、まず褒めておくって、あり得ないです。しかも「政治、経済、教育…など、多方面に向けて意見を述べているので」というのは、気持ち悪い世辞であり、何の根拠にもなりません。根拠なしで語って、同意を誘う楽山のボンヤリ柔和芝居に、どうか、だまされないでください。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
自分の罪を「人間の性」というのは、いつも楽山がやっている自己正当化の詭弁です。人間の性だから、自分は責められることはない、という意味です。このような詭弁が、いたるところに見られるのが、楽山の言説です。詭弁による誘導、決して引っかかってはいけません。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
  
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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