スルーの詭弁3
 
   スルーする人、しない人。2019年06月11日
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41551426.html
   楽山のブログ、楽山日記(LD)の記事を改めて批判。
 
 
楽山は、気に入らないことは無視する、という自己中心カルトの、アドラー教を宣伝してきましたが、音楽家らしい人の記事で、センスが物を言う音楽と、節操が大事な宗教とを、同じように扱って、いったい何を言っているのでしょう。
 
楽山は自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)です。スルーと言って、まともに見せかけても、人の意見を無視する楽山の独善は、最悪、最低です。
 
 
>ツイッター見てたら、次のツイートが流れてきた。
>「批判はスルーすべし!」という考え方のようだ。
 
楽山は、自己肯定をもって、スルーする力が大事であるように言っています。しかし、お手本として挙げているのは、自分の才能に自信を持つことが必要なミュージシャン、ギタリストなのです。こんな常識はずれな言い分が、自分にも通用すると思っている楽山は、異常~病気です。
 
楽山は、柔和芝居の軟派カルトであり、他者を無視する不感不応の自己正当化に、また詭弁を弄しています。楽山は、自分の宗教の才能に、芸術みたいに自信を持ってしまったのでしょうか。はっきり言って、これは、傲慢な自惚れ教カルトにしかならないのです。楽山は異常です。
 
宗教と信仰は、つまり、神を信じることは、才能ではありません。楽山が持たない心の問題です。楽山は、成り立たない自己正当化のために、詭弁と嘘しか言えないのです。楽山は、都合の悪いことを言われると、スルーつまり無視するか、嫌がらせのような当てつけを返してきます。
 
 
ここで、ハタと思い出したのは、
ケリーサイモンさんは批判には、
きっちり反論する人だったということ。
 
はっきり言えることは、楽山は、いかなる批判にも、「きっちり反論」したことが一度もないということです。楽山が、ボンヤリ言語の婉曲と、トホホ言語の謙虚芝居でごまかすのを、もはや、通用させてはいけません。
 
音楽や芸術の場合、感性の才能というのは、人によって質的にも違うのでしょう。自分の才能を疑っていては前に進めない分野だと思います。しかし、楽山のやっていることは、宗教そして信仰という公の義と議論のあるべきことです。少なくとも、節操や分別の必要なことなのです。
 
楽山の見当違いと的外れは甚だしいものです。宗教と信仰にも感性は必要ですが、それは、人並み外れていなくてもよいことです。むしろ、共感をもって、公共に向かって、自分の考えを発表するべきであり、人の意見を無視してよい分野ではないのです。
 
恐らく意図的なのでしょう。今までも、ボンヤリ言語で、他者を無視することを刷り込んできました。そして、批判者に対しては、嫌味を言って、保身を図ります。楽山は、正面を向くことがありません。狡猾に企み、迷路に誘導して、異常な疲労をもたらしてきます。
 
宗教と信仰において、気に入らないことは無視してよい、などというアドラー教の信条は、語るべき何ものも持たない者の、言い逃れに過ぎません。それを宣伝していたのが、楽山です。その通りに、自らの罪業によることでも、気に入らないことを無視してきました。
 
その正当化に、またしても、ボンヤリ言語で、ごまかしながら、アーティスト・ミュージシャンをあげて、それと同じような自身の感性の世界を主張するとは、ナルシシズムも、ここまでくると、手段を選ぶとか題材を選ぶとかいう常識さえも失ってしまったようで、その醜さに呆れます。
 
つまり、楽山には、文脈を考えて、文章に仕上げる知性と感性が、まるでない、あるいは、意図的に操作して、読者に刷り込もうとしているとしか思えません。体質のために知性も感性もどんどん鈍化してゆく楽山に引き合いに出されたほうが、いい迷惑でしょう。
 
 
>でも記事を読み直してみると、
>あんまりくだらん悪口は、スルーするとしてるかな。
>通報して終わりと。
>こうしてみると、やっぱり、スルー力って大事なんだな。
 
この辺が、芸術と音楽を悪用して、自分を同じ根拠に立っているかのように見せかける詭弁でしょう。楽山は、こういう企みに満ちた根っからの病質的虚言者です。楽山の場合、無視することの正当化であり、その理屈を書いたつもりなら、救いようのない詭弁であることは明らかです。
 
 
>ではどうしたらスルー力をみにつけられるかと考えてみると、
 
「スルー力をみにつける」と言って、既にスルーすることが正しい、という前提になっています。音楽家の個人の必要で語られ、誰でも認められるわけではないことを、楽山は悪用します。楽山の言論は、まさに、腐った果実であることが表れています。
 
このように、理由があってスルーすることと、不都合を総て無視することを、表面的な言葉の類似によって同一視して、自己正当化の詭弁を捏造し、罪悪感もなく言ってのける悪意が楽山の言論なのです。やはり、人格の異常を考えないと説明できません。楽山は、精神病質サイコパスだと思います。
 
 
>どうも圧倒的な自己肯定力が要になってそうではある。
>あとは、世の中はそういうものだから、しょうがないという諦観かな。
 
楽山の圧倒的な自己肯定力は、人間とは思えない無節操で不感不応によるところの、他者を圧倒する傲慢な無視の力であります。そういう楽山には、読む限り、圧倒的な、いかなる才能も見い出すことは出来ません。霊が分かるっぽいという霊能者気取りなどの、どれもこれも、気取りばかりです。
 
芸術家や音楽家と同様の独自性を全く持たない楽山が、言葉だけ借りてくるのは、滑稽だけでは済まず、人間関係においては最悪です。これで、気に入らないことは無視する、というアドラー教の信条をすり込んでくる人です。やむを得ない、しょうがない、という言い訳まで挟んでいます。悪魔性です。
 
無視をスルーと言い、自己中病質を自己肯定と言い「世の中はそういうものだから、しょうがないという諦観かな」などと、みんなそう・・みたいな言い方で、だまそうとするのです。この悪質は、訂正不能なのでしょう。決して、関わってはいけない楽山です。詐欺師の発言と言っていいでしょう。
 
 
>自己肯定と諦観って、
>正反対のもののような気がしないでもないけど、
>どっちも大切のようだ。
 
ここで、変な理屈からの感慨を述べて、楽山が言う自己肯定は、この場合、我執の自己正当化を大切と言っているのです。ぜひ覚えておいてほしいです。楽山は、こういう人なのです。自分の都合しか考えない人です。楽山ブログは、手段を選ばない自己中宣伝ブログなのです。
 
自己肯定と諦観は、世の中の壁に当たると生まれやすいものですが、楽山は、誰の何の壁にも当たることなく、都合の悪いこと総てから逃げているだけです。したがって、自己肯定でも諦観でもなく、卑怯な遁走であり、明らかな作為の悪意の自己正当化に他なりません。
 
罪と非を認めず悔いることも改めることもしないシャロームや、荒らしでナルシシストの理屈倒れの易坊に、かなり共通しています。楽山を加えて、この3者には、同一人物による、危険な罠だらけの成りすましという疑惑があります。
 
正々堂々ということから正反対のところで、人を欺こうとする者は、自らが設けた罠に嵌って、ますます、その卑怯な詭弁と、暗示による悪魔的な優しさ気取りの欺きを増悪させてゆくようです。だんだん、本性を表し、恐ろしさを増してくる楽山です。
 
楽山、シャローム、易坊に、どうか近づかないでください。感性においても思慮においても、身の程も弁えず、引用の自己肯定を捻じ曲げてスルーという言葉で無視にすり替えて美化し、都合の悪いこと総てを無視し、性懲りもなく企んで書き続ける、という、とても怖い者たちです。
 
付き合うと、恐らく、なんとなく、楽山を肯定し続ける人がいるかもしれません。それは、人格を自分で破壊する結果になります。つまり、仲間になってからでは遅いのです。それに、いかなることにも、楽山は、責任を負う気はありません。
 
楽山の壊れ具合に、お手本として出されたアーティストが、いい迷惑でしょう。楽山は、他者に対して、言い方だけ白々しい丁寧さですが、侮辱しているのと同じです。こういう記事を、ボンヤリ言語で、さらっと書いて、まともなつもりでいるのは、きわめて異常です。
 
人の迷惑を考えない楽山には、誰も近づかないでください。塵、ホコリ、汚れの類だと思って、それこそスルーしてください。関わって、得られるものも、与えられるものも、良きものは、何もありません。楽山ブログは嘘吐きブログと結論してよいと思います。
 
 
嘘吐きの言い逃れ

嘘吐きの言い逃れ
 
 
(2019年)(2021年)
(2022年07月19日、再録+加筆)
 
 
 
  暗鬼
 
見えなかったものが
ぼんやりと見えてくる
閉ざされた沈黙の奥に
歪んでいく闇がある
 
ぼんやりとしか見えなかったものが
血を引くように
薄暗い
顔に近づき
不明の表情を持ち
青白い
体になり
地を離れ
次から次へと
倒れ込むように重なり
命のない眼が訴えるように揺れ
色が揺れ
熱を帯びて
息がさまよい
口が開いて
黒ずんだ肉を求め
吐き出されたものが
輪郭をあらわにするとき
 
爛れた粘膜を貫いて
暗闇から
鬼の目が光る
 
 
  神と私
 
真理は神にある
人にあるのではない
それを知るところから宗教が始まる
それを「知っている」と言うところから邪教が始まる
 
真実は神による
人によるのではない
それを知るところから信仰が始まる
それを「知っている」と思うところから狂信が始まる
 
言葉は神による
人によるのではない
それを知るところから謙虚が始まる
それを「我がもの」と決めるところから嘘が始まる
 
人には人に
限られた真理
人には人の
知るべき真実
人には人を
生かす言葉
与えられ、蓄えられ
泉のように湧き出づる
 
 
  祈り・神の法廷

人の法廷を恐れるよりも
いかなる嘘も言い訳も通用しない
神の法廷を恐れなさい
そこを仕切るのは全知全能
人は騙(だま)せても
神は騙されない
手練手管・戦略・弁舌・ディベート
あらゆる人の知恵の空しい所
なぜなら総ては余すところなく
すでに知られ見抜かれている
最も恐るべき神の法廷であるのに
ついに一円の宝も
天に積むことのなかった罪人は
しかし祈り願うのであった
救いを求めるかのように
喜びを求めるかのように
ただ一度かけられる
たった一言を
もうそろそろいいだろう寿命だ
迎えに従って昇ってきなさい
神の法廷が待っている
 
 
  嘘とウソ
 
いつか公の場に
引き出されることがあったら
できれば嘘は吐くまいと思っている
今までずっとウソつきだったから
真面目に真剣に
ウソをついてきたから
 
このウソつきの顔から滲み出て
雫にならないまま蒸発してしまう
汗の冷たさ
 
それは生ける屍と廃人の違い
生ける屍は肉体が死ぬまでの間
ときには懸命に
伝えたいことを表そうとする
廃人は肉体的であれ精神的であれ
もはや伝える術を持たない
 
だから廃人などいないのだ
罪があれば裁きがあり
罰がある 身を震わせ
狡さと悪と罪悪感を総身で受けて
限りある打算と情けに助けられて
生ける屍を受け入れてしまって
待つ身でしかない男は
そのとき引き回されながらも
認める他はないのだ
 
もし本当と呼べるものが
あるとしたら このウソと
ウソに住むことだけが
私の温もりと優しさであったと
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
心機一転★こも楽山
@komo266
動画を見たけど、またもや他宗教の神々を低くして、エル・カンターレが一番偉いといってるようだ(笑)
午前9:07 · 2021年7月11日·Twitter Web App
 
「(笑)」うことしかできないようです。恐らく、真面目な批判など、したことがないのでしょう。こういう根性で、楽山は、キリスト教の神を否定したのですが、不真面目で、怠慢で、いい加減で、ゴシップ好きな者が、成長につながらない揶揄だけをしてきたに過ぎません。
 
自己中で、いちばん偉そうにしている、批判者気取り、宗教家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなのは、楽山です。ころころ変わるような揶揄には、どこにも真実に向き合う態度がありません。今も、まだ、人も神も下に見て、何か言えると思っている、醜態のピエロです。
 
心機一転★こも楽山
@komo266
日本の悪いところばかりでなく、よいところも知ろう、日本らしさを大切にしよう、日本も主張すべきことは主張しようとかならまだしも、
HSは、日本が一番偉い、日本は他の国々よりずっと上だと公言して憚らないからヤバい。しかもその根拠は霊言だという…(笑)
午前9:16 · 2021年7月11日·Twitter Web App
 
楽山は、他者のことばかり言います。楽山は、自分を見ることが出来ません。楽山は、日本らしさも、人間らしさも、全く知らないで、人に教えようとします。人の言うことを聞く気のない楽山に、人に何かを教える資格も伝える資格もありません。だから「(笑)」うしかないのでしょう。
 
楽山は、自分が他の人々よりずっと上だと根拠もなく自慢しているようなものです。ゆえに、いつも、他者のことを笑っています。その結果として、人の言うことを聞いていません。霊が分かるっぽいつもりの子供時代からです。霊が分かるというのは嘘で、楽山は、人間が分からないままなのです。
 
楽山は、人の言うことを受け取る器を持っていないのです。もはや、オートマチックに、楽山の言うことの大方が、ブーメランとして楽山に返ってゆくのですが、それにも全然気づかないのです。人のことを言い、自分を見ないということの、持続的な報いが向かってゆく地獄の方向を表し続けています。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
人間は、反省しなければ成長しません。それで、一人前に見せかけるために、楽山は、嘘と詭弁だけを身に着けてきたのでしょう。インテリ気取り、評論家気取り、学者気取り、読書家気取り、どれをとっても、楽山だけが、その卑しく醜い気取りに気づかないままなのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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