修正可能(改)3
 
 
信仰を語る上で
私が何度も強調してきたことに
修正可能ということがあります。
 
人生の学習を可能にすることであり
これは一般的にも
成長するためには必要なことです。
 
罪を認める、悔いる、
祈り、告白する、赦され癒される、
 
反省する、学習する、成長する、
ゆえに、修正可能であります。
 
これらが、個人の信仰において、
密かに起こり続けます。
 
とりわけ信仰については
これこそが神の恵みだと思っています。
むしろ
これだけが神の恵みなのかもしれません。
もちろん
人間に分からないところで
神の導きもあるでしょうけれど
人間が認識できる恵みとしては
唯一だろうとも思っています。
 
そして何よりも
悔い改めこそ他でもない修正なのです。
 
その機会が一生を通じて与えられていることは
あるとき間違えて
ふてくされて神のもとを去ったとしても
いつでも悔い改めることで
すなわち
苦難も罪も正直に告白することで
神のもとに戻ることが許されているということです。
 
 
ある偽善者の言:
「罪は悔い改めなくても許されるから気にしなくていい」
 
悔いる必要も改める必要もないのは
唯一絶対の神だけであるのに
その神に対して
人が悔い改めをしなくてよいなどというのは
まさに人が神に成り上がろうとする背教
そして反逆に他ならないのです。
 
 
キリスト者になるとき
洗礼を受けるときには
私の経験から言うと
罪について殆ど分かっていなかったと思います。
教えられるから認めることにした概念のようなもので
やさしい神様、やさしいキリスト、
そのイメージで一生付き合うと決めただけなのです。
 
悟ったかのように思い込み
のぼせ上がり
預言者気取りになって
思考が誇大的になり
世界を相手に
それこそ天国から物を言いそうなほどの
有頂天の陶酔気分があったような気がします。
 
つまり
修正可能は
すなわち折々の悔い改めは
キリスト者になってからも
ますます必要になってくるということです。
 
神の民になったから完成ではなく
完全になるわけでもなく
目指すべきは
信仰者として人間としての成長であり
ゆえに修正可能
すなわち悔い改めは必要であり
その機会と
そうしなければいけない機会とが
必ず訪れてくるということです。
 
誰かの解釈を真理として
信じ込むことをしてはいけません。
 
聖書の言葉を忘れないのは善いことですが
聖書の言葉だけを
繰り返しておれば信仰というわけではありません。
聖書の言葉は知性と感性の糧(かて)です。
 
聖書は神の言葉でも
人間が人間の概念で
固定して良い言葉ではありません。
 
人間は
人の言葉の知恵しか持っていません。
ゆえに
聖書の言葉を繰り返して
信仰のつもりなら
人の知恵の概念を繰り返しているだけです。
 
人間が神の言葉を受け取るときには
考えることを忘れてはいけないのです。
キリストに共感することが信仰です。
 
自分の生きる力になることを
時々に受け取ってください。
たとえその後に人が外れることがあっても
神は
いつでも悔い改めの正直な祈りに答えて
帰りうる道と機会を用意しておられるということです。
人間が勝手に固定してはいけません。
 
洗礼の機会も大事ですが
洗礼は人から神への決意表明です。
信仰を問われて受洗証明みたいな書類を
出してくるような人もいますから
洗礼という儀式は絶対ではないと言わざるを得ません。
 
それよりも
善悪問わず陰性の感情が激しくなるとき
怒り、憎しみ、恨み、
悲しみ、失望、絶望、
それらのときに祈りのうちに
慰めと癒しを得て
悔い改めて自らの信仰の姿勢を正してゆくことは
キリスト者の義務というより
神が誰にでも与えている恵みであり
はっきり言えば
洗礼の有無にかかわらず
そのときそこに信仰があるという証(あかし)なのです。
 
全知全能の神はそれを見逃すことはないということです。
 
それが全知全能の恐るべき神でありながら
愛の神とも言われる所以であります。
 
救われる条件は
ただ神の前で
本気で精いっぱい正直に祈ることだけであります。
 
全知なる神は
それ以上を人に求めることが無理だということを
すでにご存知であります。
 
ゆえに
悔い改めは
信仰の修正可能と成長を表しています。
 
 
修正可能

修正可能
 
 
(2018年)
(2020年)
(2021年)
(2022年10月04日、再録+加筆)
 
 
 
  ある朝
 
浅い眠りののち
終わろうとしている秋の
まだ暗い朝に目覚める
 
昨日のことを
「だったようだ」という
思い出し方をする
 
頭の中に靄(もや)のように
場所も定まらず
迷う悔い
何か言い損ねた
言葉でもあったのか
 
メモ帳に小さく書き留める
今日の予定
すでに果たされなかった夢の色
映して小さなバラ色だ
 
空が白む頃には
今日の命たちの
また喜びと悲しみが始まる
捨てかねている命に幸いを
 
昔の歌を口ずさみながら
泣けてくる心に別れを告げて
朝の祈りをこめて
昨日にさようなら
 
もう少し眠れていたら
見たかもしれない夢に
さようなら
 
 
  契約
 
今ここに保証のない契約をたてて
旅立つ前の支度のように
転がるプライドを箱におさめ
数々の諦めを袋に集め
泡立つ無知を吹いては鎮め
虚言と余言?を手紙にしたためて送ろうと思う
 
奴隷がしもべに変わるように祈りながら
呪いを自らに向けて
一つの段を降りて
また一つを降りて
もう降りようのないほど降りて
降り尽くしたとき
通じ合えることの乏しさを
触れることもなく
触れられることもないほどに
低く造られたことの喜びを
分かち合える友の少なさを
パン屑の奇跡になぞらえて
汚れの中に身を置いた
空しさの故に約束しよう
 
あなたがたは栄え
この身はいつか森の中に行って罪を悔い
見せない涙のように土に帰る幸いを知ると
 
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
水子といえば、丹波哲郎の話を思い出す。
霊にとって天上界はいいところだから、困難だらけの地上に生まれなくていいとなれば、さっさと天上界に還る、だから水子はいないし、たたりもないという話。
人は天国からしか生まれ変わって来られないとすれば、確かにそういうことになるよなとは思う。→
午前9:57 · 2021年9月23日
 
大霊界の丹波哲郎と、HSの教義の話に、相づちを打っているような楽山です。「確かにそういうことになるよな」・・本気でしょうか。死後のこと、誰が知っているというのでしょう。楽山が、どっぷりカルトの超常話に浸かっているのが分かります。今までずっと超常の沼に棲んでいるのです。
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
HS教義では、幼くしてなくなった魂は、天上界の保育施設で大切に育てられるとしていたように思う。
地上の両親の気持ち…産み育てることができずにごめんなさい…は、天上界の子供にも伝わり、慰めになるとも。→
午前10:03 · 2021年9月23日
 
「天上界の保育施設で大切に育てられる」・・上と同じような超常話を続けています。HSを批判するのではなく、HSはこう言っていると、説明しているのです。影響が抜けていない証拠でしょう。というより、楽山こそは、そういう話をしたがる人なのです。誰よりも超常志向なのです。
 
 
心機一転★こも楽山
@komo266
こう考えると、水子供養のための特別な儀式が必要だとか、水子の祟りだとかは、スピ的にも、その影響を強く受けていた初期HS教義からも、ちと違うんじゃないかと思う。
午前10:10 · 2021年9月23日
 
人に分かるはずもない超常を前提に信じ込む楽山だから、「ちと違うんじゃないか」程度の言い方になります。「水子供養」「水子の祟り」「スピ的」「初期HS教義」という言葉が抵抗もなく並びます。いずれ教祖になりたいから超常話に肯定的になるというのが楽山の本性だと思います。
 
スピ系とも言っていますが、楽山に、そういう、はっとさせるような悟りの鋭い感性など、一度も表れたことはありません。欲望だけの根暗の陰謀の、湿ってヌルヌルした、どす黒い泥水のような、臭い作り話ばかりが、秩序もなく共感もなく、楽山の口から流れ出てきたのです。
 
 
 
楽山の害毒メモ:
 
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
反省が、大事なことだと、全く思ってない楽山の履歴が続いています。「だよなあ」という言い方に騙されないでください。楽山は、知性も情緒も意志も、学習することなく、我欲だけで、言い張りを続けている人格異常者、自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)です。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
(ここは、たまにブログ記事をリンク)
 
 
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング