不条理
信仰は不条理から始まる
不条理に対して救いを求めるのが信仰
という見方もあるだろうが
信じたからといって
不条理がなくなるわけではない
不条理の背後にある大いなる摂理
すなわち絶対者を
信じないではおれない起源と原初
という見方もあるだろうが
背後にあるものは
人一人の人生において
常に背後であり続けるだろう
では何故に人は信じる相手を求め
祈り叫ぶのだろう
人との関係が頼りないから
自分が頼りないから
という理由もあるだろう
しかし神との関係においても
想い描いた理想像と思い込みによって
失望と幻滅を繰り返すことに変わりはない
神様が相手なら
信じて全てを委ねることで救われるだろうか
救いとは何だろう
慰めや癒しを感受することはあるかもしれない
しかしそれは人の都合によるのではなく
ゆえに常に得られるとは限らないのだ
救いとは何だろう
祈っても心のうちに叫んでも
神の声が聞こえるわけではなく
啓示や導きがあっても
それが神からのものであると
確信してよい位格と根拠は人の側にはない
倒れつつあるのに
神を信じているから動かぬ安らぎがあるというのは
偶像に縋りつくことで安定を求める激しい思い込みだ
滅びゆく定めを持ち
倒れつつある動態に安定はない
では何故に神を信じると言い
祈り叫ぶのか
神に対しても人に対しても
想いの間違いを悔い改めようとしても
人の確信を自戒し打ち砕いても
人は独り
祈り叫ぶ相手を
生涯にわたって必要とするだろう
不条理であるからこそ
不条理の中で独り
ということに人は耐えられないのである
祈りと叫びのうちに
命の終わるとき
信仰は掻き消える
信仰は不条理に終わる救いである
(2013年06月10日)