議論と保身
 
   嫌われる勇気
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
今さらのように、前にも言ったような苦情を、楽山は書いてきています
 
(楽山)

>しかし、シャロームは平気なのです。何故なら、楽山と同様、自分に都合の悪いことは無視して忘れてしまうからでしょう。
 」
私の考え方はこうです。
「コメ欄を占有することなく、穏やかに意見交換しましょう
やたらと連投したり、攻撃的な発言は止めてください」
したがって、
こちらの注意を無視して、
攻撃的な発言を連投し続ける方は、荒らしとしてスルー対応が基本となります。
2019/8/26(月) 午前 7:01 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
より深く、より詳細に、コメントしようという書き方が必要だから、記事に書いたことを、ほぼそのまま書いています。その必然を作ったのは、問題だらけの記事とコメントを書いている楽山とシャロームであります。それを、コメ蘭を占有、と言い、攻撃的と言っていることのほうが問題であります。
(私)
穏やかに意見交換できる相手とは、既に、思っていません。うわべだけの正論は、もはや通用しません。(楽山の)注意を無視して・・などと言うほうが問題であり、荒らしとしてスルー・・などは、コメントを読んで理解していないことを表しています。楽山のボンヤリ言語は、作為によって、荒らし以上の害毒と見なしています。
 
(楽山)

>楽山のボンヤリ言語による世辞の交流も、シャロームの丁寧語による世辞の交流も、空気としてずっと作用しています。
 」
口では無礼講というときでも、基本的に人と人の間に礼儀はなくならないものです。
それに聖書について語る人に、唯物論的見解を披露するのを無作法だと非難するならともかく、世辞による交流だとするのは、私には理解しかねる見方です。
 
(私)
基本的に真実を曲げてきた相手に対して、礼儀は何の意味もありません。このことは、前に書いたと思いますが、またこのようなことを書いてくることが、気に入らないことを無視するアドラー教か、楽山の体質または意志、つまり、不都合忘却の結果なのです。こちらは、怒号ではないだけ、冷静に書こうという意志の表れです。
(私)
ここでも、また、被害者芝居をしている楽山です。楽山は、反省しないのだから、理解しないか、できない人、だと承知の上です。穏やか芝居の偽善があれば、それを批判するコメントが付いてくるのは当然のこと、判断は読者がするでしょう。
(私)
なお、「唯物論的見解を披露するのを無作法だと非難する」などという次元での批判はしないのです。無作法ではなく、殆どの見解において、楽山は、理路の片落ちと欠陥があることを指摘しています。理解しかねる・・というのは、私の問題ではなく、楽山の問題です。
 
(楽山)

 >楽山は、動物の本能と、人間の意志を、区別しないようです。
 」
本能は遺伝的なものだろうし、意志は遺伝的なものだけでなく、環境も深くかかわってそうです。
いずれにせよ、ドーキンスの利己的遺伝子を読めば、自分は自分の意志で判断してるのか、遺伝子に動かされてるのか分からなくなるし、
進化心理学の本を読めば、さらに分からなくなりますよ。
2019/8/26(月) 午前 7:06 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
分からないのだから、何を書いてもいい、という判断でしょうか。何を書いてもいいけれど、人間の心の問題抜きに語れない問題を、進化論で語ろうとすれば、欠落している視点について、心の問題について、指摘し批判することになります。当然、批判は付いてくるということです。加えて、楽山の、穏やかさは、今までの経過より、自己正当化の保身であるという判断です。
 
(私)
愛とか心とか信仰とかいったテーマについて、楽山、シャローム、易坊は、書けないのではないかと思っています。ゆえに、シャロームは世辞と讃美が多くなり、楽山は唯物論的思考や条文的思路が多くなり、易坊は都合の良い学問みたいな解釈を振り回して荒らしてきます。ゆえに、キャラ設定だけを分けた成りすましをも疑うことになっています。
2019/8/26(月) 午後 1:10 st5402jp 返信する
 
(私)
楽山はシャロームの味方をしています。易坊はシャロームの味方をして二人で私を攻撃してきたことがあります。シャロームのコメントが、易坊にそっくりになったことがあります。・・最も憎むべき偽牧師かつ偽キリスト者のシャローム繋がりじゃないか・・
 
(私)
他にも成りすまし疑惑は、tensobaという聖書研究オタク(キレやすい)、こうさんという仏教徒で怒って暴言する人(キレやすい)、団鬼七という世をすねた男(キレやすい)、pci****、エクゼルという易坊の友人で暴言キャラ(キレやすい)・・まで広がっています。自称ヨシュア(キレやすい)と自称マグタラ(ププ、ケラっなどと嘲笑う性格)はどうでしょう。真実は闇の中です。
(私)
皆、自分は正しい、という前提で語ってくる者たちです。これらが全部、本当に成りすましキャラなら、楽山は相当な食わせものということになります。成りすましは、ネットでは証明できません。しかし、証拠がないじゃろ、というネットの特徴を言い訳にしているなら、それは傍証にはなるでしょう。
 
(楽山)
>ゆえに、キャラ設定だけを分けた成りすましをも疑うことになっています。
これについては、私は、シャロームさん、易坊さんとは別人ですとお答えしておきます。
 
(私)
発言の信用度がゼロになっているのに、今さらのように、これを言うことに、楽山は、本気で意味を感じるのでしょうか。呆れます。
 
(楽山)
あと先に書き忘れてしまいましたが、強引な割込みは止めてくださいともお願いしておきます。
私が他の方と話をしてるときに、強引に割り込んできて、攻撃的なコメントを連投するということが、ちょいちょいあるし、これは御勘弁ください。
2019/8/26(月) 午後 9:32 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
これも、呆れた話です。コメントの遣り取りの途中であるか、一休みであるか、大方、区別はつかないものです。それを分からずに上のようなことを書いてくることこそ、独りよがりの自己中心の表れなのです。
 
(楽山)
それから、スルーの理由をさらに書いておけば、前にも書いた通り、人生観、信仰観、感性、感想などは、人それぞれだと考えるからです。
事実関係についての議論ならまだしも、人生観、信仰観、感性、感想などは、これのみが正しいとは断定できないものであるし、議論しても仕方ないです。
 
(私)
私が、自分と違うからという理由で、批判していると楽山は思っているようです。ここに至って、これですから、楽山の理解力の鈍麻が相当なものだと分かるわけです。批判している理由は、楽山とシャローム、そしてその言説が、邪悪だと判断しているからです。邪悪に、人それぞれは成り立ちません。
(私)
私は、仏教だからと、神道だからと、異教だからと、批判することはありません。皆が信じたら、とんでもない人間世界になると思うから、批判しています。だから記事には何度も、関わらないでくださいメッセージを添えているのです。カルトと言っているのは、そういう意味です。
 
(楽山)
「私はこう思う」「そうですか。私はそうは思いません」で終了です。
これについて、もし議論しようとするなら、相手に対して、「私と異なる人生観、信仰観、感性、感想を持つのは間違いだ。私と同じ人生観、信仰観、感性、感想を持つべきだ」という主張をすることになるでしょうし、私はそんなことはできません。
 
(私)
引き続き、ひたすら、楽山の理解力の自己中心と劣悪さが表れています。このように、自己中心の訂正不能は、必ず、人間関係と社会の正常な営みに、特に発展を支える精神に、停滞、鈍麻、そして、嘘、偽り、偽善をもたらします。放置すれば、カルト信仰は静かに進行し、人間を破壊するからです。
(私)
だから、楽山とシャロームは、今、怒号を浴びせられていても、おかしくはないのです。だから、冷静に文章化していると、前のほうで書きました。カルトは、広まれば、必ず、犠牲者が出ます。まだ、規模が大きくならないうちに、カルトの言説はベッタリピッタリ批判付きにしておかなくてはいけないのです。そういう覚悟で書いています。
 
(楽山)
だから、私とは異なる人生観、信仰観、感性、感想、人間観…などに基づく意見、批判については、反論の必要性はさほど感じません。
 
(私)
楽山は、よほど自分の意見について鈍感になっているのでしょう。人生観、感性、感想、人間観、批判、といったものは、いずれも、人生を左右する重大なものです。それを、批判を軽く見ている姿勢そのものが、真実追求を、趣味の軽さに貶めています。よって既に言論者失格なのです。
 
(楽山)
ましてや、stさんはご自分のコメントは「と思う」ということだと書いてたし、そういう感想コメントに、その感想は間違いだなんていちいち言いませんよ。
2019/8/26(月) 午後 9:34 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
楽山は、よほど他者の意見について鈍感になっているのでしょう。「と思う」は全部についてくることですが、楽山は、情けないくらいに、言論が分かっていないようです。楽山の精神は、真実追求の公論に耐えるものではないと思います。子どもの喧嘩レベルのことを言っています。つまり、
(私)
つまり「と思う」すなわち言論を、感想だから、間違いだなんていちいち言わない、というレベルなのです。そこで、是非について何も反応しなければ、もし皆がそうなれば、言葉とともに、真実は滅びるのです。楽山の意見は、まるで、感情も意欲もなくなった群れを正常と呼んでいるくらいの、暴論です。もうやめてください。
 
(楽山)
ところで、ブログの引越しではコメント欄は切り捨てられるという話なんで、
記事修正できなくなる前に、コメント欄を記事にコピペ保存しようと考えてます。
全部のコメント欄をそうするのは無理だろうけど、直近のやつくらいはそうしとくつもりではあります。
2019/8/26(月) 午後 9:52 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
楽山は、自分に都合の良いところだけ、記事にするつもりかもしれません。注意が必要です。
(私)
私は、4つのブログの記事に、できるだけ、書いておくつもりです。とんでもないのが、ヤフーから、呆れるほどのピント外れと鈍麻を抱えて、話にならない空論を、議論の装いで飾って、繰り返し宣伝するために持って来るわけですから。
 
 
(私)
キリスト者の正しさは、言動の正しさではありません。
(私)
キリスト者の正しさは、祈りと赦しが必要なほどの告白の正直さ以外ではないのです。
(私)
神の前に、キリストの御名によって祈る心得は、正しさではなく正直さであります。
(私)
神に背くような、人間としての弁えの鈍い者たちは、やたらと正しい立場を売りに出していますが、
(私)
私たち信仰者は、既に、自らが正しくないことを認めた人間であります。そのような人間が、救いを求めるところは、豪語ではなく、礼儀ではなく、美辞麗句ではなく、世辞ではなく、思い込みではなく、ただ神に対してのみ、一途に正直であろうとすること、そのただ一点においてのみ、救われる信仰者がいて、救い主がいるのです。
 
 
(2019年08月27日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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