人を語る
例えばダリの絵は
例えば機械のような物の細く不安定な長い脚に
インパクトを受けることはあるのだが
超現実というよりも
非現実の想像を写実しているようで
これだけ詳しく描けば分かるだろう
という挿絵のようでさえある
だから受け取る側の振幅は
最初が最大で次第に減衰してゆく
人は神を語れない
ゆえに語らない
人は人を語るのみである
神についても
自分についても他者についても
真善美についても
無限についても有限についても
自然についても人工についても
人は人を語るのである
ゆえに人知や現実を超える世界について
あまりに形や言葉にしやすいものは
予め与えられた姿に
塗り絵を施すようなものだ
塗料はやがて酸化して剥がれるだろう
理解は広がりであり
きれいな枠の中に納まるように拵えることではない
人が端的に明確にしようと掘り下げてゆくのは
未知の広がりを求めて止まないからだ
(2012年07月13日)
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かなりゴチャゴチャ書いてしまった割には
文章のまとまりという点では心細いのですが・・