楽山のケツの穴3
 
 ケツの穴
 2020年07月11日
 SNS上の誹謗中傷について
 2020年07月11日
 
 
改めて批判します。今回は、ちょいと、おふざけになります。
 
楽山が、ツイッターからコピペして書いているようです。今回は、抜粋しておきます。はっきり言えるのは、自分の、当てつけや詭弁による攻撃性、という、誹謗中傷の中でも、最も悪意に満ちた策略的な、陰険なやり方についての、反省も悔いも、微塵もないということです。
 
楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)のために、自分を、被害者の立場においても、加害者の立場には決して置かないのです。反省するはずがありません。だから、記事に引用して、笑うことが出来るのでしょう。
 
今日の私の記事は、言葉遣いが下品ですが、楽山が、すこぶる下品な言葉を使っているので、私も、使うことにしました。なお、元々、私は、それほど上品ではありません。
 
 
(引用)
みんな 真剣に/受け止め過ぎなんだ/ツイッターなんて/ただの意見に過ぎない/意見はケツの穴と一緒/誰にでもある
 」
 
楽山は、これに反応して、
 
これには思わず笑ってしまった。この大らかさは気持ちがいい。
ただ、この譬え話を知ってしまったからには、今後はSNS上で、汚い言葉を見掛けるたびに、ケツの穴…しかもきちんと拭いていない汚いケツの穴を連想してしまいそうだ。これはつらい。どうかそんなことにはなりませんように…(笑)。
 
「笑ってしまった」「おおらかさは気持ちがいい」、などと軽い扱いで、笑う楽山です。"ケツの穴"、から、「きちんと拭いていない汚いケツの穴を連想」してしまうそうです。楽山が出しているのは、自分のケツの穴から出るものでしょうか。そして、人に浴びせるつもりでしょうか。
 
自分のケツの穴を、除外しているから、笑えるわけです。そう、楽山は、批判されている間、ずうっと、ケツの穴で笑っていたのでしょう。楽山のケツの穴は、そんなにきれいでしょうか、否、今までの、嘘と詭弁によって、糞まみれのような気がします。つまり、汚く笑うケツの穴なのです。
 
明らかなのは、楽山が、全く、自分のこととして考えていないことです。他人のケツの穴と思っているから、拭いてなくても笑えるのでしょう。このように、楽山は、真剣味が何もなく、人も神も、笑って、排泄物扱いする人なのです。
 
このように、自己愛の自己中の偽善者は、病識がなく、どんなことを仕出かしても、他人事で済ませて、たとえ、批判されても、びくともしない不感不応のケツの穴?を身につけているのです。だったら、ケツの穴に相応しいところに住めばいいのです。
 
 
二、三の誹謗中傷に対してはスルー対応もできるかもしれないが、大量に長期にわたっての誹謗中傷に対してはスルーだけで済むわけもないということか…。
 
「大量に長期にわたっての誹謗中傷」・・このように、楽山は、いつも、自分を被害者の側において、スルー、即ち、無視することを、正当化します。そして、そのことが、楽山の体質として、批判のテーマとなってきました。こういう人に、勝手にさせると、議論も交流も成り立ちません。
 
楽山の長期にわたる嘘と詭弁に対して、私は、3年余りにわたる批判を続けています。もちろん、ケツの穴をほじくる趣味はないので、笑ってはいません。私の批判に対して、楽山は、批判と誹謗中傷を区別できないまま、趣味のようにとらえているのでしょうか。
 
 
たしかに、正義の立場から不道徳な行いをただすとか、自分の好きな番組を台無しにされて被害を受けたとか、そういう主張が目立つ。
こうしてみると、被害者意識だとか、正義だとかいうものは、本当にやっかいだ。
 
被害者が、被害者としての意識を持たなければ、悪が栄えるだけです。また、まともな人間なら、正義を考えないで、生きることは出来ません。しかし、楽山は、「被害者意識だとか、正義だとかいうものは、本当にやっかいだ」と言っています。どういうことでしょう。
 
自身の被害者意識を認めないということは、鈍感だということでしょう。しかし、他者の被害者意識を認めない、ということは、他者に対する加害者意識も罪の意識も持たない、ということでしょう。つまり、思いやることが出来ないということです。
 
正義などは、厄介だから、気にしない、気にしなくていい、と宣言しているようなものです。楽山の墓穴が、どんどん深くなってゆきます。楽山は、他者の意見を無視すると、他者の意見は、ますます、大きなうねりとなってゆくでしょう。楽山は、深い深い真っ黒なケツの穴になるのでしょうか。
 
私が、楽山を批判するのは、被害者意識でもなければ、正義と信じ込んでのことでもありません。楽山の書く宗教と信仰の記事が、カルト的で、有害と判断したから、批判しています。これは、判断であって、正義と信じ込むのとは違います。
 
楽山が正当であると分かる弁明があれば、私は、訂正するでしょう。しかし、楽山は、そのような弁明の記事を、この2年余りの間に、一度も書いたことはありません。いつも、被害者意識から、当てつけの悪口と、嫌らしい嘘と詭弁ばかりです。
 
楽山には、嫌らしいという感覚がないのかもしれません。楽山は、今回、「ケツの穴」という、絶妙な喩えを持ち出してきました。まさに、楽山の書く文章は、ケツの穴から失禁されるところの、とても臭い"もの"なのです。痔核があるが自覚はないのです。そして、呆然痔疾なのでしょうか。
 
楽山の口は、その "穴" であり、そして、その、しばしば真っ赤にのぼせるケツの穴を、丁寧語と詭弁のボンヤリ言語で、やさしい "くちびる" に見せかけてきたのです。実際は真っ赤な嘘を吐く口と唇です。だから、いずれ、真っ黒になるでしょう。
 
そして、あろうことか、楽山自身が、人のケツの穴を、自らのケツの穴で、笑っているのです。誹謗中傷、悪口、罵詈雑言のみならず、さらに、嘘と詭弁で塗り固めたような、嫌がらせと当てつけの言葉は、まさしく、いつも未消化の、楽山の、下痢便の臭い臭い失禁であります。
 
私は、批判するときには、辛辣な比喩表現も使ってきました。今回は、楽山が、自分を棚に上げて、しかし、いつもの気取りとは裏腹な、絶好の辛辣な "ケツの穴" という比喩を、提供してきました。つまり、虚飾の言葉を使わなければ、実際は、締まりなくケツの穴まで落ちる楽山ということです。
 
当てつけのつもりが当てつけられる、人を笑えば自分が笑われる、というブーメランという常識を、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山は、考えないのでしょう。笑えば笑われる、人に言ったつもりが自分にぴったり当てはまる、自業自得の楽山の因業が続いています。
 
 
ケツの穴、穴、穴

ケツの穴、穴、穴
 
 
(2020年)
(2021年)
(2022年08月11日、再録+加筆)
 
 
 
  老いと病
 
三十代から始まる
ひとこと言われた後に
続く笑いが気に掛かる
自分は照れ笑いしているくせに
 
事故で入院する
白髪がごそっと増える
面(つら)の皮が厚くなる
鼻の皮が硬くなる
放屁する場所を余り構わない
放屁自体が増えてくる
腸のグルグルが増えてくる
便秘も下痢も増えてくる
小便も近くなる
間に合わないことがある
尿漏れパッドを買ったりする
おむつも買おうかと思ったりする
 
すっかり白髪頭になってしまう
一つ難しいことを覚えると
二つ易しいことを忘れる
覚えた一つも忘れる
ひとこと言った後に
続く笑いに気づかない
ひとこと言われた後に
続く笑いに笑っている
気に入らないのに笑っている
いつまでもいつまでも笑っている
 
以上に気づいて黙ってしまう
人のせいにしたくなる
病気で入院しない
いつまでもいつまでも黙っている
わけにいくか!
と何か言い始める
 
 
   夏の終わり
 
陽射しにからんで
山に吸い込まれる風
風に乗る草
気配のように
乱れて舞う
 
家並みは遠く
乾いた玩具のよう
太陽と山の間で
熱が行き交う午後
 
だるい恐れに疲れて
慈愛の錯覚に落ちても
夢の善し悪しを問わず
旅人の来歴を問わず
 
草原に連なる山の間に
止まったオートバイの横で
小さな墓穴のように
くぼんでゆく命と眠り
やがて黒い点となって
遠景の中に消える
 
小さい光 一瞬きらめいた
オートバイを残して
熱は輝く
あらゆる夏の終わりに
 
 
  穴と窓
 
上から下まで穴だらけ
だが吸い込める穴は三つしかない
でも取り込める窓は無数にある
しかし滅多に窓は開かれない
それでも稀(まれ)に出入りする風
上から下まで穴だらけ
しかして風の方に体液は乗る
 
(人体のことです)
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
心機一転★こも楽山さんがリツイート
片柳弘史
@hiroshisj
相手が不機嫌な顔をしているからといって、こちらも無愛想な態度を取るなら、それは自分の行動を相手に左右されるということ。どんな相手にも、心からにっこりほほ笑みかける。誰に対しても自分のやり方を貫く。それが本当の自由です。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
午後11:31 · 2021年8月1日·Twitter Web App
 」
 
楽山は、相変わらず他者の口を悪用して自己顕示の宣伝を続けています。不機嫌に対して無愛想は、自分の行動を左右されることだそうです。どういう人なのか情報を集めるとか、危ない人なら無愛想どころではなく、逃げるか避ける、等々、多様な状況を考慮しないのでしょうか。
 
「どんな相手にも、心からにっこりほほ笑みかける」・・楽山が三文芝居でやっていそうな、気色悪い芝居だと思います。"ありがたや宗教" か "幸福信じてます教" の境地自慢でしょうか。こういう人は、楽山のような偽善者の世辞の褒め言葉に一番だまされやすいと思います。
 
「誰に対しても自分のやり方を貫く」・・安易な言い方です。楽山は、誰に対しても、自己中の裏道を貫いています。人の言うことを、聞いてるふりして、聞かない者もいるという典型として、まさに、楽山は、丁寧語でごまかして、実は何も受け取っていない、という無視の権化です。
 
信仰の道徳を説いたつもりでしょうか。「それが本当の自由」・・違うと思います。重要な「本当の」「自由」というテーマについて、気安く短く結論してしまうのは、人間を巡る状況の多様性や奥深さを考えない人に、よく見られることです。
 
総ての場合に「それが本当の自由」だと、キリストが言ったわけではないでしょう。言葉は、心を伝える暗号です。聖書は神の言葉でも、聖書を読む私たちは人間の言葉しか持っていません。付け焼刃の言葉を伝えて、考察もしないで公言してしまうのは、説教する態度ではないと思います。
 
説教者の、自己陶酔には気をつけましょう。それを自己満足で気安く引用する楽山には、決して、近づいてはいけません。楽山は、宗教でも思想でも本でも発言でも、自分の妄想に少しでも似ていれば、自分を高めるために利用するのです。楽山の、安い道徳話を受け入れないでください。
 
楽山は、神の存在を否定してたのに、信じないのもよくないが信じ過ぎてもよくない・・などという、いい加減な宗教を考えているようですが、それは、何の救いにもなりません。楽山が何か書けば、楽山の、知性も感性も鈍くなっている病質が表れてくるだけなのです。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 2.の発言は、楽山のケツの穴からです。だから、「反省」という必須の作業を「難しいんだよなあ」「自分もそんな風です」「人間の性なんでしょうかね」などと、必要悪のように正当化する、白々しい嘘と出まかせなのです。このような排泄ばかりしてきたのが楽山です。
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、反省と共感がない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わない、できないし、する気がない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
★こも/楽山日記3
@komo266
記事を読んで思ったけど、悪口と批判の違いはこんな感じかもね。
・悪口…邪推、錯誤、決めつけで、相手を悪く言うこと
・批判…客観的事実に基づいて難点を指摘すること
悪口が投影になりがちなのは、自他を客観的に見ることができていないせいなんだろう。
午後10:33 · 2022年8月9日
 
楽山は、悪口しか書けない人です。客観性がないのは、楽山が、自己中だけの自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。いつも決めつけてきます。根拠を示したことはありません。示したつもりになって上のようなことを書くのは、自分を見る目を持っていないからです。
 
つまり、楽山は、悪質な加害者なのですが、いつも自分が被害者であり、自分は正しいと思い込んでいるのです。楽山は「客観的事実に基づいて難点を指摘」したことは、一度もありません。そもそも、事実というのは、主観によって選択され、解釈が付き、純粋な客観性など、厳密には殆ど無いのです。
 
議論や意見において、大事なのは、解釈の真偽と、説得力であります。それを知らずに、楽山の「批判…客観的事実に基づいて難点を指摘すること」は、楽山の書くことが、先入観か決めつけで、おおよそ、客観性から、ほど遠いという事実が否定します。まだ何か言えると思っているのか。呆れる。
 
 
 
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