ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2011年05月


看板
 
 
問いかけると
看板が返ってくる
道を尋ねると
看板が返ってくる
人間を探すと
誰もいない
ただ看板が返ってくる
看板が返ってくる
看板だけが返ってきて
並び
高くなり
塀になり
気がつくと
外にいるのである
 
 
 
不動
 
 
思いは
上がると
凍りつき
金属のようなものになり
錆びつく
剥がれた屑を
ばらまいて
なお硬い
それは不動
ついに
溶かされるまで
変形も
熱も知らない
自らを見せて
何も見ない
 
 
 
皮袋
 
 
革袋を皮袋にして
まとう
ブドウ酒を酢に変えて
聖なる血と肉だと言う
パンパンに張って
破れは明らかなのに
新しい革袋のつもりで
ぶ厚い皮になっているから
下手に触ると
ずぶ濡れになり
酸っぱさが取れない
 
 
 
公式
 
 
数学ではないから
証明されないのに
訂正不能な
公式になって
公の式典になって
いつも同じ答え
 
(いずれも2011年05月27日)
 
 
 
 


ワタシの神の集い
 
 
イエスマン類の集いでは
自分の作った偶像について語られる
一種の社交である
 
ひとりひとり違っているはずなのだが
「ワタシの神は本物で正しい」
誰も疑わない
誰も問いかけない
誰も考えない
ほのぼのとした空気を乱した者は
悪魔として排除される
排除され
忘れられる
とても健康な健忘によって
社交は維持される
 
異を唱えてはならない
暗黙のルールは
伝統的に訂正不能で
目も口もなく
ROMの頭脳を持ち
それが出力を
人を
ふるいにかけるプロトコルで
とても狭い自らの入り口を
天国の狭き門に当てはめて
「オサナゴ」を「ウタガウナ」に変えて
コタエルことも
キズツクこともなく
今日もホホエミ作り
 
(2011年05月27日)
 
 
 
 


破滅の祈り
 
 
私は時々平静を失う
末路に倒れる者の宿命だ
 
「すべてに感謝しなさい」
「感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、・・・」
当たり前のことにも感謝する
本当は当たり前ではなく
神の賜物だから
私も感謝の祈りは捧げる
神の賜物は
いずれ神によって壊され
すべて神にお返しするもの
という信仰があれば
大事にするのはなおさらだ
 
しかしそうやって
一日を感謝で埋め尽くすのが信仰か
 
ここで感謝する人がいたら
その人は人間ではない
という悲劇的な状況がある
 
昔あった歌か
宗教めいた
「ありがたや、ありがたや」
 
すべての幸不幸を知るわけでもないのに
「幸不幸は気持ちの問題」
と真顔で語る人の多幸的な気分に
怖いほど感じる
錆びた金属のような冷たさ
 
現状に文句を言わず
もっとひどいこともあるのだからと
満足しようとする「弱者の道徳」
 
さらに
「信仰者なら感謝できるはずだ」
という確信が底にあって
当たり前に語るなら
それこそ
当たり前ではない片落ちに
気づかないのはどちらだろう
 
信仰は間違えば常習的に
人間性を蝕んでゆく
信仰が悪なのではない
人の在り方が最悪になりうるのだ
その危険性をわきまえず
福音のつもりで
石打ちの刑
硬い岩石をぶつけていることだってある
 
私は頭がおかしいのだろう
少なくとも彼らの基準ではそうなのだろう
彼らの語る信仰が正しくて
彼らが天国を約束されているなら
主よ
私は同じところには居たくありません
 
(2011年05月26日)
 
 
 
 

数学サイト
http://blog.livedoor.jp/mazra627/
からの問題
 
第132回「消えた数」
問題
 
たろうくんは、1から順番に1,2,3,4,5…と、
ある数までを黒板に書きました。
じろうくんがその中の1個の数を消してしまいました。
すると、残りの数の平均は、590/17になりました。
じろうくんが消した数はどんな数でしょうか?
 
 
解答例:
 
1からnまでの平均は、
(1+2+・・・+n)/n=(n(n+1)/2)/n
     =(n+1)/2 ・・・平均は、nの半分に近い。
1からnまでの中で1つ消えたとしても
平均の約2倍がnを求める目安となる。
 
消えた数をpとすると
((n(n+1)/2)-p)/(n-1)=590/17
p=n(n+1)/2-(590/17)×(n-1)―――(1)
pは整数なので、(n-1)は17の倍数である。-――――(2)
590/17≒34.7
その2倍の約70近辺で、かつ17の倍数は、
17×4=68、∴n-1=68、n=69 ―――――――(3)
p=69×70/2-590×4=2415-2360=55 (答え?)――(4)
 
答えが他にないかどうかの検証を試みる。
 
590/17=c(=34.7・・・)とおく。
 
(1)において、
p=(1/2)n^2+(1/2)n-cn+c
pはnの2次関数、下に凸、である。
pをnで微分すると
 n+(1/2)-c
これが0になるのは、n=c-(1/2)≒34.2のとき
そのとき、pは最小値となる。
また、1≦p≦nである。――――――――――――――――(5)
 
n=0 のとき、p=c≒34.7>0
 (この間、pは減少)
n=1 のとき、p=1>0
 (この間、pは減少)
n=2 のとき、p=2+1-c≒-31.7<0
 (この間、pは減少)
n≒34.2 のとき、pは最小値<0
 (この間、pは増加)
ここで(2)より(n-1)は17の倍数なので、
(3)より、nも 69±17の倍数 である。
n=69-17=52 のとき
(1)より、p=52×53/2-590×3=-392<0
 (この間、pは増加)
n=69 のとき、(3)、(4)より、p=55 ――――(6)
 (この間、pは増加)
n=69+17=86 のとき(1)より、
 p=86×87/2-590×5=791>86=n
以後、pはnの2次曲線で増加、p=nの直線より大きいので、
 常に、p>n となる。
 
以上より、まとめると、
(2)より、n-1=17の倍数、ゆえに、n=17の倍数+1 であり、
18≦n<69 の範囲では、p<0
n=69 において、p=55
n>69 において、p>n ということになる。
ゆえに
(5)の 1≦p≦n を満たすのは、
(6)の n=69のときp=55以外にはない。
よって答えの「消えた数」は p=55のみ。
 
(2011年05月25日)
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数学の問題文は、現実的にはちょっと変に感じることがあります。
順番に1,2,3・・・書いたのだから、どれが消えたのかは
黒板を見れば分かる・・・?
書いた黒板の場所がバラバラだったとか、
残った数の平均を計算したあと、うっかり黒板を全部消しちゃったとか・・・
こちらで題意に即して問題設定をいろいろ考えて楽しむ?か、
余計なことは無視するわけです。(苦笑~笑)
 
(2011年05月26日、文章部分の加筆修正)
 


達し得たところ
 
 
「達し得たところに従って」
これも聖書的な言葉であるが
ふつう人生においては
人はそう従っているつもりでいる
 
しかし
信仰者においては
特別な意味を持ってくる
神に関わってくるからである
 
さらに
「信仰の原罪」を自覚しない信仰者は
「達し得たところ」に
神の行いについての
神を恐れぬ確信を持つ
 
「幼子のように受け入れる」
これも聖書的な言葉だが
これは素直な虚心の譬えであって
 
大人は幼子ではない
また幼子に確信はない
与えられたものを受けるだけの
幼子には善悪の判断すらないのである
幼子は善でも悪でもない
 
善悪の判断は大人のすることである
幼子には戻れないのだから
大人の人間らしい思慮分別を持つべきなのに
「幼子のように
疑うことなく受け入れる大切さ」
を語る思い上がりは
大人の人間くさい思い込みで
素直な抵抗の口を封じて
人にとっても
なんと自分にとっても
無抵抗の盲信を
美徳とするところに達する
 
信仰による暫定的な判断は
不可避な「信仰の原罪」であるが
 
神の行いについての人の確信は
もはや信仰ではなく
「人の確信の達しえたところに従って」
頑迷な傲慢のなせる業に過ぎない
 
素直とも虚心とも逆なのである
 
(2011年05月24日)
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私も相当に頑固ですが、
頑固が驚くほどの
頑迷に出会うことがあります。
 
 
 
 

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