ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2013年04月


重いテーマのブログについて(2)
 
 
表で肯定し、裏で否定すれば、
どちらかで嘘を吐いたことになる。
 
表は公開、裏は内緒話である。
 
公開する場が一つとは限らず
内緒話の相手も一人とは限らないので
表も裏も複数になりうる。
 
気遣いや、
適当な対応をしたつもりでも、
表と裏で、あまりに
かけ離れたことを言うと、
どこかで矛盾を生じるか、
嘘を吐くことになり、
書き手の意見が、
はたして本当なのかどうか
読み手には分からなくなる恐れがあり、
これは発言の信頼度の問題になってしまう。
 
しまいには書き分けている自覚すら忘れがちになり、
書き手自身にとって
自らの本音が何処にあるのかさえ
見失ってしまうかもしれない。
 
話し合える相手と思えなくて、
落ち着いて真っ向から
反対意見を述べる気にもなれないとき、
取りうる唯一の手段は
スルーすることでしかないだろう。
 
表で肯定し裏で否定すれば
嘘を吐くことになる。
 
 
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少し気になることがあって
・・自戒も込めて・・でもあるのですが・・
気分の変動の激しい人
~双極性感情障害の傾向のある人は特に、ですが、
誰にとっても、
ブログにおいて、またコメントにおいて、
一貫した知性や感性と感情を保つのは難しいことです。
誤解はしばしば避けられず、それは
常態と言っても過言ではなく、
且つ人間の意見は変わりうるものなので、
一貫性と整合性を保ちつつ
本当に言いたいことを
的確にまとめて書くということは
つまるところ困難~不可能なのかもしれません。
ブログとコメントは公開、でも
メールは内緒の私文書ですから、
私のペンはずっと滅茶苦茶なのかもしれません。
 
 
(2013年04月24日)
 
 
 
 


自由意思
 
 
自由意志といっても
何をするにしても
それが可能な状況と気持ちがあり
状況はもちろん
気持ちも心の状況から生まれる以上
自由ではないから
自由意思はない
 
自由でないなら
そうさせている何かがあって
それが人でもないなら
神だろうか
悪魔だろうか
 
人は神も悪魔も知りえないから
その存在を想像して
信じているか
在りそうに感じているかに過ぎない
 
ならば自由意思とは何かというと
自由意思で行為を選択することを知りえないなら
自由でない意思も知りえないなら
「自由意思」も「自由でない意思」も
存在しないことと同じだ
というより無意味だ
 
肯定も否定も知りえないなら
とても表面的な
成り行きの未知をもって
「自由意思」と呼んでいるだけだ
成り行きの不可避をもって
「自由でない」と呼んでいるだけだ
 
未知と不可避が「自由」の仮面を呼び
結果の行為が「意思」の仮面を呼んでいる
 
 
 
なくしてください
 
 
人が人の心も肉体も殺さないために
傷つけないために
人によって様々に思うことや
人が何かを志すことも
人の意味も
なくしてください
 
人が仲間を求めることは
秘密と偽りを持つことで
人が人を生かし守ることは
錯覚か自己満足のため
 
哀れな宿命は
あまりに不全であるために
人は争うのです
偽るのです
 
疑うことも
信じることも
なくしてください
 
それは動物でしょうか
でも牙をむき出した唸りも
苦しみや痛みで発する呻きも
なくしてください
 
なくしてください
人に属する全て
動物に属する全て
 
人が人を殺さないために傷つけないために偽らないために
 
これも自己中心です
全ては自分に返って重なってくるから
自分のために終わりを
感じたくないのです
 
 
(2013年04月15日)
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今日は何だか滅茶苦茶な日のようです。(嘆)
 
 

 


豆腐の心
 
 
冷めかけた湯豆腐
やわらかく押しただけでも崩れやすいが
まだ僅かに温もりは残っている
 
力などは何処にもなく
温もりは残っていて
壊れかけている
湯豆腐
 
怒りによって緊張して
睨みつけるような視線で
棘だらけになっているとき
 
何処にも力がなく
温もりは残っていて
壊れかけの
心なら
 
負けてはならぬ
という意地を張る必要はなく
あら探しをする必要もない
 
相手は間違っていて自分は正しい
よりも
相手の期待にも要求にも
応えられないと
勝ち負けというなら負けでよいから
正直に答える
 
湯豆腐は壊れ崩れるが
温もりは辛うじて残る
 
 
(2013年04月12日)
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ちょっとした反省のために・・
 
コメントの遣り取りも、議論も、
勝ち負けで考えていると疲れます。
 
以前ネットで、相手の
「・・に責任は一生かけても負うべき・・」に対して
しばらく考えているうちに疲れてしまって、
「その責任は一生負えないまま死ぬでしょう」
と答えたことがあります。
そのとき不思議なくらい肩の力が抜けて
気持ちが楽になったのを思い出します。
天恵か・・!?・・とも思えた・・失礼。
 
 


悪口吐いて離人
 
 
心臓が悪かったので
小学校5年途中まで体育は見学だった。
同級生に「体育参加しないなら出てくるな」と言われた。
 
兄がノイローゼで入院したと友だちに話した。
(実際は統合失調症)
登校途中「離れて歩け」と言われた。
・・離れて歩いた・・
 
それまで話し上手な人だと思っていた。
学生の頃から世辞を言う人がいる。
お世辞だと気づかずに真に受けて
酷い目にあったことがある。
その後は世辞男として時おり思い出す。
 
学生時代の終わりごろ、
グループで遊びの旅行についていった。
私が心臓病だと知っていた人がいたはずだったが、
山登りだった。
(ひとこと言ってくれれば行かなかったのに)
私はすぐに無理と判断して独りで下りてきた。
(途中でぶっ倒れたら迷惑だろう)
寒かった。
あれは苛めだったのだろうか。
 
青二才の私の適性を同じ青二才から、
何の資格があってか、
忠告されたこともあったが
 
氷を当てて舐め上げるような視線、
「○○には向いていない・・ひらめきとしてね・・じゃ私はこれで」
一分で一生が決まった。
(結果オーライだったが、それは結果だ)
あとで思ったこと、
「これから先、あの先生にだけは診られたくない」
 
露骨な悪意をむき出しにした顔が見下ろす。
こういう人は、似たような状況になると、
また似たような悪意を向ける。
・・逃げた・・
 
子供の苛めが問題になっているが、
大人になるともっと陰湿な苛めが待っているかもしれない。
 
ソーシャルスキルと世辞と追従と噂話で、
世渡りは
他者の恥と屍を踏みにじり踏み越えることらしい。
 
私はこんなにも醜い人間以下になった。
世の中はそんなにも醜い関係が横行している。
 
時々テレビなどを見ていて
世の中は色があって形があって
「人間」と呼ばれる物質が動いている
と感じることがある。
 
人間嫌い~厭世~被害妄想?~離人体験?~統合失調症?
 
私は年老いて
今はバーチャルな世界でだけ
本音を語っている寄生虫だ。
 
 
(2013年04月06日、同日若干修正)
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これは悪口ですから、溜まったものを吐き出してるわけで、
悪意(悪魔?)が働いていることは言うまでもありません。
(・・狂乱?乱心?叫喚?・・)
 
 
 

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