楽山の攻撃2
 
 「ウソの国ー詩と宗教」を見てみた 2
 2020年10月04日 楽山日記(LD)
   を改めて批判。
 
 
2年前の楽山の記事ですが、決めつけの凄まじさが表れています。楽山の、未熟さと破綻が、どんどん漏れ出しています。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の害毒が、今回は、露骨に表れているようです。荒らしであることを自ら証明していることに気づかないようです。・・長いです。
 
 
*切っ掛け
知名度の高い人気ブログであれば、批判、炎上によってアクセス殺到ということもあるかもしれないが、楽山日記のような閑散ブログの場合は、もとから興味を持っている人は稀であるし、そういう楽山の批判が書かれたり、コメ欄炎上したところで、誰も読まないということなのだろう。
 
楽山の記事やコメントが、読む価値がなく、読んでも嘘と間違いだらけで、むしろ害毒のほうが大きいと判断して、批判しています。信仰を知っているキリスト者にとっては、楽山は、嘘を宣伝しているわけだから、甚だ迷惑で、しばしば、書くのをやめるようにも言ってきたのです。
 
楽山が、読む価値のないブログを書いているのなら、もとから興味を持っている人が稀で、批判も読まないのなら、しかも、今は、コメ蘭も炎上することはないなら、なぜ、こちらに文句を言ってくるのでしょう、なぜ、しつこく書くことだけはやめないのでしょう。なぜ、反応して、悪口を並べるのでしょう。
 
 
いやいや、それは後付けの理屈にすぎないでしょう。
実際には、st氏は、当初、私の記事をほめてました。たとえばこんな風に。(コメント中の「自由」とは楽山のことです)
2020-09-02一応キリスト者のつもりの私より
http://mn266z.blog.jp/archives/17513036.html
 
楽山は、私が、好意的であった頃のコメントを出しています(画像なので省略)。前にも、似たようなことをしてきましたが、それは、私が、楽山の丁寧語に、だまされていた頃の話です。
 
 
でも私が、st氏のシャローム氏に対するストーカー行為を注意しはじめると、だんだんと私に対して批判的になり、最終的には敵認定し、私の書くことは何でもかんでも否定するようになったのです。
ようは、st氏は自分のストーカー行為を注意されたことを逆恨みして、楽山攻撃をはじめたにすぎず、信仰うんぬんというのはそれを正当化するための後付けの理屈にすぎないということです。st氏は、自分の恨みつらみをはらすために、キリスト教を利用しているのです。
 
何だか、前にも見たようなことを書いています。シャロームと楽山を批判することは、信仰者としての私の務めだと思っています。その最終的な裁きは、神に委ねています。
 
「st氏は自分のストーカー行為を注意されたことを逆恨みして、楽山攻撃をはじめたにすぎず」・・とんでもない、これが嫌がらせです。楽山の言っていることは、それだけで、十分に悪質です。今までの批判において、明らかであり、これからも、明らかにしてゆくことが、大事だと思っています。
 
 
「嘘と間違いだらけ」というのは、この記事を読んでいる読者には、例のごとく、st氏が自分の姿を、楽山に投影しているだけだと理解していただけると思います。
 
また、知ったかぶりで「投影」という心理学用語を出してきました。シャロームも同様でした。恐らく、それ以外、何も言えないということでしょう。どちらも、同じ学問用語に、しがみついて、悪用し乱用しているさまを見ても、とても、見苦しいと思います。大人になりそこなった人かもしれません。
 
 
*嘘
また仮にわずかながらも楽山日記を愛読してくれる人がいたとしても、そういう人はstさんとは考えは合わないだろうから、stさんの楽山批判を読んでもそれに影響される人はいないだろう。
 
楽山と一蓮托生のお仲間たちにとっては、自主性も創造性もなく執念深さだけの根性にマインドコントロールされているわけだから、私とは考えが合わないのが当たり前ということです。犠牲者は、やがて、加害者になる可能性があります。
 
私は、私と同じ考えになってくれとか、私と一緒に批判してくれとか、頼むために、批判記事を書いているわけではありません。私の務めとして、誰も関わらないように、楽山やシャロームなどの易坊類が邪悪だという情報をできるだけ広めるために書いています。
 
 
いやいや、先にも書いた通り、st氏は、他も自分に同調することを求める人でしょう。私がシャローム氏と話をしていた時に、シャロームと話してはいけない、話すなら、楽山も批判対象にするといって自分に同調するように強要したでしょう。
 
楽山は、無理やり、こちらの言い分を否定して、「同調することを求める」などと言っていますが、私に同調しようがしまいが、私は、このように、知らせるために、批判を続けているのです。楽山が、不正であるという結論が、この3年以上変わることは、なかったからです。
 
批判は、特に、楽山やシャロームのような、不感不応の無視をする者たちに対しては、難しいもので、対象がキレてしまうと、ここにあるような、決めつけの悪口のシャワーも覚悟しなければなりません。それに、反応がなくても、注意喚起のために、書き続けなければいけないのです。
 
私が、まるでジェラシーでも抱いていたかのように、楽山は、言っています。正直言って、気持ち悪いです。楽山は、理路を正すことが出来ず、反論も弁明も出来ないので、そういう言い方しかできないのです。それが自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)ということです。
 
 
あとは、マリア氏は、st氏が自分に同調しない者を攻撃した事例を挙げてました。
シャロームさんを守ろうとしたクリスチャンにも噛みつきにいき、火の粉がかかっていってました。
それで心苦しくてコメント欄をとじたりしてて、
シャロームさんは、最終的にサイトを閉じたものと推測しました。
 
シャロームは、自主的にサイトを閉じたのでしょうか。違います。ヤフーブログが終了して、所在不明になっているだけです。楽山とシャロームが、同一の成りすましである可能性も、未だ、否定されていません。リアルでは出来ない成りすましですが、ネットには、事実は分からないという性質があります。
 
 
守ろうとした人にまで噛みつきサイトを荒らす、それは異常行動です。普通の神経を持つ人はターゲットは一人ですし、誰彼かまわず見境なく敵とみなして噛みつくのは病気ですね。 
・追記 裏でクリスチャン潰しをしてた人、。- マグダラのマリアの部屋
 
批判対象が、一人とは限りません。集団ということもあるでしょう。シャロームと楽山は、明らかにお仲間です。一度に二人以上を相手に出来るほどの、時間も気力も不足しているので、今は、楽山を批判しているというだけのことです。
 
サイトを荒らす、ということなら、自称キリスト教を名乗るカルトの、自称マグダラマリアの仲間である自称ヨシュアが、私に対して、精神病、人間失格など、たくさんの罵詈雑言を言っていました。怒り狂うところは、楽山も同様なのです。楽山は隠しているだけです。
 
自称ヨシュアと自称マグダラマリアは、"完全になれるんです" と言って、仲間を誘うためにキリストを利用していた偽キリスト教のカルトです。そのままでは、キリスト教とキリスト信仰とキリスト者を台無しにしていゆく人たちです。そういう人は、他にもいるだろうと思っています。
 
楽山は、こちらの弱みを突いたつもりで、いつも、的外れです。いい加減、ふつうなら、破綻に気づくはずなのですが、気づかないところが、楽山の自己愛性の病質と悪意なのでしょう。
 
 
ちなみに、私がアメブロではなく、ライブドアブログに書いているのは、これが理由でもあります。アメブロでは横のつながりができやすいようなので、私に話しかけてくる人や、義侠心から擁護発言をする人が出てくるかもしれないし、st氏がそういう人に噛みつかないとも限らないわけで、それなら横のつながりが薄いライブドアブログの方で書いた方がいいだろうという判断です。
 
横のつながりというのは、そんなに、サーバーによって違うものなのでしょうか。また、実際、そんなに、つながるものなのでしょうか、違うと思います。楽山は、つながりたくない、あるいは、つながるとヤバい、ということなのでしょう。
 
「アメブロではなく、ライブドアブログに書いている」・・楽山は、楽山日記(a)というアメーバブログも書いています。そこは、趣味の記事が多いようだから、アクセスを増やしたいのでしょう。知らないと思っているのでしょうか。リンク集に書いてあるではないか。
https://ameblo.jp/aankzf2019/
 
楽山は、他者とつながるのが嫌なのだそうです。閲覧数の多いアメブロだと、トラブルになりやすいのでしょうか。普通の記事ならば、そんなことはないのです。楽山の書く記事は、嘘と詭弁と誘導の個人カルト思想の記事です。まさに、今回のように。
 
楽山の味方をするのは、シャロームのようなお仲間か、だまされている人たちでしょうから、早く、多くの人が、楽山やシャロームの、嘘とペテンに気づいてほしいと思います。
 
 
ところで、st氏の他者批判は、何度もいっているようにブーメランばかりですが、「執念深さだけの根性にマインドコントロールされている」というのもそれです。
 
執念深いのではなく、放置しておくことの害が大きいという判断です。私が、誰でも批判しているかのような言い方を、楽山がするのは悪口を広めたいからでしょう。この記事がそうです。「ブーメラン」「執念深さ」など、自分に当てはまることを相手に向けるのもそうです。それこそブーメランなのです。
 
 
st氏は、シャローム氏に対して何年にもわたって粘着していたわけであるし、楽山に対しても同じことをしようとしているでしょう。しかも自分に対する批判に反論するというだけでなく、それとはまったく無関係の記事についても、シャローム氏や楽山が書いたものであれば、すべてチェックして、何でもケチをつけるというやり方です。執念深い云々というのは、誰よりもst氏にこそ当てはまります。
 
楽山が書いてくる文章には、一見、違うように見えますが、遣り取り不可の病質が表れます。「粘着」は楽山の得意技です。何を言われても同じことを繰り返し書いてきます。ときに、悪口と嘘と詭弁だけを返してきます。この記事に表れています。誰も楽山に関わってほしくないから批判を続けるのです。
 
シャロームと楽山については、批判しなければ、世辞でごまかすところがあるので、私は、楽山の異常な体質の表れを文章の中に見れば、指摘して批判することになります。全て、邪悪な自己愛性パーソナリティ障害によるものとして説明できるでしょう。病的な悪質であります。
 
この記事こそは、ネチネチと、まるで、やみくもに、ボンドかセメダインをあちこちに貼り付けてくるようです。長い長い、不快を与える言葉が続いています。嫌がらせ以外ではないと思います。しかも、ひとつも、まともに言えていないのです。無反省、無責任に、無理解、無節操が加わってくる暴虐です。
 
 
*人恋しい
ようはstさんが、楽山がああだこうだといくら書いても、現実は変わらないということ。おそらくこれは、shalomさん、マリアさんについても同じだ。stさんがマリア批判をしたところで、それ以降もマリアさんとこは人気ブログであり続けてるし、shalom批判をしたところでshalomさんが皆から糾弾されるということもないし、shalomとの会話を拒否する人もいないだろう。
 
ネットでは、興味本位のブログが多いですから、だいたい、批判記事というのは、嫌われる傾向であることも知っています。突っ込んで批判とか書かないほうが楽でしょう。そのことが、病質者に温床を与えることにもなっています。
 
時間と意欲のある人だけが、偽善者、サイコパス、異常人格などを指摘し、彼らがネットの交流やコミュニティに参加することを否定し批判します。病質者は、基本的に、不治で、変わりませんから、彼らにダメージを与えることよりも、むしろ、閲覧する人への注意喚起という意味があります。
 
相手が変わるかどうかではなく、間違っているということを、書けるのに書かないでいることは反信仰を放置したという罪であり、自分の信仰に反することになるので、批判を書ける人、あるいは、書こうという意欲のある人は書くべきなのです。ただ、とても疲れることを覚悟しないといけません。
 
訪問者数に依存したブログを書くなら、興味本位の書き方を工夫したりするのは、ありなのですが、本来、私のブログが信仰の記事を正直に書くということ動機なので、批判についても、嫌われ、読まれなくなっても、言いたいこと、大事だと思うことを最優先に書くように努めています。
 
楽山もシャロームも、お仲間や訪問者数が少ないことを、おとしめる目的で書いてきますが、それは、節操も使命感も持っていない、例えば、極端な場合、流行るかどうかだけを判断の基準としているような香具師(やし)か的屋(てきや)みたいな下劣な姿勢と体質を表しているということです。
 
 
st氏は、人から嫌われても、訪問者数が少なくても構わないかのようなことを書いていますけれども、実際の行動はそれとはちがいますね。
ヤフーブログ時代、st氏は、他ブログの記事に「ナイス」を押しまくっていたでしょう。このことを、マリア氏から、自ブログのアクセス稼ぎのため、ナイスのお礼返しを期待してのことだと指摘されてた。
 
ヤフーブログにまでさかのぼって、ナイス、という懐かしい言葉が出てきました。お気に入りや訪問者を大切にするということを、してこなかった者の言い分です。そして、アクセス稼ぎという、汚い言葉遣いになっている、ディスりまくっている楽山です。ボロが出ています。
 
アクセスは、稼ぐものではなく、知らせることによって、見てくれたら感謝・・という希望であり、それ以上を期待していはいないのですが、楽山は、そういう記事ではなく、多くの人をだまそうとしているので、アクセス稼ぎなどと言って、自分で何とかするものだという先入観のようです。
 
私は、許されたことはしている、できることはしている、というだけのことです。ブログ巡りして「いいね」を入れることは多いけど、それは、ときに心が和むことへのお礼であり、お互い頑張りましょうという無言の挨拶でもあります。哀れなほど、楽山の精神の貧困が浮き彫りになっています。
 
楽山は、自己愛・自己中だから、巡ることもせず、「いいね」も入れないんでしょうか。それは、独自性というより、冷酷な人間嫌いだからです。自分が正しいという我執から、人を低く見ているから、どうでもいいのです。ボタンがあれば楽山に「わるいね」「ひどいね」をいっぱい押したいところです。
 
 
st氏のアメブロを見た限りでは、今も同じようなことをやっているみたいですね。相互フォローを期待して、フォローしまくったり、いいねをしまくっているのではありませんか。
 
しまくってはいませんが、フォローするのは、悪いことでしょうか。いいねを入れるのは、悪いことでしょうか。楽山は、頭がおかしいのでしょうか。他者の気持ちを何とも思っていないから、こういうことが言えるのです。楽山の、悪質な、人間嫌いと厭世モードが表れています。そういう人生なのでしょう。
 
 
また、st氏はスルーされるとすごく怒ります。自分の批判にこたえないのはいけないとか何とか。もう二度と口をきいてもらえないような酷い悪口を言っておきながら、相手が自分と話してくれなくなると怒るのです。何をいっても不感不能はけしからんとか何とか言って。
 
私の人生は、基本的には孤独な時間を愛するタイプです。社交家ではありません。スルーという単純な問題ではなく、宗教を侮辱しながら、人の意見を無視する楽山に対して批判を書きます。楽山は、共感性に欠けており、悲哀の感情を持たず、悪意と敵意を、丁寧語でごまかしているのです。
 
他者の意見を無視して、自らの安穏を図るのは、シャロームと楽山の得意技であり、まるで、自己中を勧めるアドラー教のようですが、アドラー教について、シャロームは肯定、楽山は宣伝者です。なお、楽山は無神教カルト、シャロームは偽牧師だと思っています。同一の成りすましなら最悪です。
 
 
今はどうか知りませんが、ヤフーブログ時代は、心身の不調をよく訴えていました。まるで死期が迫っているかのような書きぶりでした。でも今もブログを続けていることからすると、実際はそこまで状態が悪いわけではなく、誰かにかまってほしくて大袈裟なことをいっていただけなのでしょう。
 
高齢ですし、持病もありますから、体調は、今も不良で、進行中ですが、それを、あげつらうことに、抵抗を感じないのは、楽山が、高等感情のない冷酷な人間で、今は、さらに逆上している証拠です。このように、個人の事情をあげつらうのも、荒らしなどのネット不良の特徴です。証拠になります。
 
 
こういう過去からすると、人から嫌われてもいいから、自分の思いを正直に書くというのは、ただの強がりとしか思えません。本音は、〈人恋しくてたまらない。自分の心を正直にさらけ出し、ありのままの自分を理解してもらった上で、自分の欠点も含めてすべてを受け入れてほしい。そういう人と出会いたい〉ということでしょう。そしてその期待が満たされないと、逆ギレして、ストーカー化する。自分を受け入れてほしいのに受け入れてくれなかった人、自分が甘えたかったときに、甘えさせてくれなかった人を逆恨みして、復讐しようとする。
 
吐き気がします。道徳に真っ向から反している楽山が、道徳を教えるのでしょうか。こういう白々しさも病質の特徴です。ストーカーするほどの魅力は、楽山にも、シャロームにも、皆無です。批判対象に対しては、その文章を見るたびに、不快で、吐き気や寒気を催すこともあります。
 
しかも、さらに、楽山は、惑わし言葉のボンヤリ言語で、無責任に、評論家気取りで書いてくるから、詐欺であり、悪事であると判断して、批判しているわけです。今回、決めつけの悪口しか言えないことを、ごまかしようがなくなっています。吐き気がします。
 
こういうことは、何度も言っているのに、理解力がなく、批判返しが、シャロームに酷似していて、同じ悪口の繰り返しで、投影という決めつけも今に始まったことではありません。読者が、間違って近づくことのないように、批判を続けてきました。今回、悪意を隠さないようです。
 
 
これは見当外れの推測にすぎないかもしれませんが、いいね、フォローをしまくり、相手に酷いことを言っておきながらその相手からの返事を欲しがったり、拒絶されても拒絶されても執拗に絡んでいったり、他から酷いことをされただとか、今にも死にそうなほどに苦しいと泣き言を繰り返したり、さらにはシャローム氏や楽山など、一時は親しくしていた相手に対して、苦言を呈されて以降、一転して、悪口を言いふらすようになったこと等からすれば、当たらずも遠からず…といったところではないかと思います。
 
「推測にすぎない」と言いながら、ここまで書けるのが、傲慢不遜の、楽山という病質者です。これが、ボンヤリ言語です。優しさを気取りながら、相手を、地獄に落とすようなことを平気で書いてくるのです。罪悪感も、良心の欠片も、元から、ないのでしょう。
 
「一時は親しくしていた」ことを恨んで指摘してきますが、相手に対する評価は、良いほうにも悪いほうにも、変わってゆくものです。楽山は、親しくしたら、一生親しくしなければならないと言いたいのでしょうか。そういう思い込みは、怖いです。これも病質だと思います。
 
もはや人間とは思えないのを、病質、人格障害と言います。精神病とは違います。精神病には、効く薬があり、正直な人が多いです。楽山のような、平気で嘘を吐く、いわゆる虚言癖は、人格障害に多いようです。バレるたびに、憎まれるでしょう。だから、末路が悲惨になるです。
 
ブログを書いて公開して、何らかの反応を希望しない人がいるのでしょうか。それは、楽山のような、自己中からの芝居で、評論家気取りで、大きなテーマに、いちゃもんをつけることで、お安く満悦するような、自己愛の病質者だけだと思います。
 
フォロー対象サイトを巡るのは、悪いことでしょうか。「いいね」を入れるのは、悪いことでしょうか。言うまでもないことですが、楽山やシャロームには、以前、善人だと間違えて、騙されて、入れたかもしれませんが、当然ながら、今は、もはや、彼らに、「いいね」は入れません。
 
また、返事が来て、喜ぶのは、悪いことでしょうか。返事を欲しがるとは、具体的に、できることでしょうか。返事を欲しがらないとは、そんなに立派なことでしょうか。気をつけてください。楽山は、批判に対して、こちらの悪口だという、いちゃもんだらけの悪口だけを返してきています。
 
総てを、私の悪意だと言っていることで、自分が悪口マシーンになっていることを自覚していないことが明らかになっています。これが、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)なのです。同格の他者の存在を認めていないのです。
 
ストーカーなどと、私は、楽山に粘着しているのではありません。楽山の、一途な、自惚れです。楽山を否定しているのです。楽山は卑劣だから、ネットからいなくなって、楽山の詭弁を読まなくてよくなったら、それが一番いいと思っているのです。
 
 
こんなことを、ずけずけ指摘するのは酷かとは思いましたが、人恋しがっている、人に甘えたがっているなどの結論だけを書くと、オウム返しが好きなst氏のことですから「それは楽山の投影だ」と言いつのるだろうことを見越して、その根拠となる事例をいろいろと並べてみた次第です。あしからず。
 
楽山とシャロームこそ、雑言のオウム返しでしょう。間違っても、人恋しいときに、楽山やシャロームみたいなサイコパスに、好んで親しむなどということはしません。楽山は、切れ味など何もない雑言を、いくら書いても無駄だと分からないようです。
 
私は、投影、という心理学の言葉を使うことには、慎重でありたいです。特に、人に対して単純に使うのは、それ自体が悪口にもなり、責任逃れの嫌がらせにもなりますから、控えています。楽山は、自分が何を言っているのか分からないから平気で使っているのです。
 
 
*類似
私から見た現実はこのようなものではある。stさんは、マリアさんのブログでは下のような決意表明を書いていたし、命がけでカルトと戦っているつもりかもしれないけど、そろそろ現実に気づいてもいい頃ではないかと思う。
 
楽山から見た現実は、バーチャルであることがよく分かる文章です。楽山は、核心に入ってゆけないために、深みの無い文脈と言葉に頼って、批判しても無駄だと、おとしめてきます。楽山は、一生、現実に気づかないのかもしれません。悪夢が楽山の暮らしになっているのかもしれません。
 
批判が無駄でもよいのです。真善美から程遠く、高慢から礼節も弁えず、だらだらボンヤリ言語を垂れ流し、社会悪につながりそうな自己中の邪悪に対して、できることをしているだけです。楽山批判は、3年以上にわたる自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の資料です。
 
 
例によって、ここもブーメランになってます。もういちいち細かく指摘するのも面倒だけども、一つだけ触れておけば、何人もの人たちに、ストーカー行為は止めるように注意されても、自分はあくまで正しいと強情を張ってるst氏が、他の人のことを自己中というのは、ちゃんちゃらおかしいことです。一番の自己中は、ご自分でしょう。
 
何人も、ではなくて、批判対象と、そのお仲間だけです。批判は、まさに、そういう者に左右されてはいけないのです。楽山は、好きなように、でっち上げて、悪口だけを書いてきます。これも、自己愛性人格障害の特徴です。文章を書けば、表れてくる哀れな姿なのです。
 
楽山には、ネットの言論から、早く、いなくなってほしいだけです。あわれなほど、悪口マシーンになっている楽山です。これだけ連発するのは、めずらしいようです。よほど、何も言えなくなったのでしょう。自分の悪を、全部、私に当てはめて、獣性を剥き出しにしています。
 
楽山は、批判に正当な弁明が出来ないものだから、怒り、興奮すると、見境もなく、激しい決めつけだけを向けて、このように一方的な機関銃みたいになる人だということを、知ってほしいと思います。楽山は、自我の赴くまま、制御が効きません。自省ということを学んでこなかったからでしょう。
 
全部、楽山に向けたことを、こちらに向けてブーメランと言っていますが、ブーメランは、相手に返すことではなく、自分に返ってくることです。そして、ブーメランを、しばしば投げてくるのは、そして今、盛んに返されているのは、楽山その人なのです。
 
 
またHSでは、退会者や批判者のことを、「神(大川隆法)を信じず、その言葉に耳を貸さず、エゴを優先する自己中だ」という風に非難しています。ようするに、自分らの言葉に従わないのは、高慢、エゴイスト、自己中だという考え方です。
こういうところは、st氏とHSは共通しているし、それだからこそ、HS信者であるLEO氏は、st氏を高評価するのでしょう。
st氏は、シャローム氏をカルト呼ばわりしていましたが、なんのことはない、自分こそがカルトHSと同じような思考回路を持っていたということです。
 
楽山は、ORに賛同しているのでしょうか。アンチではなかったようです。アンチであるかどうかに、楽山には関心はないのだろうと思います。3年以上見てきて、楽山は、ORのような教祖になりたいのでしょう。それにしては、言ってることが、宗教観が、幼稚すぎます。
 
楽山は、私が、HSと共通していると言っていますが、これこそ、楽山には、批判についても、宗教についても、気取った読書についても、読解力、理解力が、極端に、不足していることを自ら表しています。劣悪なカルト精神の視野狭窄と単方向性が表れています。
 
シャロームも楽山も、ここまで本性が明らかになってくると、病的ナルシスト、サイコパス、と言ってよいと思います。すなわち、罪悪感、悔いる心、反省など、自らを洞察する心が欠落しているので、他者のせいにするしかないのです。楽山は、荒らしの本性を剥き出しにしてきたようです。
 
楽山は、今回のように爆発していることから、とんがっている崖っぷちなのに、日頃は、柔和を装っていたことになります。こういう生き方をして、どこが気持ちいいのか分かりませんが、これを続けてゆくのでしょうか。嘘っぱちの余裕を、枯れ葉のように、ひらひらさせながら落ちてゆくのでしょうか。
 
 
幽霊のように嘘を吐く

幽霊のように嘘を吐く
 
 
(2020年)
(2022年10月11日、再録+加筆)
 
 
 
   傷口(改)
 
顔も知らないのに
傷口だけは鮮明に存在して
時に血を吹く
いつこの血は絶えるのか
絶えはしない命のある間は
時に激しい出血とともに
嘔吐するのはやさしかった夢たち
喉に引っ掛かるのは空しいギャンブル
血は冷血となって足の下を流れる
感情の線を一本また一本と引きながら
 
 
  人が生まれて
 
人が生まれて
罪が生まれた
人が増えて
罪に罪を重ねた
言葉が生まれて
嘘が生まれた
心にもないことを言い
心にあることを隠した
 
虐げられた救い主のように
人は長い間
ウソの中から真実を見つけなければならなかった
人は長い間
ウソを並べて真実を表わさなければならなかった
産みの苦しみは
楽園を追われたときから
長く
長く続いた
 
「罪は決して許されることはない」
「あなたの罪は許された」
二つの言葉は
言う人と言われる人によって
正しかったり間違っていたりする
反対だったり同じだったりする
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
批判対象は2年前の楽山の記事ですが、長い悪口の機関銃でした。決めつけも、被害妄想も、理路の破壊も、手段を選ばないのも、嘘も詭弁も、悪意も敵意も、精神の不快も不安定も、傲慢不遜も、剥き出しの自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)です。これが楽山の本性なのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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