老化・・聖書抜粋3
 
 
  旧約聖書は、神と人の違いと関係を表しています。
  分かりやすくて情感に溢れる聖句を引用しておきます。
  私が大切に思っている聖句です。
 
  誰かのために祈るとき、母のために祈るときでさえ、
  まるで遺言のように祈っていることがあります。
  
  人は、神の性質であるところの全知全能・絶対完全・永遠不変が
  成り立たない被造物です。
  限りある存在として、人は、悲しみのうちに救いを求めます。
 
 
詩篇22:1
わが神、わが神、
なにゆえわたしを捨てられるのですか。
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
 
詩篇31:5より
わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。
 
詩篇39:4-6より
主よ、わが終わりと、
わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、
わが命のいかにはかないかを知らせてください。
見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。
わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。
まことに、すべての人はその盛んな時でも
息にすぎません。
まことに人は影のように、さまよいます。
まことに彼らはむなしい事のために
騒ぎまわるのです。
彼は積みたくわえるけれども、
だれがそれを収めるかを知りません。
 
詩篇49:7
まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。
そのいのちの価(あたい)を神に払うことはできない。
同10-11
まことに賢い人も死に、
愚かな者も、獣(けもの)のような者も、ひとしく滅んで、
その富を他人に残すことは人の見るところである。
たとい彼らはその地を自分の名をもって呼んでも、
墓こそ彼らのとこしえのすまい、
世々彼らのすみかである。
 
箴言30:8-9より
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてはならぬ食物でわたしを養ってください。
飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。
 
伝道の書7:14-17
順境の日には楽しめ。逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。
わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。
あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。悪に過ぎてはならない。また愚かであってはならない。あなたはどうして、自分の時のこないのに、死んでよかろうか。
 
イザヤ書46:4
わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。
 
詩篇56:8より
あなたはわたしのさすらいを数えられました。
わたしの涙をあなたの皮袋(かわぶくろ)にたくわえてください。
 
詩篇119:123
わが目はあなたの救いと、
あなたの正しい約束とを待ち望んで衰えます。
 
以上の旧約聖書の聖句は私のお気に入りなので、新約聖書の聖句もたくさんあるけれど、これからも再録するかもしれません。
 
 ※
 
テレビとPCの画面はHD画質できれいなはずだけど、視力が衰えてきたので、だんだん違いが分からなくなっている。テレビだけでなく、時々視界の一部がちらついたり揺れたりするように感じることがある。まだ生きているという幸いは何なのだろう。
 
視野の歪みや欠損を脳が補って、一見まともに見えるように脳が作った映像を見ている。それが今の視界に他ならないのだから、他のもっと良質な世界を見ることはなく衰えて見えているであろう視界が総てになります。その世界で考えて、できることをして、お祈りして、生きて、・・わりと、のんき・・。
 
神を恐れる弁えと、敬虔の気持ちがあれば、あとは、意図的に隠すことなく、正直に祈るだけです。神に対しては、世辞の讃美や隠し事や、自分の納得などは、通用しません。神は全て既に見抜かれる御方として信じているのです。正直以外は、通用しません。
 
 
詩篇と老境 育み

詩篇と老境 育み
 
 
(2014年)
(2021年)
(2022年11月23日、再録+加筆)
 
 
 
  届かない老境
 
ひたひたと波
寄せては返す
老いの湖
浮かべるものはなく
自ら浮かぶ
注ぐものはなく
自ら湧き出づる
老いの泉
もはや何も持たぬゆえ
あげるものは
この姿だけ
写し取っておきなされと
老いの都
買うものも売るものもなく
あらゆる代価は水の泡にも値せず
家もなく道もなく
ここが家ここが道
よそよそしくも安らいで
眠りの中に起きている
その語らいは
よほど深い皺(しわ)を
河にでもしなければ
たどり着けない
老いの里
 
 
  無人の駅
 
迎えるためか
見送るためか
無人の駅のホームで
一人の老人が待っていた
 
ここは廃線が決まっていた
すでに汽車が通る予定はなかった
人にそう言われても
「だから行かなければ」と
老人は毎日
一人で立って待っていた
 
廃線が決まってからまもなくだった
砂利が敷き詰められた
もう線路はなかった
人にそう言われても
「だから見つけなければ」と
しゃがみ込んで老人は
まだ待っていた
 
かつて駅だった空き地
子供たちが遊んでいる
老人の姿はない
隣接した国道にバス停
バスが着いた
「セイリケンヲオトリクダサイ・・・」
 
駅とは呼ばれない崩れた廃屋
ホームとは呼ばれない潰されたコンクリート
埃にまみれた瓦礫や板の中に
伝言板らしきものが落ちていた
「コクウ ニテ 」
読める字はそれだけだった
 
 
  きぼう
 
そらをみれば
そらにすわれ
こなごなになって
きえてしまいそうで
 
ひとをみれば
ひとみのおくにすわれ
すきとおる こどくのなかで
いきが たえて しまいそうで
 
いつのまにか
うすい いのちに さく
はなのあいだに
ただようかおりまつみの
ほのかな
ぬくもりのかげに にている
 
 
 
楽山日記へのコメント再録(1.が誰のコメントかは不明)
 
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」
「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」
「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」
「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」
「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
注意しても聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。一般の「人間の性」などではなく、ゆえに、「自分もそんな風です」などという言い訳は成り立ちません。楽山固有の悪と罪と偽善です。これは、正常では考えられない病質の反応です。
 
楽山が記事を書き、その大方に、私が批判記事を書き、それらに、一切、反論も弁明も出来ないならば、正常なら、記事を控えるものです。楽山が無反省に記事を書いてくること自体が、楽山の、訂正不能の自己愛性人格障害を証明しています。楽山の、もはや不可逆の病質的欠陥なのです。
 
 
 
 楽山の偽善性まとめメモ
 
楽山の害毒メモ:
 
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。しかも犯罪行為に及ばなければ強制的に抑制は出来ません。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
精神構造はカルトに似ているので、無神教カルトと呼んでいる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
楽山は、詭弁だらけで、真っ当な理路も、深い情緒も、理解できないことが、初期の遣り取りと、その後の楽山の記事において既に明らかになっています。批判の根拠と理路的な説明は読者のために書いています。楽山に対しては、無駄なことはせず、否定の文言を加えて書くことにしています。
 
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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