ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2012年06月


信念
 
 
笑わば笑えと言い
賛同者が増えれば喜び
ぶれることなく
信念を貫くべきだという
 
信念が間違っていたら
間違いを貫くことになる
これほど傍迷惑なことはない
ときに殺人的である
 
年を取れば頑固になる
一方で丸くもなるというが
 
知識によって築いた信念を貫くだけでよいのだろうか
 
どんなに年を取っても
信念の中に
偽・誤・罪・業の可能性を考えるだけの
隅の器くらいは残しておかないと
石の上にも
さらに頭は石になり
手足は萎え
骨は固く脆くなっていることに気づかなくなる
 
反対なら説得力をもって納得させてくれと言えるだけの
否信念のワークエリアを残しておきたいものだ
 
(2012年06月09日、07月20日一部修正)
 
 
ブログ・モノローグ
 
 
意見を受け付けないモノローグは
ひそかに書いている日記であるのに
それを見せるだけは見せているのだから
人の意見を聞かずに楽しいのだろうか
寂しくないのだろうかとも思うが
いわば電子出版のようなものだから
そういう在り方もあるのだろう
 
大看板を掲げて
賛同する意見だけを受け付けて悦ぶよりは増しだ
 
忍耐力には限界があるだろう
罵詈雑言の攻撃には反応したくないし
億劫であり苦痛である
 
反応してもしなくても
耐えられるだけの余裕と豊かさは欲しいのだが
ダイアローグは結局
偶像とのモノローグである
楽しければ それを為し
寂しければ それを為し
苦しければ やめればよい
交流は静かな諦めの青い灯だ
 
(2012年06月09日)
 
 
 

なかなかブログの更新も出来ずにいますが、
気になることがあったので久しぶりに書いてみます。
といっても以前の記事と重複するところがあります。
また相変わらず元気の出る記事は書けません。
 
  原発推進派?
 
 前に原発推進→核武装推進・・
という危惧すべき思想の流れについて書いたことがあるが、
それとも関連して、・・
 
 3.11よりもずっと前のことだが、
テレビで見たような気がする。あの一見優しそうな顔が印象に残っている。
億単位分の一という、事故なんか起こらないよ、
とでも言いたそうな低い確率の数値を示して
原発の安全性を説いていた。しかも
そのときの司会者が
「原発の安全性は分かりました」と相づちを打っていた。
いったい何がどう分かったんだろう・・?
・・と首をかしげたものである。
 
スペシャリスト・エキスパート・専門家に
頼らざるを得ないことは多いのですが、
学問だからといって鵜呑みにしてはならないでしょう。
ましてや政治家になる人ならば
どっち向きの専門家なのか
という方向性を知っておく必要があると思います。
たとい数学においても、応用する場合、
特に確率と統計という分野については、
恣意的な要素が入れば、数も嘘をつきます
 
原発について言えば、前にも書いたように、
細かな数値云々よりも、
被害が時間的空間的に限定できない
ということが私が原発に反対する理由の中心です。
 
確率の数値については、
原発を作りプログラムを作り管理するのは人間に他なりませんから
人の問題がどう数値化されているのかいないのか、また
さらに被害が限定できないということは
数学的な被害の期待値が数値化できないということだと思います。
 
考えられる安全対策をすべて講じるだけでも、
いたるところに線量計を設置して、また
漏れれば人が近づけないという事態が起こるのは当然だから
事故の際に迅速に行動できるロボット部隊を用意する必要があり、等々、
つまり考えられる安全対策をすべて講じるには
原子力はあまりにも高すぎるエネルギーだと思います。
 
それをもってしても
安全対策は、考えられる安全対策であって、
被害をなくすほどの安全対策にはならず、
放射能の被害は限定できないのです。
ダム建設や飛行機と一緒にしてはいけないと思います。
 
今回、優しそうな顔をしたその人(M氏)は入閣し
大臣になります。
ということは、つまり
現政権には脱原発の意思はないということになるでしょう。
 
半減期以上の速さでは消えようもない放射能を
拡散して薄めることで、もう心配ない・・「終息」「除染」と言って
原発推進を進め続ける、・・
 
政権が再び交代してもしなくても
この方向は変わらないような気がします。
つまり安全対策??を盾に
原発維持~推進が続いてゆくのでしょうか。
脱原発を唱える人々が弱小なのが残念です。
 
核エネルギーというものを、禁断のパワーとして、
人類自らが勇気を持って捨てられるかどうか
が試されているような気がするのですが、・・
 
放射能だらけになって壊滅的被害をこうむるまで、
この国は気づくことはないのかもしれません。
 
(2012年06月08日)
 
 

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