ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2011年09月

 
通い路
 
 
私は最後に何か
いちばん伝えたいことを
ひとつだけ書いておきたいと思う
それは無知の妄想に過ぎないかもしれない
それが何かも未だ分からず
何も達成されてはいないけれど
誤解であったとしても
ごく少数の人であっても
誰かの記憶に残り
その人が生きているあいだ
私ではなく私の伝えたことが
生きていてくれればと願っているらしい
 
人の命は儚い
なのに悩みはあまりにも多く
生きているあいだ尽きることがない
 
私には負えないことばかりの中で
誰かに続けて欲しい願いが
やはりあるのだろう
 
もう狭くなって遅くなって
遠くなってしまった通い路だが
そんなことを考えている
 
急に秋になった日々
 
(2011年09月24日)
 
 
 
 

元々読者嫌いで、知識が乏しく専門家でもない私が
原発事故、等々、の
極めて重大な問題について語るのは、とても難しいことです。
似たようなことを書くことになりますが・・・
 
各地で脱原発が叫ばれているようです。
叫び続けることが大切です。
それによって辛うじて抑えられるものがあるから。
 
一方で
政治家や思想家にならなくても、
政治や思想に騙されることのないように
今持っているありったけの知識と思考と
何より人間性によって、冷静に考え、
根拠や理由というものについて
深めてゆく作業は、誰にとっても、大切だと思います。
 
 
「理念・断片」に書いたこと:
根源的な疑問として・・・
原子力という桁外れのエネルギーが、はたして
過ちを常とする人間の手に負えるのか。(私は否定的です)
 
放射能のもたらす被害は
時間的にも空間的にも限定できない。
 
空間的に・・・は、ゴーストのようなものであること
((後述、および今まで書いてきたこと)参照)
時間的に・・・は、半減期の問題もありますし、
どこまで安全でどこから有害かという限界や、
子孫に与える影響も、
未だはっきり解明されていない。
 
例えば飛行機事故は大きな被害をもたらしますが、
それでも、その被害は飛行機に乗っている人々と
飛行機が落ちる地域に限定されるものです。
したがって事故の頻発する車より安全だ
という見解も、ある程度、説得力を持ちます。
 
震災も地震と津波だけなら、時間はかかりますが、
いずれ復旧・復興するでしょう。
さらなる安全対策が問題となってくる
という理解が可能ではあります。
 
しかし原発事故・放射能漏れは、違うと思う。
 
 
「放射性セシウムの半減期は30年」について
「放射性セシウムは100日で体外に排出されるから(心配ない)」
という説明に対して
 
体外に排出されても放射性物質であることに変わりはないので
次は体外被曝になり、さらに、
再摂取されれば再び体内被曝になるのではないか。
やはり半減期30年は軽視できることではありません。
 
 
「今回は想定外だったから(原発事故が起きた)」
という言い訳に対して
 
阪神・淡路の大震災もそうでしたが、
大災害というものは、たいてい想定外で起こってくるものです。
むしろ「災害は想定が可能」「想定内なら安心」
という考えが間違っているのではないか。
 
想定外の災害でも、
もたらす被害が少ないほうを選ぶべきではないのか。
 
 
「原発の安全性をさらに高めていけばよい」
に対して
 
放射能漏れが起こらないように安全性を高めることと、
放射能漏れが起こったときの被害を最小限にすることが
含まれると思いますが、
考えられるあらゆる安全対策を実施すれば、
原発はとても高いコストになることが避けられない。
しかも、それでも、どちらも
完全ということはないのです。
 
他に方法がない場合にリスクを負ってでも・・・
ということになりますが、実際問題として
他に方法がないとは言えないでしょうから、
脱原発を目指す以外にないように思います。
(後述のコメント参照)
 
 
あるブログに書きこんだ私のコメント

隠蔽によって守られる威信はないと思います。
さらに威信とか面子とかは幻想で、守るものではなく、
信頼ということならば、
常に信頼は、壊されながら築いてゆくものだと思います。
うまく言えない・・・失礼。
2011/8/24(水) 午後 4:44[ st5402jp ]
 
放射能は、測った時と所だけ数量が分かる
というゴーストのようなものなので・・・
もし原発を維持するつもりなら、漏れたら迂闊に近づけないことは
分かっているのだから、至る所に線量計を設置して、かつ、
近づけないところに行ける大(無人重機)~小型ロボットを
用意しないといけない・・・となると、原発はとんでもなく高くつく。
しかも、それだけ用意できたとしても、事故を防ぐことにはならず、
被害をどれだけ少なくできるかということにしかならない
・・・ということで、やはり脱原発しかないような気がする。
2011/9/6(火) 午後 2:13[ st5402jp ]
 
いつになるか分からないけど、ほとぼりが冷めたころ、
「日本の原発は安全だから、あの程度の被害で済んだ」なんてことを
言い出す人たちが、また出てきそうな気がします。
 
原発推進派と核武装推進派は無関係ではないような気もして・・・
前に参加していたブログで両方に関係した人がいました。
・・・むしろ怖い思想が動かしてきたような気もするのです。
2011/9/6(火) 午後 2:20[ st5402jp ]
 
知識がないので・・・温暖化についてなのですが、
人類が人工的に発生させている熱そのものの影響ってのは
どうなんでしょう。人類が直接大気を暖めているとか・・・?
 
二酸化炭素を出さないからと宣伝されてきた原発も
結局発電の仕組みは蒸気機関だから熱は出すでしょう・・・
 
太陽光は光発電?・・・同じものかどうか知らないけれど、
私が使っている電卓には小さなパネルがついていて、電池なしなのに、
ずいぶん長いこと使えている・・・
 
熱そのものを、蒸気を経ずに、電気に変える仕組みはないのでしょうかね。
2011/9/6(火) 午後 2:01[ st5402jp ]

 
 
繰り返します。
別の、あるブログに書きこんだ私のコメント

自民党も民主党も私は
敵とも味方とも思っていませんが・・・
むしろ私にとっては、
既にご存知かもしれないが、(苦笑)
1.核武装推進派
2.改憲派
3.確率の値を以って、あるいは恣意的に、
 原発の安全性を断定的に主張し
 広めようとしている人々
4.「脳死は人の死」という前提の下に
 脳死移植を推進する人々
等々、とりあえず、以上の人々のほうが
よっぽど恐ろしいです。
甚だ不十分ながら今のところ以上です。
 
        戸田聡。不具
 
戸田聡 | URL | 2009年07月27日(Mon)08:51 [EDIT]

 
(1,2,4、については「理念・断片」参照)
 
何かを刷り込み、煽り、できれば先入観にして
当たり前のように正しいことと思わせて
少しずつ日本と世界と歴史を恣意的に
変えてゆこうとする人々がいるようです。
絶えず注意し警戒することが必要です。
 
(2011年09月24日、同日若干修正)
(2013年07月14日、半減期の間違い修正)
 
 
 
 

「理念・断片」に書いたことの繰り返しになりますが、
「すくいぬ」→「脳死・・・」(2ch系?)
http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/?no=886
に書いたこと。
 
307
「倫理よりも科学的に」
 
倫理とか心情とか以前の
科学の問題として考えて欲しい。
生死の判定には1つも例外があってはならない。
1つ以上の例外は、即、反証となる。そのとき「脳死は人の死」は否定される。
科学の法則は、理論があっても、実験による実証を経て初めて信頼される。
脳死には理論はあるが、症例による実証がなされているのかが疑問。
例外があるかどうかは、治療継続による経過観察以外にない。
脳死状態と判定された場合、その判定が覆ってはならない。
また症例全例が心臓死に移行することを実証しなければならない。
症例数が多いほど、判定の信頼度は増す。
脳死判定による死の判定には1例も例外があってはならない。
もしあれば、それだけで立派な反証になる。
 
[ 2010/05/05 14:00 ]
satoshi@mx7.tiki.ne.jp - -[ 編集 ]
 
 
315
「307の続き」
 
脳死からの生還例は、脳死判定に不備があったから
という可能性はあるが、
そもそも「脳死判定で人の生死が判定できるのか」
という問題は残る。
心臓移植が始まってから半世紀は経っている。
にもかかわらず症例による実証がなされてきたのか
という疑問は、穿った見方として、
「反証が出るのが分かっていたから
(実証プロセスをスコーンと省略してメリットだけを強調して
推し進めようとしてきた一種の煽りではないか)?」とも考えたくなる。
どう考えても、移植ではという条件付きや、倫理的に・・で
正しいかどうかを決めてはならない科学的命題である「脳死は人の死」は
実証過程を省略してはならない。
 
仮に反証によって否定された場合、
「脳死は必ずしも人の死ではない」が正しいことになるが、
症例による脳死の予後の実証を続けながら、
それを承知の上で、それでも、推測される予後を悪さを考えて
「臓器を提供したい」という意思表示があった場合のみ
脳死移植は、科学以上の、
安楽死や尊厳死を含めた生命倫理の問題となりうる。
 
科学的実証プロセスを飛ばして「脳死は人の死」を、
人情だけに訴えるレシピエントがかわいそう、助からない人が助かるのに、
という煽りと刷り込みによって進められる脳死移植は
おかしいと言わざるを得ない。
 
[ 2010/12/29 05:59 ]
satoshi@mx7.tiki.ne.jp - -[ 編集 ]
 
 
脳死移植に徹底して反対というわけではない
ということは文脈から分かっていただけると思いますが、
生死の判定という人命にかかわる科学的命題に
「移植においては、脳死は人の死」
などという条件付き命題があってよいのか。
「移植においては」「移植以外では(?)」
などとという分け方は出来ない問題だと思います。
嘘に基づく法制度があってはならない・・・という疑問です。
 
 
あるブログに書きこんだ私のコメント

自民党も民主党も私は
敵とも味方とも思っていませんが・・・
むしろ私にとっては、
既にご存知かもしれないが、(苦笑)
1.核武装推進派
2.改憲派
3.確率の値を以って、あるいは恣意的に、
 原発の安全性を断定的に主張し
 広めようとしている人々
4.「脳死は人の死」という前提の下に
 脳死移植を推進する人々
等々、とりあえず、以上の人々のほうが
よっぽど恐ろしいです。
甚だ不十分ながら今のところ以上です。
 
        戸田聡。不具
 
戸田聡 | URL | 2009年07月27日(Mon)08:51 [EDIT]

 
(2011年09月24日)
(2013年08月06日、一部修正)
--------------------------------------------------------
「理念・断片」、および特に3については次の記事参照
 
 
 
 

猛者への堕落
 
 
人間性を失った信仰には
ある種の猛々しさが残る
 
せっせとお味方になる意見を集めている
それは猛々しい文章である
その威勢のよさの分だけ
また人間としての共感を失ってゆくのは
字面だけを追って
お味方になる意見なら好むからである
 
ヒューマニズム云々を批判し
福音の変質を語る前に
他者を語る前に
人が考えるべきもっと重大な
自らの問題を考えなくなる
 
人間性を欠いた信仰は
神性と神聖と真正の確信に満ちて
正当化に懸命になる畑で偽善の種を育てる
 
自らに目を向けず
反対意見に耳を貸さず
お決まりの文句を呪文のように繰り返して
ますます話し合う余地のない確信に凝り固まってゆく
 
そして実際に賛同者以外とは
つまり反対する人とは話さなくなる
そしてその根拠を神に担保してもらうのである
しかし、いったい
恐れを知る信仰でもない尊大な確信に
神に担保されうる何があろうか
しかし、それでも保険のように
神の側に担保される
という神の意思を自らのものにして
さらに確信してゆくしかない
そして信仰の残酷物語の主人公になってゆく
 
信仰に羞恥心を持つ必要は元々ないが
人が持つべき羞恥心は
信仰によらない、あるいは
さらにひどいのは信仰によると確信して
異なる意見を切り殺す非人間性による自らの行いについてである
 
しかも嘆くべきは
確信に満ちた非人間性は
元々羞恥心を持たないという特徴なのだ
 
(2011年09月22日)
 
 
 
 

私は解けませんでしたが、
テレビの解き方が面白いと思ったので載せてみます。
 
テレビ「たけしのコマ大数学科」の最近の問題「L型」
(答えはテレビで確認済み。
 解説は全部理解したかどうか分かりません・・・)
 
問題:
図1のように、L字型の図形がある。
その面積を直線で3等分するとき、
Vの長さを求める。
 
 
イメージ 1

 
解答例:
 
図2に示すように、台形の面積は
 中心線×高さで求められる。 ―――――――――――――(1)
 
イメージ 2

図3のように、点と長さを定めると
図3の中に示すように、
L字型図形の面積=84
その3分の1は、28となる。
図3と(1)より

上の台形の面積から、c=5 ――――――――――――――(2)
右下の台形の面積から、a=4 ―――――――――――――(3)
 
△ABCと△CDEは相似だから、図3と(2)(3)より
AB:BC=c:a=CD:DE
 ∴ 5:4=1:DE → DE=4/5 ―――――――(4)
 
 ∴(3)(4)より、求めるV=2+a+DE
      = 2+4 + 4/5 = 34/5 = 6.8 ---(答え)
 
イメージ 3

またcとaによってAとCが定まることで、
面積を3等分する直線を描くことが出来るということにもなります。
 
( 検算として:
下の折れた部分の面積は、
当然84-28×2=28 になりますが、
台形+長方形+右台形で計算すると、
4×(5-1)+4×2+2×(4-2)=28
また、長方形の重複を考えると、
 4×5+4×2=28 でもよい。
つまりL字型は、
中心線を長い辺とした長方形の和になるということ・・・ )
(図は正確ではないので見た目と計算結果の寸法が合いません。失礼。)
 
 
補足:
L字型図形の
縦の長方形と横の長方形の幅が同じ場合の
面積を3等分する直線の描き方は
図4に示すように、中心線を描くと、
図4の左のL字型図形の面積と、
右の縦と横の長方形の面積の和は等しいことから、
L字型の中心線の縦+横の長さを計算し、
それを3で割った長さを
上と右から点として定めて、
その2点を結べばよいということになります。
つまり、この場合、
幅が一定のL字型の面積は
中心線の長さに比例するということになります。
 
イメージ 4

(2011年09月22日、同日若干加筆修正)
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私はVの長さとそれに相当する縦の長さを考えていたら、
複雑で面倒になってしまって、やめました。
 
刹那的かつ発作的な興味と動機で、ブログを書いたりして、
日々空しく過ごしております。
 
 
 
 

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