ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2011年12月

苦し紛れに答えが出てきたという問題・・
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数学サイト
http://blog.livedoor.jp/mazra627/
から
TV「たけしのコマ大数学科」より
2011年12月19日
第159回「Doing Math in English Part2」
 
A hexagon with consecutive sides of lengths 2,2,7,7,11 and 11 is inscribed in a circle.
Find the radius of the circle.
 
英語の問題である。嫌なんだが・・
 
問題:
円に内接する六角形がある。
その辺の長さは、2,2,7,7,11,11、の順である。
円の半径を求めなさい。
・・というふうな意味らしい・・
イメージ 1

解答例:
求める円の半径を r とする。
辺の長さが、2,2,7,7,11,11、の順ということは、
中心Oを頂点とする底辺2,7,11の二等辺三角形が
それぞれ2つずつ並んで
円に内接して閉じている六角形ということになるから、
辺を入れ替えて、2,7,11,2,7,11、とすることが出来る。
図2のように
辺の長さ、2,7,11、で半円になる。
イメージ 2

AB=2=2×r×sinα
∴ sinα=1/r ---------------(1)
BC=7=2×r×sinβ
∴ sinβ=7/2r -------------(2)
CD=11=2×r×sinγ
∴ sinγ=11/2r -----------(3)
 
α+β+γ=90°だから
 γ=90°-(α+β)
∴ sinγ=sin(90°-(α+β))
      =cos(α+β) -----------(4)
(3)(4)より、
  cos(α+β)=11/2r ---------(5)
 
また、(1)(2)より
cosα=√(1-sin^2 α)
    =√(1-(1/r)^2) --------------(6)
同様に
cosβ=√(1-(7/2r)^2) ------------(7)
 
加法定理より、
cos(α+β)=cosα×cosβ-sinα×sinβ
(1)(2)(5)(6)(7)を代入して、
めんどくさいのだが、
11/2r
=√(1-(1/r)^2)×√(1-(7/2r)^2)
 -(1/r)×(7/2r)
 
11/2r+(1/r)×(7/2r)
=√(1-(1/r)^2)×√(1-(7/2r)^2)
 
(11/2r+7/2r^2)^2
=(1-(1/r)^2)×(1-(7/2r)^2)
 
121/4r^2+2×11×7/4r^3+49/4r^4
=1-1/r^2-49/4r^2+49/4r^4
両辺に、4r^4 を掛けて
121r^2+154r+49
=4r^4-4r^2-49r^2+49
 
4r^4-174r^2-154r=0
 
半径r>0だから、両辺を2rで割ると
 
  2r^3-87r-77=0 -------------------------(8)
 
3次方程式である。`それだけでびびる・・
一般解法は本に書いてあったが、めちゃくちゃ面倒である。
覚えていない、やる気にならない。何かちょこちょこと
いじって因数分解できそうにもない。
・・・つまり、お手上げである。解けないと思った。
 
あと出来ることは、整数解がないかどうか調べることだけ・・
ということで、(8)より
 
  r(2r^2-87)=77 -----------------------(9)
 
rを正の整数とすると
77=1×77=7×11 だから、
 r の取り得る値は、1,7,11,77、となるが、
r=1では負になり、rが11と77では右辺>77となる。
 
r=7のとき、
左辺=7×(2×49-87)=7×(98-87)
  =7×11=77 -----(9)即ち(8)が成立。
整数解があった! 半径r=7は解である。 ----------(10)
 
(8)の左辺を(r-7)で割って
イメージ 3

つまり(8)は、
2r^3-87r-77
=(r-7)(2r^2+14r+11)=0 ---------(11)
と因数分解できることが分かった。
 
半径r>0なので
2r^2+14r+11>0
∴ 半径r=7のみが解となる。 ------(答え)
 
( 以上で十分なのだが、蛇足として、
 2r^2+14r+11=0 を解くと
 r=(-14±√(14^2-4×2×11))/4
  =(-14±√(196-88))/4
  =(-14±√(108))/4=(-7±√27)/2)
  =(-7±3√3)/2<0
 つまり(8)=(11)の3次方程式は、
  7と、(-7±3√3)/2 の3つの実数解を持つ。
 半径としての正の答えは、7 のみ、ということになる。)
 
(2011年12月28日)
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整数解がなければ私は解けなかった・・
問題のある問題だとも思うのでありますが、
もっと簡単な解き方がありそうな気がします。・・わからん・・
コメントいただければ幸いです。
 
年末だというのに、いったい私は何して遊んでるんだろ・・
季節のポエムでも書きたいのだが・・無理か・・(嘆)
 
 
 
 

何度も書いてきたことですが、これまでの記事と、
ブログ「日常×非日常」に書いたコメント
などをもとに記事にしてみました。
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偶像と玉葱の皮
 
 
人が神を
特にキリストを信仰するとき
祈るときも感謝するときも
キリストの理想像を
人は心に思い描いています
その根拠は聖書ですが
それも人による聖書の解釈です
 
したがって信仰は
自分にとって望ましく好ましい
また都合のよい偶像ということになります
つまり信仰は偶像信仰にしかなりえないのです
 
信仰の偶像は忌むべきです
排除できるなら排除したいのですが
はたして排除できるでしょうか
 
信仰が偶像信仰にしかなりえない以上
単純に考えれば
偶像の完全排除は信仰の消滅でもありますから
完璧な偶像破壊も
真の信仰に至ることも
結局は不可能だと思います
 
しかし偶像を排除しようという意思を持つことは
折に触れて大切になるでしょう
経験を重ねるにつれて余計な尾ひれが付いてくるのが
人が信じるということの必然ですから
 
信仰の偶像を自覚しない信仰にならないために
 
偶像の排除は
玉葱の皮を剥くようなものかもしれません
剥いても剥いても切りがなく
刻めば出てくるのは涙だけ
しかも玉葱の芯が
真の信仰だという保証はないのです
 
だからといって
偶像排除など
しなくてよいということにはなりません
 
いかなる信仰であれ
自分に都合のよい偶像信仰に陥る危険はあり
偶像信仰だけならば
玉葱の皮をむいた後に残るものは何もありません
偶像信仰だけでないならば
皮をむき続けるのが信仰者の一生です
この場合
皮をむく作業は終わらないのです
 
したがって人は
皮をむく作業が終わるか終わらないかも予測できないまま
作業を続けることになります
それは空しいだけだと止めてしまうと
玉葱の皮に気づこうとしないまま偶像信仰が続く
という最悪の偶像信仰に陥るでしょう
 
信仰の偶像を自覚する信仰であるために
 
剥いて刻んでも出てくるのは涙だけ
だからこそ
玉葱の正体を知りたいなら
ありったけの涙を流すべきなのです
 
(2011年12月21日、同日一部修正)
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原初的で不可避な偶像信仰を「信仰の原罪」と呼ぶべきこと
そして「信仰の原罪の自覚」が
すわなち「偶像信仰だという自覚」が最も重要だということ
(自覚がなければ「信仰の原罪」は「傲慢な確信」に変わるだけです)
 
その上で初めて拠りどころとなる神への依存
信仰が成り立つ
 
ということを今までずっと述べてきました
聞く人もいないのに・・
 
余談ながら昔
動物園の猿にラッキョウを与えたら
剥いても中身がないので
猿は怒って投げ返してきた
という話を聞いたことがあります
誠に余談ながら
人間は考える動物です
猿よりは深い思慮を持ちたいものです
 
 
 
 

ブログ「日常×非日常」に書いた私のコメント
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(信仰の思想化は本性か罠か)
 
言葉については本性でも罠でも当てはまると思います。
既に本性と言ってよいほど定着しています。
言い換えれば結局、似たようなことになりますが、
「本性だから仕方ない」が高じて傲慢が常態になっている世界で、
性根の腐った本性そのものを、命を失ってでも、
変えなければ・・というほど困難な現状認識だということです。
その本性ゆえに罠に落ちており、
自分も既に落ちており、これからさらに落ちるかもしれない
という自覚があるかどうかだと思います。
自覚があれば、ある程度気づくことが出来るでしょうし
少しは排除できるでしょう。
聖書に当てはめることで完結して、他人事のように語り、
自覚を持たないなら、気づくことが先ず出来ないのです。
人の側からは人間としての自覚だけが気づきを促します。
2011/12/20(火) 午前 6:41[ st5402jp ]
 
人の側で自覚できることを危機感を持って自覚することなく、
聖書にこう書いてあると言い立てて、
聖書に帰れ、キリストに帰れ、リバイバル云々・・は、
アメリカでも日本でも既に言われていることでしょう。
聖書は解釈次第ですし、キリストの住所は誰も知らない。
いわれなき注解者となって人のほうが引き寄せて
味方にしようとしている神は偶像に他ならない。
 
そういう神の御心のままに・・なんてのは、
考えることを、神によらず、自ら放棄した人の姿です。
2011/12/20(火) 午前 6:43[ st5402jp ]
 
リバイバルとかよりも
自らの信仰の人の器のリフォームが先だと思いまず。
さもなければ、いくら聖書的な言葉を引きずり出して唱えても、
そのことが却って、言葉で何と言ったところで、既に
主イエスを十字架に付け続けるという罪の意識さえ
自覚できないで悦に入る信仰になってしまっていると思います。
そういう場合、人の側からも、そういう信仰は
人間の信仰とは思えない、むしろ妨げている、悪魔だ、
ということはありうるわけです。
私は人を悪魔と呼んだ悪魔なのです。
そして悪魔がいっぱい、誰も例外ではないのです。
既に誰の信仰もどこか狂っているのです。
自分を圏外に置くべきではありません。
自覚は自分を圏外に置きません。
そこから始めるべきなのです。
自分の信仰を人の側からリフォームするのではなく、
信仰のマイホーム主義に陥るのが
まさに自らの本性を省みなくする罠なのだと思います。
(私のコメントをブログに書こうと思います)
2011/12/20(火) 午前 6:44[ st5402jp ]
 
旧約聖書を引っ張り出してきて、
敵を滅ぼしてくださいと神に祈る
=敵を滅ぼしてくださいと「神」と名付けた自分に都合のよい偶像に祈る
=敵が滅びることを「神」と名付けた偶像のもとに正当化する
この敵なるものは、
まさに自分にとっての敵であり、
聖書にあるような神の敵であるかどうかは分からないのに、
自分にとって都合の悪い相手を敵と見なすことを
偶像信仰によって正当化する行為ということになります。
偶像がいかに信仰の性根を腐らせるかを示しています。
2011/12/20(火) 午前 9:00[ st5402jp ]
 
(続き・付け足し)
信仰者であるがゆえに陥る悍しき被害妄想だと思います。
2011/12/20(火) 午前 9:08[ st5402jp ]
(2011年12月20日)
 
 
 
 


好い子
 
 
好い子も
正義の味方も
いない
 
大人は
好い子になれない
 
波風を立てないためには
「いい子」になるのが一番だが
 
中には自分が「いい子」だから
他者にも「いい子」になることを求める者もいる
しかも「いい子」ぶる自分に気づいてさえいないのだ
そして「いい子」は
こんなに「いい子」のための
「いいことば」を語っているのにと
さも悲しげなそぶりを見せる
 
心の箱がひび割れて
黙り込むほどの
上書き不能の自作のテキストだけを
充満させた無神経系の条件反射に
「いい子」の真似をしなさい
「いい子」になりなさい
と吹き込まれ続けている
 
だから
「いい子」を強いられる空気の中では
いずれ波風ではなく
嵐が来る
 
(2011年12月20日)
 
 
 
完全数
 
 
聖書的完全数は7だという
それは天地創造の7日間に因む
 
数学的完全数についても
奇妙な解釈があるらしく
6は天地創造での神の実働日数で
28は月の公転周期で
聖書にある7×70=490に近いが
(聖書的には7×70は無限を意味する)
さすがに完全数も496以上は
こじつけようがなくて
救世主の電話番号だろう・・と
冗談の書いてあるサイト
忘れたが
神のサイトでないことだけは確かだ
 
(2011年12月20日)
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昨日とても嫌なことがあって、
気が晴れない、気分が悪い、吐き気がする
・・ガス抜き、ガス抜き、・・ここでは放屁に近い・・失礼。
 
 
 
 


形骸
 
 
傷つけないように気をつけても
傷つけてしまうことがあり
罪が生まれる
 
しかし傷つけないように気をつけること自体が
習性のように
形だけになってしまうことがあり
生まれた罪は自覚されない
 
やり場もなく
じりじりと長く続く痛みなら
気を失ったほうがましだ
 
反対意見は
元々空気を乱すものだから
見た目だけ穏やかな言い方はしない
 
皮肉と揶揄で小馬鹿にするような
狡い言い方はしない
 
はっきり言わないことが
気遣いだとは思わない
 
ぶつけて反発を受けることで
揺り動かされても
ときに折れても
壊れても
跳ね返っているあいだ
空しさも生きているのだろう
 
 
 
文章
 
 
顔も身振り手振りも見えず
性格もよく分からない文章にも
文脈とか前後関係とか
筆致とか書き癖というものがあり
もちろんテーマの重要度など
という場の状況もある
 
真剣な反対意見の文脈で
相手に対して肯定的とは思えない冗談めいた譬えは
揶揄になってしまう
 
心理分析をする能力はない
しかし誰もが
心理分析をしているとも言える
 
ごまかしや虚飾のない本音
本気の意見
本当の気持ちを知りたいからだ
 
本当のことが知りたい
という嘘もあるから
本当のことが知りたいのである
 
(2011年12月17日))
 
 
 
 

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