ウソの国:st5402jpのblog

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2012年03月

数学サイト
http://blog.livedoor.jp/mazra627/
よりの問題:
ABの長さが10のとき、
青色の部分の面積を求めてください。
円周率は、π(パイ)とします。
イメージ 1

(答えは、25πとなる。)
を参考にして・・・
 
 
問題:
 
大小の2つの円が与えられたとき、
定規とコンパスを使って
大きな円の中に小さい同心円を描くことで
最初の小円と同じ面積の平面ドーナツ形を描きなさい。
 
 
解答例:
 
( 円の中心は任意の弦2本の垂直2等分線の交点で得られる。 )
 
小円Oと大円O’の中心を結び、中心線OO’とする。
Oを通り中心線OO’に直角な直径ABを引く。
小円の半径OA=OB=Ro とする。――――――――――(1)
 
それぞれA,Bから、中心線に平行、ABに垂直な直線を引き、
大円O’の弧との交点をそれぞれA’,B’とする。
A’B’と中心線との交点を C とする。
下図のように、OA=OB=CA’=CB’=Ro である。
 
O’C=r を半径に小さい同心円を描く。―――――――――(2)
 
イメージ 2

大円の半径 O’A’=O’B’=R とする。―――――――(3)
 
(1)(2)(3)と図より、
三平方の定理より、R^2=r^2+Ro^2
 Ro^2=R^2-r^2 ――――――――――――――――(4)
 
青いドーナツ形の面積は、(4)より、
 πR^2-πr^2=π(R^2-r^2)
         =π×Ro^2 となり、
上の青い小円の面積に等しい。
 
以上より(2)までの描画により
円と等しい面積を持つドーナツ形(同心円)を描くことが出来る。
 
(2012年03月26日)
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以上のことから厚さが均一な円盤から
等しい体積を持つ厚さが均一な円盤型ドーナツを作ることは可能ですが、
断面が円になるようなドーナツを球から作ることを考えてみると
ドーナツに相当する回転体積を計算すると面倒になったので
・・気が向いたら改めて考えてみます・・???
 
為すべき何事も為し得ない状況ですが、
ふと一番上のような数学サイトからヒントをもらって、
気晴らしの遊びに逃げております。すいません・・
 
 
(補足・追加:同心円を外側に・・・)
 
同心円を大円の内側に描くことを説明してきたが、
同心円は外側に描くことも出来る。
 
上図のドーナツの穴の白い円を
与えられた円(半径=r)というふうに問題の設定を変えてみると、
 
中心線と,弦ではなく、弧の交点をCとして
Cを通り中心線に直角な直線、つまり接線と
A,Bから下ろした垂線との交点によって、
A’、B’を定めて、Rを得ることが出来る。
 
このようにして同心円を外側に描く方法のほうが
与えられる2つの円の大小に関係なく
ドーナツ形同心円を描くことが出来る。
 
(●また外側に描けるということは、
上図のドーナツ形の外側に、同様にして、
RoとrとRが同じ関係を持つ同心円を
描くことが可能になり、
つまり外側の同心円は無数に描けるということになる。●)
これは・・間違えたようです。(恥)
半径rの円を含むのだから同心円は外側に1つしか描けない。
 
つまり
2つの円が与えられた場合、
小さい円の中には同心円ドーナツは描けない場合があるので、
内側に0または1つ、外側に1つ同心円ドーナツが描ける。
 
1つの円(半径=Ro)だけが与えられ、
その円と同じ面積の同心円ドーナツは幾つ描けるか
ということなら、下図のように、
イメージ 3

R^2=r^2+Ro^2
Roは定数、rとRは連続した関数として相関しているので、
同心円ドーナツは連続した任意のr (>0)について
無数に描けるということでしょう。
 
さて、逆に
同心円ドーナツが与えられた場合、
同心円ドーナツと同じ面積の円は、
一番上の数学サイトの図と答え、
および上図において明らかなように、
穴の円の接線と外側の円との交点を結んだ
AB=A’B’を直径とする円になる。
 
(2012年03月27日、加筆修正、同日さらに修正)
 
 
 
 


矛盾の信仰
 
 
神は人知を超えた御方だから
神は人知を超えた奇跡を起こされるのだと
なぜか神の奇跡とその意味を得々として語る人がいる
 
神は人知を超えているのに
なぜ神の奇跡を人知が説明できるというのか
そのような説明は不可であり
それが確信ならば
その確信は信仰ではない
 
人は考える動物であるから
素人でも分かるはずなのに
しばしば人は自らの確信を信仰として語る
 
聖書は人の解釈を通さずに読まれることはなく
人は聖書の言葉を人の言葉として生かす思慮が必要なのに
しばしば聖書を解釈した自分の言葉を
神の言葉として語ることで満足してしまう
 
神を信じようとすればするほど
ますます神は理想化された偶像として人に作られてゆく
このように
信仰は原初において既に矛盾しているのに
矛盾を省みず
神について聖書について
誤解や間違いや思い込みの可能性を考えず
確信として押し通せば
もはや信仰ではない
 
矛盾の原罪は避けることが出来ない
それが
「信じる神はどこにもいない」
「信仰はない」
また「聖書は人の言葉」の理由であり
矛盾は信ずるに値しないなら
「信仰は捨てたほうがよい」の理由でもある
しかし同時に
「祈るしかない」の理由でもある
 
動物よりも増しな思慮を持って
矛盾があることを認めても
祈ることをやめられないならば
それが理屈抜きの信仰であり
尾ひれの付かない信仰であり
原初から変わることのない信仰である
 
神が人知を超えた御方というのは
人知を超えている神を確信することではなく
神を思えば思うほど
神について確信を持って語ることは出来ないということだ
 
神の立場はもちろん人にはなく
人の立場においても
達し得たとき既に足元は崩れつつあるという常態
ゆえに
信仰の言動において
柔和でバランスの取れた「敬虔なクリスチャン」は
社会通念のイメージに過ぎず
神を信じる正しいクリスチャンは一人もいない
 
神を恐れる人は
矛盾の信仰に身を置いている自らを知る人であり
それでも離れられない信仰について謙虚でしかありえないが
うわべだけ「神への畏れ」を語る者は多くても
神への恐れを知る人は極めて少なく
大方は孤立しており
さらに倒れており這っており狂っており
ときに悲鳴のように呼ばわるが
その声を聞く者が殆どいないという現実に返され
うちのめされている
 
(2012年03月23日)
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人からの白眼の視野に生きて雪
 
雪の季節は過ぎたようですが、
身を切るような寒い風に吹かれて凍り付いている心地で、
私が生きてゆく日々は短く
私が生きて逝く時は近いのかもしれません。
 
入院中の母のために何も出来ないでいる自分が嫌になります。
造られた意味を神に問うても答えはなく・・
それでも生きている間は祈ることをやめられずにいますが、
それが唯一の安らぎに近いひとときでもあるのですが、
 
先日「わかったね!」を繰り返されて
母と口喧嘩みたいになって「切るよ!」で
電話を切ってしまって、それから電話もないから
母は悲しんでいるかもしれないのに
独りの家でピザのデリバリーばかり頼んで食って、
昨夜眠れず、なぜか今朝になって唐突に思い立って
ブログの記事を書いている・・おかしいなぁ・・
 
反りが合わず、耳も遠くて
コミュニケーションも取れないとはいえ
母がいることだし、自殺する勇気も今のところなくて・・
目処の立たない暮らしの中で、つくづく
常に私の生活には自己中心が付きまとい、
私の信仰にはどうしても神義(神の正しさ)の問題と
ルサンチマン(負け犬根性)が付きまとうものだ
と痛感しています。
死ねないものだから、せめて
自分の内部と来し方を斬って見たいと言う衝動だろうか
・・ぷっつん・・なのか・・?
長々と愚痴、失礼いたしました。
 
(2012年03月27日、一部修正)
 
 
 
 


独裁と民主主義
 
 
最も効率のよい体制は独裁であるが
妄想と横暴の惨禍をもたらしたゆえに
独裁に代わって
最上の体制として民主主義が唱えられた
しかしながら
民主主義は独裁を否定するはずなのに
独裁は民主主義から生まれている
 
かつて独裁は民主主義を露骨に蝕んでいたが
現代では
宣伝と煽りと刷り込みと隠蔽によって
むしろ民主主義に乗った形式で神話を作り
忍び寄り
潜り込むことを気づかせず
逆らうことに非常識のレッテルを貼る
 
独裁の民主主義に対しては
宣伝と煽りと刷り込みと
隠蔽とを暴くことによってのみ
そのときの民主主義を
辛うじて勝ち取るしかなくなっている
 
独裁を結果としない民主主義について
その精神について
その真実について
その在るべき姿について
未だ実現した国はなく
未だ明らかに知ることは出来ておらず
制度や骨組みの条文だけが
それらしい振舞いとして使われていても
真の結実は殆ど達成されていない
 
民主主義は
偽りの姿を知ることによってのみ
辛うじて真実の欠片を垣間見せるのみである
 
(2012年03月10日)
(2012年03月10日、一部修正)
 
 
 
国と国民
 
 
国民は国を守るべきか
民あっての国
国あっての民
という関係概念において
不可分な国と国民であるが
国民は国を守るべきなのではない
 
国が国民の生存権を守るという条件においてのみ
国民は国を守るのであって
国民が国を守るべき
という当為が無条件に存在するわけではない
 
国民が国を守るのは
国が国民を守るべきという当為の
努力の延長線上にある必然である
 
国は国民を操るのでもなく
引っ張って導くのでもなく
当然のごとく支配するのでもない
 
国と国の法制度はコンビニエントに
国民全員が生きるために
利用するのに不可欠な仕組みであって
統治は常に必要悪である
 
したがって国と国民の間に
嘘に基づく法制度があってはならない
 
統治する国と統治される国民
という関係は当たり前ではなく
両者に託された奇跡的なプロセスへの希望である
 
(2012年03月10日)
 
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かなり勢いで書いてしまったような気もいたしますが・・
cf.他の「理念・断片」の記事など・・失礼。
 
 
 
 


幽霊妄想
 
 
今は亡き父と
私につながる直系の先祖たちが
ずらあっと周りを取り囲んで私を眺めている
あの世に人口密度はないのだ・・?
 
ときおり訪れる
とても異常な時間
 
絶えることのない怨みの眼で
私を睨んでいるのか
 
悪うございました
直系の子孫は私で絶えます
 
それとも見守ってくれているのか
見守っているなら少しでも助けてくれ
 
手も足も出ないだろう
・・私も出ない・・
 
そのうち母も加わるのか

そして私が加わったとき
いったい誰を眺めるのだ
 
・・連れてけ・・
・・・・・
 
母の入院している病院に郵便物を届けに行く
 
(2012年03月09日)
 
 
 


バランス
 
 
静的なバランスの否定
 
ぎこちなく歩いては激しく転びそうな続きに
受け身もせず倒れる体を
地面近くで受け止めるダンス
 
アンバランスが
アンバランスに見えているうちは増しだ
美しいことさえある
 
アンバランスが
バランスを装うことを警戒すべきであり
 
アンバランスが
アンバランスの軌道を危ぶむことなく
バランスが取れているように見えるとき
事態は最悪である
 
人は常に転倒するモーションに生きており
人のバランスは常に
動的なアンバランスに立ち向かうことしかない
 
(2012年03月04日)
(2012年03月04日、同日一部修正) 
 
 
 
真実の舌
 
 
人の舌は真実を語れず
舌を従わせようとすればするほど
繰り返すほど逸れてゆく
 
安らぎの定位置は存在せず
安定と呼ぶとき
すでに鈍麻が始まっている
 
真実は定住を許さない
 
崩壊のベクトルを以って警鐘を鳴らし
咄嗟の結合によって近似を試みる者は
いつも少なく
乏しく哀しげである
 
(2012年03月04日)
 
 
 
 

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