線形理解
 
 
(ネットより)
線形(せんけい)
線型性 - 変化の度合いが一定で、グラフにすると直線になること。
線形 (路線) - 道路・鉄道などの路線の形状。
葉#葉身の形の分類。
 
"線形" は、一方向に固定した曲解~妄想という意味で使っています。単純、単方向、短絡、訂正不能、などの意味を含みます。楽山は、学識もなく、思考力もなく、共感力もなく、評論家気取りで、偉そうに語りますが、宗教・信仰などの重要なことについて、辺縁をかすったこともありません。
 
 
聖書には、数々の奇跡物語が書いてあります。そういう、キリストが手で触れて病気が治るとか、水の上を歩くとか、僅かの食糧が千人分になるとか、そういう魔法のような超常奇跡を信じ込むことが信仰だと思っている人もいるようですが、間違いだと思います。
 
そういう信じ方をしている人がいるために、キリスト教とキリスト仰は、夢物語として、キリスト教?、アーメンソーメンねとか、奇跡を信じることだとか、視野の狭い人間になるとか・・で、キリスト者(クリスチャン)を定義されるのは、甚だ迷惑です。
 
何故なら、超常奇跡は人間には出来ない神の業(わざ)であり、ゆえに、超常奇跡を信じることによっては、人格は成長しないからです。そこで、思考がストップしてしまった人は、一生、それがキリスト教と思い込んで短絡した偏見のまま生きるのでしょう。それは、信仰とは関係ありません。
 
そういう安っぽいことをキリスト教だと思い込んでいる安直な短絡が、反キリストの立場で暴言を吐いている楽山のような無神教カルト信者であり、また、平安芝居を専らとする嘘っぱちの偽牧師シャロームshalom であり、そういう低劣思想を訂正不能に決めつけている思想は、信仰の迷惑物質であります。
 
そういう安直な短絡した曲解を否定して、キリスト教と信仰と神を否定する輩は、既に、人間として、人間らしい心が欠損し、良心が成長せず、野次馬の罵声のような、幼稚な雑言を吐いて、寒い寒い恥をさらし、かつ、その恥を自覚しないという人格崩壊の地獄を体現しています。
 
 
キリストの奇跡は、とりわけ、物や肉体への奇跡については、あったかもしれない、なかったかもしれない、という解釈にとどめて、保留するべきです。現代において少なくとも滅多に起こっていない物や肉体の奇跡を信じ込むのは、恐るべき神を決めつけることであり、背教と言うべきです。
 
そればかりか、奇跡頼みになって、感受性や思考力や忍耐力などの人間力を損なう可能性もあります。人間を超えることをいくら念じても空しいだけです。信仰者は、超人ではありません。信仰は、人間性の成長を希望して、限られた命を、祈りとともに生きるためにあります。
 
つまり、物や肉体への奇跡については、終末まで保留するということです。決めつけないということです。決めつけや根拠のない確信は、思考と感性を鈍らせ視野を損ないます。信仰は、視野が成長可能である、つまり、心に未知の領域があるという自覚からの敬虔がないと成長できません。
 
楽山やシャロームのように、信仰を軽く見ることで、人間性と人格が崩壊して、訂正不能となり、何を言っても、考えることと感じることが出来なくなり、同じことを返すしかなくなるような妄想だけの反復エラー再生マシンになっている者もいます。こうはなりたくないという最悪の事例です。
 
信仰の敵は、つまり、楽山やシャロームのような自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の者です。サイコパスと近縁です。症状として、楽山の返してくることは、全部と言っていいほど、こちらを悪という前提で書いていますが、その根拠を示したことがないのです。
 
 
キリストの奇跡、とりわけ、キリストの肉体の復活については、あったかもしれない、あるいは、キリストの不滅を象徴しているのかもしれない、という「かもしれない」くらいしか、人間の能力では語れないので、終末まで、保留するべきことです。
 
それを、あったとも、なかったとも、決めつけることは、超常現象が分かり知っているという超人意識であり、信仰ではありません。神は、人間に共感するところの超常の御方です。そのような超常の御方を恐れるゆえに、人間は、超常について断定してはいけないのです。
 
一方、キリストの共感力、キリストの不滅と臨在については、キリスト者は、信仰の中心として、祈りに至るほどに実感しています。幽霊のような存在ではなく、愛されたゆえに愛すべき、共感を受けたゆえに共感を持つようになるところの、救い主として仰ぎたいという実感です。
 
 
この共感が、感性の無い楽山には皆無であります。だから、楽山は、口を開けば、信じてもいないのに信仰について余計なことばかり言います。恵みがないのではなく、恵みに振り向きもしないのです。その身の程を弁えもせず、人格を自ら壊して、信仰の代わりに人格崩壊を広めようとするのが楽山です。
 
知らないことについては黙っておればよいものを、楽山の口は、共感もなく、遠慮がなく、思慮がなく、奇跡が起こらないから神はいない・・というような短絡した幼稚さと獣性によって、疲労物質~病原となっています。楽山の反キリスト性は、理路も、情感も、損なってゆく症例となっています。
 
楽山が最近見せた多量の決めつけ投稿は、楽山の衝動と焦燥と羸痩(るいそう)を表しています。症例として、かなり明瞭です。人間として闇です。信仰については真っ黒です。言論においては、ケダモノです。決して近づいてはいけません。楽山の婉曲言説は、いつも、いつまでも、汚い唾液の病原噴出です。
 
(ネットより)
羸痩(るいそう):
るいそう(羸痩、英: emaciation, 独: Abmagerung)とは、脂肪組織が病的に減少した症候をいう[1]。いわゆるやせ(痩せ、leanness, thinness)の程度が著しい状態であり[2]、症候であることを強調するためにるいそう症[3]、あるいは症候性やせ[4]などと称することもある。
 
 
強がりだけはしたくない

強がりだけはしたくない
 
 
(2022年04月14日)
 
 
 
  別れにⅡ
 
別れが永遠でないのなら
楽しい送別会がふさわしい
にぎやかな船出に
再会の期待と祝福
にこやかな顔が
すがすがしい風の港に並ぶ
けれど包み込むような
緩やかな風の中で
少しでも
ふっと落ちて
戻らないもの
すくいあげたくなったら
果てしない方向へ一歩でも
踏み出したくなったら
別れに
別れを告げている
とうに岸を離れて
見えなくなった船の
去っていった海の
波の彼方に向かって
まだ手を振り続けている
人がいる
 
 
  気づくⅡ
 
あるのか
と問われれば
ないのか
と問い返すしかなく
 
縛られねばならぬのか
と問われれば
それは縛るものなのか
解き放つものではないのか
それまで知らなかった方向を
教えてくれるものではないのか
 
しかし苦痛の種になることもあるし
自問自答を繰り返すうちに
結局気づかなかったことについて
どんな習性をもって
生まれてくるのか
石灰質の殻の中で生まれぬまま
黄色くやがて黒ずんで腐ってゆく
私にとってだけ
ある種の美味の
ほったらかしで申し訳ない
という気づき
 
 
 
(ネットより)
「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」(夏目漱石〔草枕〕)
 
このように、人間は、不完全です。
要するに、住みにくい世を、真実を求めているか、あるいは、だましおおせることを求めているか、という分かれ道で、私は、かろうじて前者を、努力目標にしています。楽山は、ニヤニヤしながら、後者を選んでいるということです。
 
悪意を選んだ者は、悪意によって選ばれた道を進むことになります。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
大事なことを、全く分かっていないことが表れている楽山の言です。反省せず、謝罪せず、平気でいられることが、人格を鈍く、面の皮を厚くして、罪悪感や羞恥心という良心の高等感情を滅ぼしてしまったのでしょうか。良心を滅ぼした後に残るのは、滅びの形骸だけなのです。
 
 
 
 
ロシャのキリスト教は、ひどいことになっているようですが、キレ総主教(?)は、政治ベッタリのようで、大量殺人犯、裏地見る風珍を、ニヤニヤ讃えていました。サイコパスに味方すると、サイコパスになってゆくのでしょう。同教団の他の聖職者が、戦争反対を言っていて少し安心しました。
 
人類の敵は国家でも民族でもありません。人類の敵はサイコパスです。大量殺人が起こるところでは、必ず人間性を失ったサイコパスが暗躍していると思います。日本にも、ネットにも、サイコパスはいるので、権力を持つことがあれば、同じようなことが起こりうると思います。
 
 
 
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