ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2011年10月

「讃美の家」批判23
聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」未承認コメント
 
 
無題→「二種類の関係」
 
>固まる関係、解ける関係
>この固い関係が解けほどける場所がある。キリストの教会だ
>主キリスト・イエスの前では上下の関係は解ける
>キリストが、上下左右の固い関係を解き放ってくださるのだ
 
あなたが牧者をする教会では上下の関係は解けないようです。
あなたは牧者として教える立場。
信徒は教えられる立場。
あなたのブログも同じでしょう。
あなたは教える立場。
私は教えられる立場。
その関係を破ったばかりに私は永久追放。
 
毎度毎度よくこんなに白々しい記事を載せられるものです。
地上にこんな地獄が用意されているとは思いませんでした。
あなたはずっと上で固まったまま・・・
2011/10/21(金) 午前 8:43[ st5402jp ]
 
 
無題→「二種類の道」
 
>「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、
>その道も広々として、そこから入るものが多い。
>しかし、命に通じる門はなんと狭く、
>その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(聖書)
 
東海道の話・・・
 
>「東海道が敷設されて400年。人は文明を発展させ、
>便利な世の中にすることで
>多くのものを手に入れた。しかし、私はこの旅を終えて気がついた。
>多くのものを得るということは、
>同時に多くのものを失うということではあるまいか。
 
そして、括りは・・
 
>多くのものを得るために、人間は、まっすぐな道を建設し、
>「広い門」「広々とした道」を作ってきた。
>しかし、その結果が、たとえば、原子力発電所ではなかったでしょうか。
>原発事故という人災につながったのではなかったでしょうか。
>原発もまた「広々とした道」ではなかったかと思うのです。
 
・・・と原発問題に言及する。そして
2011/10/23(日) 午前 4:12[ st5402jp ]
 
>原発は、便利だ、安全だと言われてきました。
>しかし、一旦、事故が起きれば、
>人間のコントロールが効かないところで何十年単位で、
>勝手に放射能を出し続けるのです。
>止められない。放射能で、町に人が住めなくなる。
>いくつもの町が無人化する。・・・便利さを追求するあまり、
>こうした「広々とした道」は、
>人間の生活を奪い、命を脅かすものだと、ようやく気づいたのです。
 
>「新たなものを得るために、人は便利さを追及した。
>しかしこれは、多くのものを失った上に成り立っている。」 
>街道を歩くというのは、色々なことに気づきますが、
>結構、「哲学的」なことなのです。
 
私は哲学も神学も苦手なので、好きではないから、
「哲学的」なこと・・・という表現は殆ど用いませんが、
 
出典が示されていない。
あなたの書いた記事なのでしょうか。
あなたが「哲学的」という言葉を用いるとは・・・?
2011/10/23(日) 午前 4:13[ st5402jp ]
 
最初の聖句「狭き門より至れ」というイエスの言葉を、
文明と原発問題に対応させて、
あなたは何がおっしゃりたいのでしょう。
原発には私も反対ですが、
「狭き門より至れ」を引用して、二者択一で、
ここでは「原始的生活に戻れ」とでも言いたいのでしょうか。
 
ここでも見解に具体性のないあなたの文章が、
聖句を引用して結び付けて何を語りたいのかが不明確です。
 
あなたによって引き合いに出され
「信仰について語られた聖句」が浮いているのに気づきませんか。
 
ひょっとして私から
「あなた(の書く文章)は愚かだ」という悪口を引き出して
私に「悪口を言う人」という
「レッテルを貼り付け」たいのでしょうか。
批判と悪口は違います。
私は、「分からない」と言えない言わないあなたの体質と、
改められることを改めないまま、以前と同じように、
記事を書き続け、無視と無反応を貫くことができる
と思っているらしいあなたの信仰のアンバランスや矛盾を
指摘して浮き彫りにしてゆくだけです。
2011/10/23(日) 午前 4:16[ st5402jp ]
 
(2011年10月23日)
 
 
 
 


人間として
 
 
人間として神を学ぶのではなく
人間を捨てて神に集中してしまうと
いつも問題はアダムとエバ
つまり人の罪という単純思考に帰する
 
人災を経済至上主義が原因と言うのは
必ずしも間違いではないが
それを語る以上
経済至上主義をどうすればよいのかが問われるのに
そこがいちばん難しいのに
その答えは結局
「神を恐れないからだ」「人が罪を犯すからだ」
宗教から離れた言い方をすれば
「善人ではないからだ」と同じようなレベルの
深みのない当たり前の説法を
真髄を語るかのように繰り返すことになる
 
そうして焦点がぼけているのに
断言する熱意だけによって
現実に起こっていることに対して
遠慮もなく配慮もなく
心無いことを語ってしまう
 
そう語ることが
人を踏みつける結果になっても
人間を捨てた心は
自分が何を言っているのか分からない
 
現実問題に広げたつもりで
現実離れしてゆくのである
 
(2011年10月21日)
 
 
 
 

「讃美の家」批判22
聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」未承認コメント
 
 
聖書の聴き語り→「深い淵」
 
まず聖書の話から始まる。
>「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。
>たといたくさんの物を持っていても、
>人のいのちは、持ち物にはよらないのである」
・・・
(倉に入れるものが多すぎるので、倉を大きいのに建て直して
 安心している金持ちだが、その命はその夜のうちに取り去られる
 という譬え話)
・・・
>自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである。」
>(新約・ルカによる福音書12章13~21節)
2011/10/21(金) 午前 5:49[ st5402jp ]
 
>人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
>また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
>(マルコによる福音書8章36~37節)
 
>人はなぜ虚しい〈生の冒険〉の歩みを始めたのでしょう。
>それは生ける神の言葉を退けたアダムとエバに始まり、
>弟アベルを殺したカインの姿に見ることができるます。
>またバベルの塔を築こうとしている人の姿に見ることができるでしょう。
 
ここまでは聖書解釈の話として読むことができる。
2011/10/21(金) 午前 5:50[ st5402jp ]
 
しかし牧者はこの文脈で唐突に現実問題を持ってくる。
 
>今、日本中が震災復興と原発問題と年金問題で混乱しています。
>単なる自然災害と言う以上に戦後の経済(モノ)至上主義の蔓延の結果でもあり、
>それ以上に偽りの〈生の冒険〉の旅の果てだということではないでしょうか。
>問題の本質はまさに生ける神を畏れることを拒む人のわざの末路なのです。
 
>ここに越えられない渕が神と人、人と人、人と自然の間に出来たのです
 
>主なる神はその人に命じて言われた、
>「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
>しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。
>それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」(創世記2章16~17節)
>このことばによってすべての問題の本質が言い表されています。
2011/10/21(金) 午前 5:52[ st5402jp ]
 
聖書から学ぶ人間の本質として語っておきながら、
なぜ途中で現実問題を強引に聖書のほうに引っ張ってくるのでしょう。
しかも「人のわざの末路」「すべての問題の本質」とまで言って、
これが震災や原発や年金の問題の答えになりうるだろうか。
解決の手がかりにでもなるだろうか。
そう言って答えを述べた気分で
気が済むのは牧者自身だけではないだろうか。
 
このあとは、また創世記とダビデ王の聖書の話を書いて
・・・記事は終わるのである。
 
被災者と被害者がいる現実問題、つまり
震災・原発・年金問題という言葉さえ
書かれているのは上の引用部分だけなのである。
責任の所在、現実的解決策などは一切述べず、
本質は聖書にあると言って聖書の話をすれば
本質が分かって、それで事足りたつもりなのだろうか。
2011/10/21(金) 午前 5:54[ st5402jp ]
 
現実問題を語りたいのか。
聖書に書かれている人間の本質を語りたいのか。
なぜ聖書解釈にとどめておかないのだろうか。
 
これではまるで現実の天災と人災の問題は、
聖書を語るために「こんなことにも現れている」
「その本質はちゃんと聖書に書いてある」
という感じでちょっと触れてみた材料に過ぎなくなる。
そんなに軽く扱ってよい問題ではないはずだ。
 
現実問題の答えを
聖書から導いたと思わないと気が済まないのだろうか。
 
自分で話の焦点がずれていることに気づかないのだろうか。
 
現実の天災も人災もアダムとエバに始まる「人のわざの末路」であり、
だとすれば、すべての人に責任があると言っているようなものだ。
現実には被害者と加害者がいるのである。
2011/10/21(金) 午前 5:55[ st5402jp ]
 
天災と人災、すべての災いは信仰を持たないからだ、
さらに牧者自身と同じ信仰を持たないからだ
と言っているようなものである。
 
何でも聖書に集中して、生きている人間の立場を考えなくなり、
信仰が人間離れする姿を垣間見る思いである。
 
多くの人が悩んで解決に苦しんでいる問題を
自分が好きなように単純化して「モノ化」しているのは誰だろう。
この牧者が「モノ化」を社会批判として使うときは、
社会の「モノ化」を嘆きながら
平気で人を「モノ化」するところがあるので要注意だと思う。
「決め付け」て、「そっと差し出す」謙虚さがないのも特徴である。
それこそ「偽りの〈生の冒険(傍観?)〉の旅の果て」と言えよう。
 
聖書について語る信仰者が、現実問題を語るときに、
こういう文章で済ませてはいけない
という反面教師にしかならないと思います。
2011/10/21(金) 午前 5:59[ st5402jp ]
 
(2011年10月21日)
 
 
 
 

下のほうで、とんでもない勘違いしてます。(冷汗・嘆)
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人殺し
 
 
大昔から戦争はあった
人は殺し合った
勝ったら生き延びる
 
戦争と人殺しの
生き残りが子を残す
 
生きている人は大方
人殺しの子孫
 
 
 

 
 
ひどい病気は人を殺す
ひどい病人は子を残せない
強い人が子を残す
自然の法則?そんな
 
病気が治れば子を残す
ひどい病人は子を残さない
のが役目?そんな
 
病人が子を残す
不自然の法則?
法則は自然?不自然?
法則は人じゃないから
人はみな病んでいる
 
 
 
夭折
 
 
若くして自殺したという詩人
つらいときに希望の詩
立派なプロの詩人だ
プロになったのは死んだ後だが
 
私には書けない詩の数々
 
私は暗い詩を書く
私は詩を書けなくなる
私は「詩」を書けていない
石ころ転がす
転がる
 
(2011年10月20日)
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知らなかった。
読んでもいなかった。
名前だけ聞いていたような気がする。
名前から勝手に(●間違い→下)
「強くて長生きしたしっかり者、
 私の好みではなさそう」
と思い込んでいたようだ。
 
石垣りんのTVを見ました。(●間違い→下)
すべてを知ることは出来ないが、
結婚、出産、離婚、病気、等々
苦しいときに苦しさを見せない詩。
自殺したのは26歳だったか。
詩は希望だったのでしょう。
 
意外でした。
流行っているのを見て、
甘い・・・とさえ思っていた。
甘いのは私のほうだった。
忸怩たる思いです。
 
すごい勘違いしてました。
石垣りん(1920-2004、東京生まれ)と
金子みすゞ(1903-1930、山口県生まれ)
を勘違いしてました。
「名前から・・・」の印象は石垣りんのほうで、
TVを見たのは金子みすゞのほうでした。
流行っているのは金子みすゞの「こだまでしょうか」でした。
 
3つ目の拙作と「----」以下は
金子みすゞについて書いたつもりでした。
ゴッチャゴチャです。すみません。(汗)
 
(2011年10月20日、夕刻気づいて慌てて修正)
 
 
 
 

「讃美の家」批判21
聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」未承認コメント
 
 
聖書のみ言葉の黙想→「永遠の救いの源として」
 
>悩みや苦しみに向き合い、受け取って、耐えていくのは、
>イエスに従う道でもあります。
 
これは信仰者の端くれとして是とします。
 
>永遠の救いとは、始めよければ終わりよし、ではなく、始めが悪くても、
>最終的な人生の終わりも、その後も最高に良い結果で終わるから救いなのです。
 
「人生の終わりが良い結果」は前の「益」と同様
説明不足という感想です。
「その後も最高に良い結果」とは死後の天国を
考えているということでしょうか。
天国について私は信仰者としても
「よいところなのだろうけれ想像できないから分からない」
などとしか言えません。
(ここまでは他の牧者の記事転載部分です。)
2011/10/19(水) 午前 4:40[ st5402jp ]
 
>「あなたの剣をもとの所におさめなさい。
>剣をとる者はみな、剣で滅びる。」
  (聖句:イエスの言葉)
>イエスは神の御子としての権威、力をご自身の為に使われることはなかった
 
あなたが私のコメントを封じたのは
強制力ではないのですか。つまり剣ではないのですか。
 
イエスは剣を用いなかったが、あなたは剣を用いた。
 
人は弱く罪深いから剣を使うこともある
というのは一般的なこと(ここでは聖書)の「個別化」
による言い訳です。なぜなら必要もなかったし、
何より改められるのに改めようとしていないからです。
 
よく言われる「懲らしめ」ということなら、
あなたは父なる神なのか?ということになります。
2011/10/19(水) 午前 4:43[ st5402jp ]
 
>人は自分の思い、願い、計画を
>自分の力や剣によって成し遂げようとして滅びを買い取ります
 
では、あなたは滅びを買い取ったのですか。
 
あなたが聖書的な記事を書くたびに
よくこんなことが書ける、まだ牧者然としていたいのか、
という思いが湧いてきて、
あなたという人についての疑問に悩み苦しみます。
 
増し加わる悩み苦しみは
何らかの方法で吐き出さないと病気が悪化します。
祈りとともに、このブログに書くしかないのです。
 
いちばん上の引用部分から、
悩ませ苦しませるのはイエスの道なのでしょうか。・・・?
2011/10/19(水) 午前 4:45[ st5402jp ]
 
(2011年10月19日)
 
 
 
 

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