ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2013年01月


バカとモンスター
 
 
いかなる道を選んでも
 
集団や組織の中で
しきたりや規則に染まりながら
(マニュアルは指針であって心ではない)
いずれ競争を強いられ
慣れる人もいるだろうけど
 
たとい孤高を目指しても
孤高は孤独な孤立なのだが
 
いかなる道を選んでも
 
論理に身を投じる人は
論理つまり理屈だけだと
人間離れしたモンスターになるから
論理バカを自覚することが救いになる
 
情緒に身を投じる人は
情緒つまり感情だけだと
感情的なモンスターになるから
情緒バカを自覚することが救いになる
 
「バカ」は
とても人間的だから
 
専門は
専門バカを自覚することによって
改めて我に返り
人間に戻れるだろう
 
「バカ」を忘れて
専門権威になれば
「権威」というモンスターになる
 
「バカ」を自覚する人
自覚せざるを得ない人
また
自覚しない人
最悪なのは
自覚してるつもりで全然してない人
様々である
 
最も大切なことは
論理でも情緒でもなく
人間であること(ヒューマニティ)から離れず
人道からの道理を
求めて止まない経過と結果が
たとい路上でも小屋でも豪邸でも
馬小屋でも神殿でも
呆けた口笛の
自由な散歩だ
 
(2013年01月30日)
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かなり断定的に書いてみましたが・・
私は呆けた自由に首を絞められそうです。
なんか、デジャブ感、あるんだけど・・?、失礼。
 
 
 


 重いテーマのブログについて
 
 
私は反対意見を受け付けないブログを、
経験から、
基本的に信頼しないことにしている。
 
個人の日記的または趣味的ブログなら
気に入らないコメントは勝手に削除する
というのも、ある程度、許されるだろう。
 
しかし、政治、思想、宗教など、
大きく重要なテーマについて思索を掘り下げる必要のあるブログでは
反対意見の承認制による不可視化~削除は、やってはいけないことだと思う。
 
自分に反対意見のコメントを無条件に削除してしまうやり方は
一定の地位や権威を持っていると思っている人のブログに多いような気がする。
反対意見を除いて、賛成や賛同意見だけを並べるのは
反対者の言うことを聞かず、都合のよい意見だけによって
堂々として立派な体裁や威厳を装い保とうとする人の姿である。
 
 
ちなみにコメントについて私としては、
 
1.全く無関係な迷惑メール的コメントは迷わず削除するしかない。
 
2.罵詈雑言のコメントや「死ね死ね」メッセージの類は、
 相手が醜態をさらしているのだから削除せず残すことにしている。
 そのまま放置してもよいのだが、さらに
 乱暴なやり方と思われるかもしれないが、
 コメントとHNまでコピーして自分のコメントか記事に貼り付けて
 コメント者が自分で削除できない形でさらしてもおかしくない。
 表現の自由には、表現の責任が伴うからだ。
 
3.結論しか書いていない決めつけか思い込みの反対意見には、
 その旨を指摘した上で、「レスしようがない」と返すしかない。
 
4.真面目な反対意見ならば、
 あまりに長いコメントだとレスできない場合もあり限界はあるが、
 できるだけじっくり考えて思うところを書きたいと思う。
 
 
例えば、原発反対派(以下、反対派)のブログにおいて、
 
原発推進派(以下、推進派)のコメントが来た場合、
反対派は闘うはずである。喧嘩という意味ではなく勝ち負けでもなく、
見解の違いを明らかにして原発というテーマについて
思索を深める必要があるからである。
したがって推進派のコメントを削除したりはしないはずである。
 
推進派のコメントを削除して、
自分と同じ反対派のコメントだけ並べるブログについて
疑い深い私は考えてしまう。
 
A.反対派ブログとしての
 かっこよさによって自己満足して悦に入りたいだけだから、
 そのために邪魔になる推進派のコメントを平気で削除できるのではないか。
 
B.反対派に見せかけた、実は推進派のブログ(?)。
 それだけでニュースになりそうな詳しい記事を書いて載せるが、
 実は、嘘と本当がまぜこぜになっており、
 (嘘だけなら、むしろ見分けやすいだろう)
 好意的なコメントによって反対派の読者が真に受けると
 後で酷い目に遭うように出来ている。
 こういうブログに推進派からの反対意見は元々来るはずはない。
 推進派による反対派アホ化計画実行中だからである。
 
特にB.については憶測の域を出ないが、
手の込んだ「○○詐欺」が横行している世の中である。
こういう可能性まで考えておいたほうがよいのかもしれない。
 
 
私は反対意見を拒否して消去するブログを信頼しない。
 
 
(2013年01月27日、同日若干修正)
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また修正することになりそうな気もしますが・・
今のところ以上です。
 
 
 


亡国の標的
 
 
天災と、過失や怠慢の人災だけではない。
仮に悪意に満ちた国が、
結果的にその国も滅びるかもしれないが、
 
日本を壊滅させるために
最も効率的な手段は何かと考えると
 
原発一基に一発ずつ、
核兵器でなくても、
ミサイルを命中させればよい。
 
それを防ぐために原発を廃し
核燃料を地下深く埋めても、
その地下の深いところが不安定なのが
日本列島の特徴である。
 
原発を建て核燃料を保持した時点で既に
手遅れだったのかもしれない。
 
何故それをわざわざ言うんだ。言わなければ・・
という他罰的思考は通用しない。
ちょっと考えれば誰かが分かることだからだ。
 
愚かな国が愚かなことをしないように祈るだけだが・・
万が一、最悪の事態が起こるなら、愚かな国はもちろん、
(想定すれば最悪の事態ばかり・・のような気もするが)
 
核の平和利用と安全神話に騙され、
あるいは無関心のために、
原発建設を許してしまった私を含めた国民もだが、
原発を建てた人々も、それを推進した人々も、
万死に値する戦犯である。
 
もう建ててしまって手遅れだから
日本は核武装して対抗するしかないという方向へ
持って行きたい人々がいるのかもしれない。
 
日本のあちこちの海沿いの目立つ所に
50以上の大きな亡国の標的が
文明の先端であるかのように堂々と
誇らしげに並んでいる。
 
(2013年01月21日、同日若干修正)
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昔々は人が人一人を殺すのにも体力と技術が必要だった。
銃というものが出来てから、至近距離なら
人差し指の屈伸だけで人殺しが可能になった。
人殺しの効率はどんどん上がってきた。
それでも人類が人類を滅ぼすことは不可能だった。
 
しかし核が登場した時代にあっては
人殺しの効率が桁違いに良くなってしまった。
 
ある意味、終末の時代と言えるかもしれないと思うのは、
物理的に人類が人類を滅ぼす能力を持ってしまっているから。
 
これから先、何十年も
生きていかなければならない若者は大変でしょう。
これから生まれる子供たちはもっと大変でしょう。
 
だからセルフィッシュに小さい世界だけを大切にして
自分と自分の身近な人々の幸福を求めることは大切だが、
それだけではいけない、通用しない時代だと思います。
 
日本でもアメリカでも選挙がありました。
今テレビでは連日、冬のスポーツやアメフトなどを放送している。
じっくり見ると面白いです。にもかかわらず
虚しくてならないのは、個人的な事情だけだろうか。
私は相変わらず発作的に書きたくなったとき書くだけで、
その頻度がどんどん減ってゆく寂しさを覚えるばかり・・失礼。
 
(2013年01月21日)
 
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(追加・補足)
 
ひょっとして誤解があるといけない
と思ったので補足しておきます。
 
原爆と原発ではウランの濃縮度が違いますから、
通常ミサイルが原発に命中した場合、広島や長崎のような
原爆規模の爆発が起こるという意味ではありません。
 
しかしながら、通常ミサイルであっても
標的に命中させて爆発を起こすことを目的とした兵器ですから、
原発事故による爆発や放射能漏れなどよりも、
ミサイル爆発によって、より多くの放射性物質が、
より広範囲に飛散するだろうと思います。
より規模の大きい放射能飛散により、
20~30kmではなく100kmの規模になるでしょうか・・
というより、前にも書いたことですが、
「放射能被害は時間的にも空間的にも限定できない」
ということから、
限定できない被害の規模と範囲がさらに甚大で壊滅的になるだろう
という意味で「亡国の標的」と書きました。
 
私の拙い文章と知識不足で誤解があったのなら、
お詫びして訂正いたします。また、なお
アドバイスをいただければ幸いです。
 
(2013年02月04日、追加補足)
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記事中の
「原発建設を許してしまった私を含めた国民もだが、
原発を建てた人々も、それを推進した人々も、
万死に値する戦犯である。」の段落は、
「万死に値する」が既に激し過ぎる表現であり、
そのまま実行してしまうと日本はなくなってしまいます。
つまり
どうしてこんなに原発を建ててしまったんだ。
日本を滅ぼすのに核ミサイルは要らないじゃないか。
・・という、絶望~怒り~嘆きの感情表現に過ぎず、
道理にも論理にもなっていないことを反省します。
どうしたらよいのか、アイデアがあれば教えてください
・・としか言いようがない感じです。失礼いたしました。
 
(2013年03月02日、追加補足)

 
 
 


パルス
 
 
咳込む
深夜の咳は
天使のように寂しげだ
 
胸につかえるのは
出し損ねた粘性の
小さな粗大ごみ
 
出されて寒空の下
硬く冷たい凹みの
袋の中身に応えている
 
(2013年01月09日)
 
 
 
笑う町
 
 
昼が笑い
夜が笑い
通りが笑い
ぎらぎら笑って
部屋が笑い
口が声もなく笑い
気道が音もなく笑い
腹筋が笑い
痙攣が笑う
 
しまいに
笑っているのか
何か忌まわしいものに
笑われているのかも分からなくなって
 
空気を空間を
瞬時に押して引くように
頻脈のように震わせながら
 
痛ましく笑い
笑われ
引き裂かれてゆくのだが
 
どこなのか

どこでもないのか
 
憤って笑い
悲しくて笑い
おかしくて笑い
おかしくなって笑うのに
本当に
うれしくて笑うのを見ることがないのは
 
(2013年01月09日)
 
 
 
止めてごらん
 
 
焼いてごらん この網膜
裂いてごらん この硬膜
切ってごらん この動脈
湧き水だよ 面白いよ
戻してごらん この食欲
晒してごらん この性欲
潰してごらん この贅沢
どんよりだよ 眠たいよ
殺してごらん この希望
殺してごらん この無謀
殺してごらん この骸(むくろ)
どんよりと曇った日の
山奥の涌き水を止めてごらん
 
(1998年04月13日)
 
 
 


貧富と国と愛国心
 
 
金持ちがどんなに金持ちになろうと
何の支障もないのだが
貧乏が「底なし」になると
自殺と孤独死は増え
凄惨を極め
そして治安は悪化するだろう
街や都市には
独りで歩くと危ない
と言われる地域がたくさん出来てくるだろう
 
国がリーダーシップやカリスマ性で
万能感を振りかざし
完全や万全や安全を保証するかのごとく
国民を引っ張ってゆき
国民は、感じの良さそうな人だからと
お任せします
ということで良いはずはない
 
人間に完全も万能もないのに
それで愛国心と言われても無理な注文である
 
国は愛国的行為を
ある程度は強制することが可能だが
愛国心が「心」である以上
愛国心は自発的にしか生まれ得ない
 
人間は一礼して口を合わせながら
心の中で唾を吐く
ということの出来る動物である
 
過去の時代に学んでいるならば
古き時代の妄執と威信を捨て
逆に国が国民に
どんな国にしたいですかと
ゆえにまた今どんな種をまき
今どんな種を捨てるべきかと
アイデアを提供して
問いかける時代が来ていなければならない
 
そして愛国心は国民が
自由に国を批判したうえで
良かれ悪しかれ評価するところにしか生まれない
 
反対意見が
ひどい災難が起こったから反対だ
では余りにも弱いと思うのは、
その様子を見て国民を操ろうとする者たちに
くみしやすく無視しやすい人たちと見なされるだけだからである
 
徒党を組んで国と国民をほしいままに動かそうとする者たちに
騙されないくらいの思慮を努めて持って欲しいと切に願う
キーワードは
生存権(生物学的生存権、存在権、生活権)
という国家の唯一の存在意義を
如何にして「具体化」しようと努めているかだろう
 
なぜなら
一見やさしそうな顔と見た目と語り口、根拠のない結論、
具体性のないリップサービス、刷り込み、煽り、
情報の操作と必要のない遮断と隠蔽、等々、
騙す手段がいくらでもある時代だからである
 
(2013年01月07日)
 
 
 

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