ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2010年11月


  妄覚
 
妄覚というものを知っているか
それは果てしない詩だ
しかも文学ではない
むしろ癌の増殖の無秩序だ
誰にも理解されることのない
名前のない
目まぐるしく歪んで
人間に正当に属する
形とも
色とも
声とも認めてもらえないものだ
しかしその中からかつて
それら以上のものを
ぶつけられたことがある
 
(1997年1月12日)
 
 
  冬の生殖
 
胸は吹き抜けの希望に満ちている
くまなく暖めるのは至難の業(わざ)だ
腹は吹き溜まりの欲望に満ちている
ほどよく排泄しないと痼(しこり)になる
頭は吹きさらしの妄念に満ちている
直しても整えても破裂し続ける炎症だ
飛んでけ飛んでけ
消えるも加わるも風の生殖だ
枯(から)びた指南の技(わざ)だ
 
(2001年01月02日)
 
 
  凌ぐ癖
 
取りとめもなく湧いてくる妄念を
止めることは困難だし
思考や感情を直接止めることは難しい
けれど乱れる波があまりに苦しいとき
意欲を発動すれば罪を犯すなら
元々乏しい意欲がますます低下して
すべての振幅が縮小する
という凌(しの)ぎ方がある
動機と興味が好ましく誘うまで
何もしなくなる
多くは弛緩と脱力を伴う
情動麻痺に似ている
感情鈍麻にも似ている
経験的な条件反射のように
身につけてしまう
ときにはそれがよい
ときにはそれが酷(むご)い
 
(2010年11月29日)
 
 
 
 
 


  自己嫌悪・一
 
死ぬのだった
そして死ぬのだった
だから死ぬのだった
しかし死ぬのだった
順接
逆接
死ぬのだった
死に続けるのだった
風のように絶え間なく
消えながら去り続けるのだった
それが来ることであり渡ることだった
 
(2000年11月18日)
 
 
  自己嫌悪・二
 
自分らしく生きるのではなく
自然に生きるのでもなく
自然になれ
例えば水になれ
勾配に任せて自在に形を変えて
流れるだけの水になれ
濁りもバイ菌も扱おうとするな
例えば枯れ草になれ
山の上でサワサワ戦(そよ)いでいろ
荒れた庭でじっとしていろ
来年の種も発芽も守ろうとするな
自然でなくてもいい
生物でも無生物でもいい
有機物でも無機物でもいい
例えば聖書か詩集の一頁になれ
そこに染み込んでいるインクになれ
汚れも破れも繕おうとするな
紙切れになれ石ころになれ土くれになれ
人になるな
腐肉が痙攣するような乱れた妄念の内側から
今は人になるな
 
(2000年11月18日)
 
 
 
 
 


  イメージ・断片
 
    一
 
緑の向こうに
濃い緑
その向こうに
また緑
その向こうに

バキッ
耳に残る
急ぐ足の下に枯れ枝が
たまたま折れやすくあっただけなのだが
 
    二
 
走るオートバイの上から
葉を残した
落葉樹を見つけるのに時間がかかった
寒さはすでに
秋から冬を教えているのに
秋には秋を
なぜ探す
 
    三
 
枕木の上に横たわる
霧を轢(ひ)き轢き
列車は自らを牽引する
遠く向こうの霧の中へ
後戻りできない水滴を乗せて
 
(1997年11月6日)
 
 
 
 
 


  殺すなら
 
殺すなら生命保険を解約する前に
貯金や積立もある程度
残っているうちに殺してくれ
会いたくはないが
できるだけ幾ばくかの
お金を残してやりたい人がいる
死後に残したものが悉(ことごと)く消え去って
自分が生まれても生まれなくても
全く変わりなく進んでゆく歴史に
頓着はないから安心して
さっさと済ませてくれ
神が殺すのなら
お迎えなら何の文句もない
人が殺すのなら
抵抗できない状態で殺(や)ってくれ
死は受け容れていても
断末魔の防衛本能
まで捨てられるほど
出来はよくないのだ
苦痛には弱いから
痛みは少なく短いほどよい
だから躊躇(ためら)わずに殺ってくれ
・・・・・・
敬語も使わずに
いったい誰に向かって言っている?
 
(2001年10月20日)
 


  子供になる
 
年老いた母が
握り寿司を買ってきた
安いのがあったから
母が食べたいから
年老いた出来の悪い息子の
私にも食べさせたいから
母の愛である
 
食べたいのを取りなさい
と母は言う
 
母はへりくだる
息子の選択を優先させる
母の愛である
 
甘いものなどもそうだが
あたしは一つ、あんたは二つ
と愛のへりくだりも
口に出して言われると何だか・・・
 
以前は少しイラつきながら
耳の遠い母に大きい声で
母さんがぁー、先に取って!と
わずらわしそうに言った
 
最近はすっかり子供になって
差し出された目の前の寿司をにらみながら
う~ん、う~む、む~ん、むーーん、・・・??
母は少し笑って
どうしたんね、わからんとね
と言い
私は母のほうを指差す
すると母は自分の分を取って
残りを私に渡すのである
 
(2010年11月25日)
 

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