ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2012年01月


冬になりたい
 
 
雪になりたい
北風に乗って
誰かの襟を立たせ
震えさせるほどの冬に
 
霜になりたい
ガラスの表面で
張り付いていても
昼には跡形もなく消える
 
氷になりたい
中の気泡を守るのだ
子供が顔を寄せて眺めても
溶けて流れて消える姿は見られない
 
雪になりたい
誰かの毛糸に降りて
すうっと消える
六角形
花の命は短い
若いと言われる時も
 
(2012年01月20日)
------------------------------------------------
こちらは晴れていましたが、関東は雪だったそうで
・・雪国では既に大変でしょうけれど・・
昔、手袋に落ちた雪が消えてゆくのを見ました。
六角形の結晶が肉眼で見えることがあるんですね。
 
入院中の母は、歩行器?で、毎日のリハビリと
トイレとシャワー室までの往復が許可されている状況です。
 
 
イメージ 1
27歳の時の私です。野外スケート場にて。 
ピントがボケてるので、気に入ってる・・
 
イメージ 2
49歳の私です。これでも写りは好いほうです。
ハウステンボスにて。
まだ人間に似ていた。今は見る影もなくて・・
  
――――――――――――
2014年05月14日「昔はイケメンでした」トーナメント参加
・・「イケメン」は冗談ですよね・・冗談のつもりで参加してます・・汗・・
 
 
 
 

去年の1月、ブログ「日常×非日常」より
今回は記事本文も載せることにしました。
 
「怒りと赦し」(年頭所感に代えて) 傑作(1)
2011/1/11(火) 午後 4:53
 
記事本文:
 
 市川森一「米国への怒り抑え込むな」より
 
「明日」という題のテレビドラマを、昭和最後に書きました。長崎に原爆が投下される前日、1945年8月8日の庶民の暮らしを描いた作品です。
 戦時下とはいえ、家庭には団欒があり、母は子を産み、人々は夢を抱いていました。その日常を一瞬にして奪った不条理を許さない、という怒りを込めました。
 
 オレンジ色に染まった西の空、包帯でぐるぐる巻きにされて隣家に運び込まれた男性――。
 当時、諫早に暮らしていた4歳の私も、ぼんやりとあの日を記憶しています。
 鮮明なのは、戦後しばらく残っていた浦上天主堂の生々しい廃虚。
 のちにクリスチャンとなる少年の私に、そばを通るだけで悲しみとおそれを感じさせました。
 
 長崎には「原爆投下は神の試練」と受忍する考え方があります。キリスト教色の強い浦上地区が爆心だったためでしょう。しかし、結果として米国への批判を封じ、責任をうやむやにする役割を果たしてきたのではないでしょうか。
 
 米国内には、「原爆投下が戦争終結を早めた」という弁明が、今なお定説としてまかり通っています。
 なら、なぜ2発も続けて落としたのか。広島にはウラニウム型、長崎にはプルトニウム型と使い分けてもいます。
 その後の調査団派遣は何だったのか。米国の狙いの一つは新兵器の「実験」だったとしか思えません。
 
 原爆投下の出撃前、部隊に従軍していた聖職者は、作戦の成功を神に祈り、爆撃機の乗員に祝福をささげました。神や正義を振りかざして虐殺を正当化した米国と、「仕方ない」と怒りを抑え込んだ日本側の姿勢は、表裏の関係にあるのです。
 
 半世紀前、浦上天主堂の廃虚が撤去された背景にも、米国への配慮が働いたという見方があります。保存されていれば、原爆の罪深さを世界に伝える、もうひとつの「原爆ドーム」になっていたでしょう。
 オバマ米大統領が崩れ落ちた教会を目にしたら、赦しを請うたに違いないと思うと、残念です。
 
 いつか、天主堂を題材に戯曲を書こうと、資料を集め始めました。信者であり、長崎人である、私の宿題です。
 
(朝日新聞2010・11・5)
 
☆   ☆   ☆
 
 
 正直に告白すれば、昔の私はこの手の論調に対してあまり同意できなかった。大学に入った頃、このような内容の講演を聴いたことがあったが、そのときもあまり同調も同情もできず、むしろ「なぜこの人はこんなに怒っているのか」「怒りというマイナスの感情は早く忘れてしまった方がいいのではないか」などと考えていた。
 今はそのように考えていた自分を心から恥ずかしく思う。
 
 怒りを抑え込むこと。これは怒りを克服して赦すこととは、まったく別のことだ。
 怒りをなかったことにしてしまう。しかし、怒りは自然になくなるものではない。それは抑えられれば抑えられるほど、歪んだ形で表面に出てくるのだ。
 自分には怒りがあるということをまず認めなくてはいけない。そしてそれを表明しなければいけない。その上で、相手を赦さなければいけないのだ。
 
 怒りを抑え込んでいたら、永遠に相手を赦すことはできない。
 記憶の彼方に消えていくように思えても、それは必ず残っているものだ。
 
 「主よ、わが兄弟われに対して罪を犯さば、幾たび赦すべきか、七度までか」
 「否、われ『七度まで』とは言はず、『七度を七十倍するまで』と言ふなり」
 (マタイ18:21-22)
 
たしかに私たちは「他人の罪を赦さなければいけない」。
 しかし、ここにも、キリスト教の間違った解釈がある。
 赦すというのは、怒りを抑え込むことではない。怒りを表明した上で和解することである。
 私たちは「抑えられた怒り」を「赦し」と思い違いしているのではないか。
 そういう思い違いがあるなら、神が私の罪を赦したということの深い意味を悟ることもできないだろう。
 神は怒りを抑え込んだのか?
 否。
 もし抑え込めるような怒りなら、それは本当の怒りではないだろう。
 
 かくいう私も、その怒りの深さをよく分かっていない。
 だから、私もまた、自分の怒りをあっさりと抑え込んでしまうのかもしれない。怒るべきときに、怒れないのかもしれない。
 そういう私の態度が多くの歪みを生んでいることには、ようやく気づけるようになってきたのだが、そこから一歩踏み出すところまでは行けていない。
 
 怒りと赦し。
 これが今年の私のテーマである。
 
--------------------------------------------------------
 コメント
 
相手が認めてもいない罪を赦すということがあるのでしょうか。
例えば「自分が何をしているか分からないでいるのです」は
キリスト・神だから言える言葉のような気がします。
人が言うと、陰険な皮肉~敵意の表明のような気もします。
それに人はしばしば自分が何をしているか分からないですし・・・
2011/1/13(木) 午後 1:56[ st5402jp ]
-------------------------
※補足:上の4行目「人が言うと」は
人が相手の人のことを、聖書の言葉ですが、
「(相手は)自分が何をしているか分からないでいるのです」
と言うと陰険な皮肉になってしまうという意味です。
 
上の例で言うと、米国は原爆に罪意識をもっていないということでしょうか?その場合だと、やはり罪意識を持たせるために、被害者が怒りを爆発させる必要がありますね。それをうやむやにしてしまったのは日本側の責任ということになります。
2011/1/13(木) 午後 10:33
 
おやまあ、というか・・・爆発ですか・・・
それで米国が罪意識を持つかどうか・・・?
米国の原爆投下の話になると、難しい問題になります。
日本側がそれを持ち出すと、向こうは真珠湾奇襲を持ち出すでしょう。
戦争を仕掛けたのはどっちだという話にもなるでしょう。
引用記事のように
仮にオバマ大統領が原爆について謝罪することがあったら、
日本は真珠湾奇襲について謝罪すべきでしょう。
原爆と通常兵器、無差別殺戮と軍艦が標的
という決定的な違いはあっても、
即レスで無条件で日本も謝罪すべきだと思います。
そうしないと話し合える器を疑われそうな気がします。
話が逸れました。失礼。
2011/1/14(金) 午前 6:32[ st5402jp ]
 
テレビで
原爆投下の爆撃機に乗っていた退役軍人に被爆者が
謝罪を要求したけれど退役軍人は拒否したというのがありました。
「それが戦争だ。仕方ない」とか言っていました。
そういう戦争の不可抗力の弁明が成り立たなくなったのが
広島・長崎以降の時代ではないかと私は思っています。
個人レベルでは米国でも原爆の被害を知って、
日本に対するというか、人類に対する罪意識を持つ人は
少なくないとは思いますが。
2011/1/14(金) 午前 6:35[ st5402jp ]
 
日本には、米国の原爆投下だけでなく、
日韓併合から太平洋戦争までの戦争をうやむやにしている、
しようとしている、正当化さえしようとしている動きが
あるかも・・・また話が逸れてゆくようです。
核兵器や戦争や国家については私のブログの
「理念・断片」に乏しい知識から少しばかり書いてますが、
それはともかく
「怒りを爆発させる」なら、自国に対しても厳しく同様に
怒るべきでしょう。
2011/1/14(金) 午前 6:36[ st5402jp ]
 
話しをこの記事のテーマに戻すと、
V様は「罪を赦す」ということについて
>赦すというのは、怒りを抑え込むことではない。
>怒りを表明した上で和解することである
怒ったままで和解することは困難だと思うので、
怒りという感情を抑制する過程は必要だと思います。
自然に治まる怒りがあるような?ないような?よく分かりませんが、
いつになく、V様においては、「怒り」と後の「憎しみ」
という陰性の感情を大切にしておられるように感じます。
「怒りからは何も良いものは生まれない」の対立命題?
2011/1/14(金) 午前 6:38[ st5402jp ]
 
昔習った、新渡戸稲造だったか、
「忘れることは出来ない。しかし赦すことは出来る」
という言葉を思い出しました。
私は「罪を赦す」ということは「罪を忘れる」ことではなく
「罪びとを罪のゆえに罰することをしない」ことだと
思ってきました。「和解」という言葉もよく使われるので、
それとも矛盾はしないだろうと・・・。
怒りの感情を持って、なお赦すことができる、とは・・・?
 
私としては感情そのものを大切にするというよりは、
そういう感情を持っている自己と他者を無視するな
という意味に受け取りたいです。ということは
それらをモニターし、結局はコントロールする知恵・
心・思考・意思・意志があって
初めて和解が可能になると思います。
2011/1/14(金) 午前 6:41[ st5402jp ]
 
ふむ、なるほど、おっしゃるとおりだと思います。
日米関係についていえば、たしかに日本人はただ米国に怒りを爆発させるだけでは不十分でしょう。日本人のしてきたことにも目を向けなければいけない(もちろん真珠湾攻撃だけではないですよね)。しかし、これまでの日本はその両方を怠ってきた。というより、自分たちにも疚しいところがあるから、相手に怒りを表明することも避けてきたのではないかと思います。おっしゃるとおり、怒りを爆発させれば、そういうお前だって!と反撃されるのは明らかだからです。しかし、その反撃を避けるために怒ることをやめるのは卑怯だと思うのです。怒りをぶつけて、相手もまた怒りをぶつけてくる。そこで初めてお互いが反省する機会も生まれてくる。市川氏の話には、そういう機会を失ってしまったことへの怒りがあるのだと思います。
2011/1/14(金) 午前 11:47
 
怒りをコントロールするというのは、怒りを無理に抑えることではなく、怒りの原因について理性的に考えていくことで可能になるのでしょう。これもおっしゃるとおりだと思います。日米の対話というのも、その一つの手段だと思います。まず怒りがある。それをお互いに認めた上で、ではその怒りをどのように処理していくかを対話しながら考えていく。これがあるべき人間関係なのでしょう。
 
なんて、偉そうに言っていますが、私自身、そういう人間関係が苦手なので、いつものように自戒を込めての話です。そういう自分が卑怯だというのはよく分かっています(苦笑)。
2011/1/14(金) 午前 11:51
 
(2012年01月20日)
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私も人間関係は苦手なので偉そうなことは言えませんが、
考えることは必要だし、私が長崎出身ということもあり、
前の前の記事との関連で載せることにしました。
st5402jp が、私のコメントです。
一部できるだけ誤解を避けたいので補足を加えました。
 
 
 

あるTV討論会での発言について。
 
「明治時代からの日本の海外進出は、時代背景として、欧米列強は当然のごとくやっていたことであり、植民地を持っていたのだから、近代化を果たした日本にとっても当時としては当然のことであり、今の倫理で考えるのはおかしい。」
という主旨の意見について:
 
今の倫理で考えることも必要だと思いますが、それよりも、
 
近代化のプロセスが欧米列強とは違うと思います。
 
欧米列強は既に以前から強い国であり、植民地獲得においても覇を競っていた。
日本はそうではなく、植民地にされかかった国であり、
それを何とか切り抜けて近代化を果たした国であります。
植民地にされた国や中国などの悲惨な状況も知っていたはずです。
 
ですから逆に、当時だからこそ、
「日本は植民地にされかかった国であり、その悲惨さを知っているのだから、
これからの日本は他国や隣国を植民地にするような国になってはいけない。
したがって海外派兵はするべきではない。」
という意見を主張する人が多く現れなかったことのほうが、
むしろ不思議に思えてなりません。
 
反日運動が韓国や中国で起こるたびにうんざりする人は多いだろう。
さらに「反日教育がなされていたからだ。日本は悪くない。
むしろ感謝されてもおかしくないのに・・」
などという主張もあるらしい。
ではなぜ反日教育がなされたのか。感謝されておかしくないならば、
なぜ反日運動が盛り上がってしまうのか。
 
日本が朝鮮半島を長期のわたって支配し、中国の一部を支配し、
中国大陸で中国と戦争したという事実は否定できないでしょう。
仮に日本が同じことをされて、相手国がそれを正当化するならば、
恨まずにおれるだろうか。逆のことをされたら私なら恨みます。――――(1)
全部ではなくても、
 
日本は恨まれているのです。
 
そして、恨まれる原因になるようなことを日本はしたのだ
という認識に立たなければ先へは進めないだろうと思います。
かといって日本がいつまでも謝り続けて卑屈になってはいられないのだから、
歴史の事実をできるだけ詳細に明らかにして
お互いに誤った認識を改めていく作業が必要になるのでしょう。
 
次に
「(核武装を)宣言するだけでも抑止力になる。」
という発言について:
 
どういう意味でしょうか。
宣言するだけで、実際には核武装しない
という意味ならば、
いずれ衛星写真や情報網によって
核武装の動きがないことは明らかになるでしょうから、
宣言することは無意味だと思います。
徒に他国に脅威を与えて警戒されるだけだと思います。
 
実際に核兵器を持つまでの間のこと
という意味ならば、結局は核武装するつもりなのだから、
「宣言するだけでも」は詭弁としか言いようがありません。
 
抑止力については「理念・断片」にも書きましたが、
脅しあうことによって均衡を保って平和を維持しよう
という危うい後付けの理屈だと思います。
 
(2012年01月20日)
(2013年09月08日、一部加筆修正)
 
たいていの戦争で、多かれ少なかれ、
弱者に対する略奪、虐待、虐殺、凌辱は行われてきていると思います。
(1)のようなことを考えてみると
日本が恨まれ隣国がこだわるような
事実があったなかったという歴史認識の論争の根底にあるのは
歴史認識そのものよりも
民族と国家の尊厳という
帰属意識に基づくアイデンティティの問題になるような気がします。
となると歴史的事実の確認の議論を続けても
それはいつ決着するか分からないような果てしなく続くことだし
そういうつもりで続けるべきことだし
「歴史認識による決着」と
「政治判断による解決」は分けるべきことのように思われます。
大事なのは前者よりも寧ろ後者であり
(地球人としてのアイデンティティは遠い将来にあるかないかの理想だから・・)
日本が自国と日本民族の誇りを守るように
隣国とその民族の誇りをいかに大切にしうるかを示すことのように思われます。
 
日本を攻撃しなかった隣国を攻撃し
日本を支配しなかった隣国を支配したら恨まれる
という大筋の認識に立つべきで、それをせずに
自己の認識をぶつければぶつけるほど関係はこじれるでしょう。
 
日本が外国の国益のための戦争の
便利な先鋒に組み込まれる種が蒔かれてしまったようですから・・なおさら
意見の食い違いが諍いに
諍いが意識的にも無意識的にも根深い怨念となりませぬように祈ります。
 
(・・この記事についての加筆は今のところ、この辺にしておきます。
 ・・なかなかまとまらないので・・稿を改めるかどうは検討中・・) 
 
(2014年07月04日、加筆)
 
 
 


ブログ「日常×非日常」に書いた私のコメント
 
まず同ブログの記事「脱原発とは脱原爆のことである」
に書いた私のコメント :
 
 
母が入院という個人的な出来事以来、私は、
たまに数学・・という程度に逃げている感じで申し訳ないですが、
孤軍奮闘されてますね。
 
ずっと前に私のブログ「理念・断片」に書いたことですが、
「原発は安全だよ。事故の確率は数億分の1だから。」
   ↓
「原爆も持つだけなら安全だよ。抑止力だから。」
   ↓
「原爆も止むを得ないときは小さいものなら使うべきだよ。」→ドカーン!
なんてことにならないように、
恣意的な流れを作る動きに警戒しなければならないと思います。
 
前にも書いたけれど、今後、
「日本の原発は安全だから、あの程度で済んだ。」とか
「あの原発事故は天災によるものだから、原発自体の安全性は問題ない。」
などという詭弁を許さないように注意したいものです。
 
2012/1/18(水) 午後 0:49[ st5402jp ]
 
 
次に同ブログの記事「チェルノブイリの真相」
『チェルノブイリの真相~ある科学者の告白~』
同ブログ記事の中の映像リンクです。
http://www.youtube.com/watch?v=lStauJUSz6A
 
私のコメント :
 
リンクのほうは、まだ見てないのですが、
前にテレビで、放射能がモスクワに及ばないように
人工雨を降らせて方向を変えたとかいう話を聞いたことがあります。
まだ被害は続くのでしょうね。
 
原爆は爆発そのものの怖さもありますが、
核の被害は時間的にも空間的にも限定できないから、
また後になって被害が出ても、それが放射能による被害かどうかも
確認しにくいところが、
人の問題もあり、過ちを常とする人類に核は手に負えない
と・・私が脱原発と反原爆を考える主要な理由です。
さらに
中性子爆弾という街は残して人だけを殺す兵器も現実にあるそうだから・・
 
すみません。気持ちに余裕がないので・・そのうちリンク見ます・・
 
2012/1/18(水) 午後 1:07[ st5402jp ]
 
 
レガノフ回想録1~4と
25年後に脳の病変という映像を見てみました。
「杜撰」「悲惨」「隠蔽」→さらなる「悲惨」という感想ですが、
こういう映像を見ていると、
こんなひどいことが起こったんだ
・・と感情が反応しがちです。それで
こんなひどいことが起こったんだから脱原発だ
と言えば、仮定の話ですが、
「日本の原発はチェルノブイリとは違う。
 さらに何重にも安全対策がなされている。実際、福島原発事故では
 チェルノブイリほどの犠牲者は出なかったではないか。」と返される。
この仮定の反論のおかしいところは、まず、
「出なかった」という過去形・・
安全性を高めるという名目で原発を維持しようとする人々、
前の記事のコメントのような流れを作ろうとしている人々は、
今は無理かもしれないが、一日も早く
福島のことを過去にしたいのではないだろうかと思います。
 
2012/1/19(木) 午後 1:16[ st5402jp ]
 
 
V様にとっては地元だから失礼を承知で書くならば、
東日本大震災も阪神淡路大震災も
地震とそれに伴う津波や火災だけならば
大規模で大変で時間はかかるけれど、
被害は時間的空間的に限定されるでしょう。結局
復旧・復興・更なる防災対策へ・・と道は決まっているし、
それ以外にはないと言えるでしょう。
しかし
原発事故が絡んでくると、人災になり、
上のコメントにも関係しますが、
飛散した放射性物質がある限り、また
ラディオアクティヴな核燃料がある限り
被害と被害の可能性は、どこまでいつまで続くか分からない
という考えに今のところ至っています。
 
2012/1/19(木) 午後 1:18[ st5402jp ]
 
 
私事で恐縮ですが、
私の父方の叔母さんは長崎の被爆者だったそうです。
「そうです」という曖昧な書き方しか出来ないのは
心の病もあり、疎遠で、詳しく知らないからですが、
最後は乳癌で亡くなりました。
しこりと違って皮膚が爛れる変わった乳癌で、
Paget病というやつだったかもしれません。
それで、
変わったタイプの癌だったこともあるのか、
母は、心の病はともかく、乳癌は原爆のせいだ
と思っていたようです。
それは・・確かめようもないことだろうと思います。
偶然だとも、原爆のせいだとも、・・
それこそ被爆者全員の追跡調査をやって厳密な統計を取って、
分かるかどうかというレベルの話だろうと思います。
その場で症状が出ない場合、時間が経つと
確認できない怖さが放射能にはあります。
 
福島では厳密な追跡調査・・するんでしょうかね・・?
 
うまく書けませんでした。また書く気になったら書きます。失礼。
 
あ、ここまでの私のコメント、ブログに書こうと思っております・・
 
2012/1/19(木) 午後 1:20[ st5402jp ]
 
(2012年01月19日)
 
 
 
 

数学サイト
http://blog.livedoor.jp/mazra627/
から
「たけしのコマ大数学科」第162回
「恋する数学ベストカップル決定戦」ラウンド1 第1問
問題
 
覆面算です。
 AB+BA+A=AAB
 
となるとき、A、Bは、1~9までのどの自然数でしょうか?
 
 
解答例 ???
 
これは割と簡単そうな数学クイズ~パズルだと思って
気楽に始めたのだが・・・
 
  AB
  BA
 + A
 ――――
 AAB   と解釈する。
 
1桁目の計算
 B+2A=10C+B ――――――――(1)
   Cは繰り上がる数。
 
C=0つまり繰り上がらないとすると
2桁目のA+Bも繰り上がらないので
計算結果は2桁になり題意に反する。
というよりB+2A=B → A=0となり題意に反する。
 
繰り上がる場合、最大9+9+9=27だから
Cは、1か2
(1)を整理すると
A=5C 範囲を満たすのは、
C=1,A=5 ――――――――――――(2)
 
あるいは
B+2A の1桁目が B になるということは、
2Aが10の倍数ということになる。
Aは1~9より、2Aは2~18
ゆえに2A=10 → A=5 ―――――――(2)
 
ところが
問題の左辺は、2桁+2桁+1桁という計算である。
これは最大でも、99+99+9=207=AABだから
Aは、1か2ということになる。―――――――――(3)
(2)と(3)は矛盾・・・!?
解は、ない・・・???
 
(※ AB=A×Bなら、2AB+A=A^2×B
  2B+1=AB→A=2+1/Bで、
  B=1,A=3 と簡単なのだが、
  覆面算というのは、そういうものではないのだろう。)
 
だとすれば、十進数に解がないということになるので、
苦し紛れに、2進数ではどうだろう、と考えてみる。
 
 11+11+1=111 (十進数なら、3+3+1=7 )
 
ということは、A=B=1 ---(答え???)
 
もしこれが正解ならば、
相当な引っ掛け問題である。
 
問題のタイトルと内容が全然関係ない。つまり
短時間で十進数に解がなく2進数の解に気づきなさい
という趣旨の問題だろうか。
しかも
3進数、4進数、5進数、・・・、N進数表記において
解がないことを証明しなければ完全解ではないような気がする・・(?)
 
ということで、
N≧3の、N進数について試しに考えてみる。
 
とても愚直で面倒臭いやり方だが・・
例えば、N進数表記AABは、
A×N^2+A×N+B
という数式に置き換えられる。
問題の式 AB+BA+A=AAB を置き換えると
 
(A×N+B)+(B×N+A)+A=A×N^2+A×N+B
 
 N×B=(N^2-2)×A
 
 B=((N^2-2)/N)×A
  =(N-(2/N))×A
  =N×A-2A/N ―――――――――――(4)
 
Bが整数になるためには
 (2A/N)が整数にならなければならない。
2進数なら、N=2で、B=2A-A=Aとなる。
ここで、N≧3、
そして整数A,Bの範囲は、
題意より1~9、と
またN進数1桁の値だから、1~(N-1)の
どちらか狭いほうということになる。
 
Nは無限なので、
Aの1~9について、 N≧3 の範囲で
(2A/N)が整数になるかを考えてみる。
Bの値は、(4)より、B=N×A-2A/N で計算する。
 
A=1のとき、(2A/N)=2/N
 N≧3では、整数にならない。
A=2のとき、(2A/N)=4/N
 N≧3では、N=4進数しかない。
 B=4×2-1=7
 4進数の1桁に7という数はない。
A=3のとき、(2A/N)=6/N
 N=3 しかし3進数の1桁にA=3という数はない。
 N=6進数 B=6×3-1
        =17 これはBの範囲を超える。
A=4のとき、(2A/N)=8/N
 N=4進数にA=4という1桁の数はない。
 N=8進数 B=8×4-1
        =31 これはBの範囲を超える。
Nが大きくなるとBの範囲を超えるようだ
・・もっと簡単に出来そうな気もするのだが・・
A=5のとき、(2A/N)=10/N
 N=5進数にA=5という1桁の数はない。
 N=10進数 B=10×5-1
         =49 これもBの範囲を超える。
A=6のとき、(2A/N)=12/N
 N=3進数、N=4進数、N=6進数に6という1桁の数はない。
 N=12進数 B=12×6-1
         =71 これもBの範囲を超える。
 ・・同じような計算をやってる・・?
A=7のとき、(2A/N)=14/N
 N=7進数にA=7という1桁の数はない。
 N=14進数 B=14×7-1>9
A=8のとき、(2A/N)=16/N
 N=4進数、N=8進数に 8という1桁の数はない。
 N=16進数 B=16×8-1>9
A=9のとき、(2A/N)=18/N
 N=3,6,9進数にA=9という1桁の数はない。
 N=18進数、B=18×9-1>9
 
以上より、3進数以上のN進数に
A,Bが1から9までという題意を満たす解はない。
 
(2012年01月18日)
----------------------------------------------------
勘違いしているかもしれません。正解か、
もっと簡単な方法があったら教えてください。
2日間PCつけっぱなしで、時々PCの前に座っては
ふりまわされておりました。
母が入院中だというのに・・・リハビリが始まったようです。
 
不必要に面倒なことを書いてしまいました。
AB+BA+A=AAB の、
 B=N×A-2A/N ―――――――――――(4)
において、上に書いたことをまとめると、
A=p のとき、――――――――――――――(5)
N≦p=A なら、
N進数に一桁のAという数はない。
p<N<2pなら、
1/2<(N/2p)<1
2>(2p/N)>1で整数にならない。
N>2pなら、(2p/N)<1で整数にならない。
∴ N=2p しかなく、―――――――――――(6)
(2p/N)=1 しかなく、――――――――――(6)
B=N×A-2A/N
 =2p×p-1=2p^2-1 ―――――――――(7)
A=p は1~9なので、これに当てはめると
(5)(6)(7)より
A=p=1のときB=1(答え)
A=p=2のときB=2×4-1
 =7 N=2p=4進数に
 7という1桁の数はない。
A=p≧3では、
 B=2p^2-1>9となる。
よって解は、A=B=1 のみということになりそうです。
 
(2012年02月20日、加筆修正)
(2012年03月04日、一部加筆修正)
 
 
 
 

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