ウソの国-詩と宗教:st5402jp

キリスト信仰、カルト批判、詩のようなもの、思想・理念、数学・図形、などを書いています。

2013年07月


日曜日は、
母が介護施設から職員同伴で帰ってきた。
一緒に施設が用意してくれた弁当を食べたのはよいが、
母は部屋をごそごそ片付け始めた・・つもりらしい。
早速、口げんか・・耳の遠い母に私は
大声で怒鳴らなければならなかった。
ひどいことを言った。それでも、お互いの話は
すれ違うばかりで理解も納得もない。
投票には行かなかった。
気が滅入っていた。
しかしそれは投票しなかった理由にはならない。
結果は大体分かっていて諦めていたし、その通りになった。
しかしそれも理由にはならない。
なぜなら高校レベルの数学をごちゃごちゃと考えて
ノートに書くことはしていたのだから。
投票しなかったのは怠慢だ。
その気にならなかっただけだ。
 
 
カルタゴ?の3次方程式一般解法を私は使えないので、
高校レベルで解けそうな3次方程式を書いてみました。
というより、前に書いた「立方数の和の公式」
を考えて続けているうちに出てきたものですが・・
 
 「3次方程式・立方数の和(高校レベル)」
 
立方数の和については、きれいな公式
 
1^3+2^3+・・・+n^3=(n(n+1)/2)^2  -----(1)
 
がある。この(1)を用いて、
 
 n^3+(n+1)^3
=((n+1)^3 までの和)-((n-1)^3 までの和)
=((n+1)(n+2)/2)^2-((n(n-1)/2)^2 ---(2)
 
のように、連続整数の
立方数の和は、平方数の差で表されることが分かる。
 
n=3を代入すると、
 3^3+4^3=(4×5/2)^2-(2×3/2)^2
       = 10^2-3^2 ( =100-9=91 ) ---(3)
ところが、
(2)のnに、小数 3.5 を代入しても、
右辺も左辺も、134 になり、(2)は成立する。
(2)のnに、虚数単位 i を代入しても、
右辺も左辺も、-2+i になり、(2)は成立する。 ----------(4)
そこで、・・
 
 
問題1 :
未知数をTとして、
方程式  2T^3+3T^2+3T+1=0  ----------------(5)
 
解答例1 :
 左辺=T^3+(T+1)^3=0 という方程式。 ---------(6)
 
(2)(4)を参考にして、
((T+1)(T+2)/2)^2-((T(T-1)/2)^2
=(1/4)×((T^2+3T+2)^2-(T^2-T)^2)
( A^2-B^2=(A+B)(A-B)で因数分解して )
=(1/4)(T^2+3T+2+T^2-T)(T^2+3T+2-T^2+T)
=(1/4)(2T^2+2T+2)(4T+2)
=(T^2+T+1)(2T+1)  ------------------------(7)
=2T^3+3T^2+3T+1 =(問題1の(5)左辺)
となるので、(7)より
(T^2+T+1)(2T+1)=0 を解けばよい。
 ゆえに解は、T=(-1±i√3)/2、-1/2 --------(8)(答え)
 
問題1の解答例の検算代わりに、もっと簡単な別解として、
(6)より、方程式は、
 (T+1)^3-(-T)^3=0 -------------------------(9)
ゆえに(9)の左辺は、
((T+1)-(-T))((T+1)^2+(T+1)(-T)+(-T)^2)
=(2T+1)(T^2+2T+1-T^2-T+T^2)
=(2T+1)(T^2+T+1) となるので
(7)と同じになり、解は(8)と同じになる。
 
 
問題2 :
未知数をT、正の整数をmとして、3次方程式
 
T^3+(T+1)^3+(T+2)^3+・・・+(T+m)^3=0 ---(10)
 
解答例2 :
問題の(10)の左辺=
((T+m)(T+m+1)/2)^2-((T(T-1)/2)^2 ---(11)
が成り立つようだ。
(感覚的には、正の整数nの和の公式で成り立つことが、
 複素数の範囲もあり得るTでも成り立つというのが、・・
 いまいち・・ぴんとこないのだが・・)
証明は、
(10)の左辺を展開整理すると、
 T^3は(m+1)個、
 他の係数は、1からmの和、平方数の和、立方数の和に
 それぞれ方程式の係数を掛けた式になる。
(11)を展開整理すると、
 T^4の項は消えて、4次式ではなく、3次式になる。
 問題1と同じように因数分解して式の掛け算をして、・・
 
結局、(10)の左辺と(11)は、
(m+1)T^3+(3/2)m(m+1)T^2
   +(1/2)m(m+1)(2m+1)T+(m(m+1)/2)^2
という同じ式になる。これで
 
(10)の左辺=(11)、
T^3+(T+1)^3+(T+2)^3+・・・+(T+m)^3=
((T+m)(T+m+1)/2)^2-((T(T-1)/2)^2 ---(12)
が証明されたと言える。
 
あとは(12)右辺を因数分解した式を整理した式、
(1/4)(2T^2+2mT+m^2+m)((2m+2)T+m^2+m)=0
を解けばよい。
 
問題2の解は、
T=(-2m±√(4m^2-4・2(m^2+m))/4
 =(-m±√(-m^2-2m))/2 ---------------(13)(答え)
と、T=-(m^2+m)/(2m+2)  ---------------(13)(答え)
の、3つの解となる。
 
もっと簡単な方法があるかもしれません・・
 
 
この(13)を問題1に当てはめてみると、
 
m=1 の場合になるので、(13)に代入して、
T=(-1±√(-1-2))/2
 =(-1±i√3)/2
T=-(1+1)/(2+2)=-1/2 となり、
問題1の(8)の3つの解と一致する。
 
 
おまけ問題3 :
ここのテーマとは関係はないですが、
テレビ「たけしのコマ大数学科」の問題解法プロセスで
出てきた3次方程式を書いておきます。
 
  2T^3-87T-77=0
 
解答例3 :
これはどうしようもない・・これを解けってか・・と思いましたが・・
整数解が1つあれば、(T-整数解)で与式左辺を割れば
あとは2次方程式になります。
つまり整数方程式として解いてみる。
 
与式を書き換えると、 T(2T^2-87)=77
77=11×7だから
整数Tになりうるのは、1,7,11,77、の4つ。  
 7×(2×49-87)=7×11=77
与式を満たすのは、この T=7 のみ。
T=7は解なので、(T-7)で与式左辺を割って、
与式は、(T-7)(2T^2+14T+11)=0
ゆえに、T=(-14±√(14^2-4・2・11)/4
     =(-14±√(196-88))/4
     =(-14±√108)/4
     =(-14±√(4・9・3))/4
     =(-7±3√3)/2
解は、T=7、(-7±3√3)/2 の3つ。
 
 
(2013年07月23日、同日少し修正)
 
 
 


理念
 
 
理想だけだと実現不可能な夢物語になって
気分的に悦に入ることはあっても実(じつ)はないでしょう。
現実だけだと駆け引きや利害の判断になって
人間性の希求するところを見失ってしまいそうです。
 
理想と現実の間にあって
理想を踏まえた上で
現実的な問題に対応しうる話として
語られるべきことを理念・・といっても
私が勝手にそう名付けているだけです。
 
他人の頭で考えてはいけない。
これは大切なことなのですが、
さて自分の頭は考えるのに充分かというと、
これが最も頼りないのです。
 
頭だけではありません。
誰かの心に響くことを語るのに、
考え過ぎたわけでもないのに、
私の心は充分でない
というより殆ど病気です。
 
数量的事実をもって考えることも大切なのですが、
例えば私がどこかのサイトからグラフや表などの
数値や事実を持ってきても、
それは直ちに信憑性が問われることになり、
信憑性を私が直接確認できるわけではありません。
また恣意的な要素が入れば、事実は選択されて偏り、
その信憑性を私は判別できないこともあります。
 
数や事実も嘘を吐くことがあるのです。
 
やむを得ず、私のレベルでは、
これは否定できないだろう
と思えるときに、数値よりも、
否定できない性質から話の筋道を進めることが多いです。
 
だから賛成か反対の大筋の意見を書くことはできても、
なかなか具体的に「どうすればうまくいく」という答えを
示せない限界を感じます。
でも一体誰がその答えを示せるというのでしょう。
 
人には感じ方から考え方の相違があり、
見解の相違が生まれます。
また人は完全に中立の立場から
全く共通の結論を導くことは出来ないと思います。
 
数量的事実は専門家の意見を参考にするべきなのですが、
その専門家も様々だから「はい、分かりました」と
素直に受け取ることの出来ない現状のようです。
 
分かってもらいたいという希望を持って
発信し続けるしかないのですが・・
それは最悪の事態を避ける方向で考えることの
苦しさを発信し続けることに他ならないのです。
 
言論が力任せにならないために
話し合いが詰(なじ)り合いにならないために
 
 
---------------------------------------------------
 
次は当たり前が当たり前でなくなる例(?)
・・あまり関係ない余談かもしれませんが・・
 
 
サイコロ
 
 
1.サイコロの一つの目が出る確率は
どの目も等しく6分の1というのは、
暗黙の了解として、
六つの面は同じ形状で、正確な立方体で、
サイコロの内部は均一で重心は立方体の中心
という条件があります。
 
2.しかし現実のサイコロでは、
六つの面の形状は同じではありません。
私が見たことのあるサイコロについてですが、
目の数だけ円が描かれており、
それぞれ色が塗られており、
さらに円は窪んでいます。
窪みは体積欠損で、
その分だけサイコロは軽くなります。
そして軽い分だけ重心は欠損面の反対側にずれます。
1の目は大きい円で窪みも大きいようです。
2~6の目はほぼ等しい小さい円と窪みのように見えます。
窪みつまり体積欠損は、1の目>2の目と思われ、
窪みの数だけ、2の目<3の目<・・<6の目、
したがって重心は体積欠損が最も小さく、
ゆえに重い2の目の方向に偏ると思われます。
だから2の目が最も下になりやすく、
目の出る確率は、2の裏側の、
5の目が一番高いということになりそうな気もします。
といっても私は確率の数値を計算できないし、
この話も・・ちょっと怪しいのですが、
サイコロの確率の値は等しく6分の1ではない
ということは分かると思います。
 
1.では表面の形状の違いという条件が無視されています。
2.では表面の形状の違いを加味して
サイコロの確率が等しく6分の1ではないことを示してはいますが、
この条件では計算には不十分です。
 
しかし以上から、
条件が変われば確率の値は変わる、
言い換えると、
確率の値には必ず、無視された条件を含めて、
成立条件があるということが言えると思います。
したがって成立条件の分からない確率の値は
信頼するに値しないと言えるでしょう。
 
 
-------------------------------------
(おまけ?・・書きたかっただけ・・)
 
夏来たり この暑さより まされるは
  若かりし日の 怒りなりけむ
 
(2013年07月14日)
 
 
 
 
 
 

(再投稿です。若干再編集)
 
元々読書嫌いで、知識が乏しく専門家でもない私が
原発事故、等々、の
極めて重大な問題について語るのは、とても難しいことです。
似たようなことを書くことになりますが・・・
 
各地で脱原発が叫ばれているようです。
叫び続けることが大切です。
それによって辛うじて抑えられるものがあるから。
 
一方で
政治家や思想家にならなくても、
政治や思想に騙されることのないように
今持っているありったけの知識と思考と
何より人間性によって、冷静に考え、
根拠や理由というものについて
深めてゆく作業は、誰にとっても、大切だと思います。
 
 
「理念・断片」に書いたこと:
根源的な疑問として・・・
原子力という桁外れのエネルギーが、はたして
過ちを常とする人間の手に負えるのか。(私は否定的です)
 
放射能のもたらす被害は
時間的にも空間的にも限定できない。
 
空間的に・・・は、ゴーストのようなものであること
((後述、および今まで書いてきたこと)参照)
時間的に・・・は、半減期の問題もありますし、
どこまで安全でどこから有害かという限界や、
子孫に与える影響も、
未だはっきり解明されていない。
 
例えば飛行機事故は大きな被害をもたらしますが、
それでも、その被害は飛行機に乗っている人々と
飛行機が落ちる地域に限定されるものです。
したがって事故の頻発する車より安全だ
という見解も、ある程度、説得力を持ちます。
 
震災も地震と津波だけなら、時間はかかりますが、
いずれ復旧・復興するでしょう。
さらなる安全対策が問題となってくる
という理解が可能ではあります。
 
しかし原発事故・放射能漏れは、違うと思う。
 
「放射性セシウムの半減期は30年」について
「放射性セシウムは100日で体外に排出されるから(心配ない)」
という説明に対して
 
体外に排出されても放射性物質であることに変わりはないので
次は体外被曝になり、さらに、
再摂取されれば再び体内被曝になるのではないか。
やはり半減期30年は軽視できることではありません。
 
「今回は想定外だったから(原発事故が起きた)」
という言い訳に対して
 
阪神・淡路の大震災もそうでしたが、
大災害というものは、たいてい想定外で起こってくるものです。
むしろ「災害は想定が可能」「想定内なら安心」
という考えが間違っているのではないか。
 
想定外の災害でも、
もたらす被害が少ないほうを選ぶべきではないのか。
 
「原発の安全性をさらに高めていけばよい」
に対して
 
放射能漏れが起こらないように安全性を高めることと、
放射能漏れが起こったときの被害を最小限にすることが
含まれると思いますが、
考えられるあらゆる安全対策を実施すれば、
原発はとても高いコストになることが避けられない。
しかも、それでも、どちらも
完全ということはないのです。
 
他に方法がない場合にリスクを負ってでも・・・
ということになりますが、実際問題として
他に方法がないとは言えないでしょうから、
脱原発を目指す以外にないように思います。
(後述のコメント参照)
 
あるブログに書きこんだ私のコメント(少し編集してます)

隠蔽によって守られる威信はないと思います。
さらに威信とか面子とかは幻想で、守るものではなく、
信頼ということならば、
常に信頼は、壊されながら築いてゆくものだと思います。
 
放射能は、測った時と所だけ数量が分かる
というゴーストのようなもので・・
異常値を測定したとき既に被爆している。
もし原発を維持するつもりなら、漏れたら迂闊に近づけないことは
分かっているのだから、至る所に線量計を設置して、かつ、
近づけないところに行ける大(無人重機)~小型ロボットを
用意しないといけない・・・となると、原発はとんでもなく高くつく。
しかも、それだけ用意できたとしても、事故を防ぐことにはならず、
被害をどれだけ少なくできるかということにしかならない
・・・ということで、やはり脱原発しかないような気がする。
 
いつになるか分からないけど、ほとぼりが冷めたころ、
「日本の原発は安全だから、あの程度の被害で済んだ」なんてことを
言い出す人たちが、また出てきそうな気がします。
 
原発推進派と核武装推進派は無関係ではないような気もして・・・
前に参加していたブログで両方に関係した人がいました。
・・・むしろ怖い思想が動かしてきたような気もするのです。
 
知識がないので・・・温暖化についてなのですが、
人類が人工的に発生させている熱そのものの影響ってのは
どうなんでしょう。人類が直接大気を暖めているとか・・・?
 
二酸化炭素を出さないからと宣伝されてきた原発も
結局発電の仕組みは蒸気機関だから熱は出すでしょう・・・
 
太陽光は光発電?・・・同じものかどうか知らないけれど、
私が使っている電卓には小さなパネルがついていて、電池なしなのに、
ずいぶん長いこと使えている・・・
 
熱そのものを、蒸気を経ずに、電気に変える仕組みはないのでしょうかね。

 
繰り返します。
別の、あるブログに書きこんだ私のコメント

自民党も民主党も私は
敵とも味方とも思っていませんが・・・
むしろ私にとっては、
既にご存知かもしれないが、(苦笑)
1.核武装推進派
2.改憲派
3.確率の値を以って、あるいは恣意的に、
 原発の安全性を断定的に主張し
 広めようとしている人々
4.「脳死は人の死」という前提の下に
 脳死移植を推進する人々
等々、とりあえず、以上の人々のほうが
よっぽど恐ろしいです。
甚だ不十分ながら今のところ以上です。
 
        戸田聡。不具
 
戸田聡 | URL | 2009年07月27日(Mon)08:51 [EDIT]

 
(1,2,4、については「理念・断片」参照)
 
何かを刷り込み、煽り、できれば先入観にして
当たり前のように正しいことと思わせて
少しずつ日本と世界と歴史を恣意的に
変えてゆこうとする人々がいるようです。
絶えず注意し警戒することが必要です。
 
(2011年09月24日、同日若干修正)
(2013年07月14日、漢字や半減期の間違いなど若干修正)
 

歴史としては深く重いテーマですが、
あんまり重いテーマとして私は扱えないので、
今日は雑談的な軽口を叩いてみます。
 
 
「邪馬台国?ヤマト国?」
 
高校のとき「邪馬台国」を習い、
九州説と畿内説があることを習った。
高校のとき感じた一番大きな疑問として、
 
「邪馬台国」を「ヤマト国」と読むことは
 あり得ないのですか。
 
邪馬台国と大和国は別物として考えるべきなのだろうか。
新たな発見のたびに注目され、
九州にあった、近畿にあった、と論争は尽きない。
素人が入り込む余地はないのだが、
語呂が似ていて、ずっと上の疑問が気になっている。
テレビの「BS歴史館」で「邪馬台国」を
「ヤマト・・」と読みかけた人がいたようだ。
一般向けのイラスト付きの本では、
(私、そういう本しか読まないので・・)
そのことについての記事をまだ見ていない。
読まないに決まってるから話題にならないのだろうか。
 
辞書などでは、
「ヤマト」は「山処」から・・とか、
(九州説では「山門」とも・・)
また「大和(ダイワ)」という漢字は
「倭国」「倭人」の「倭」では弱そうだから、
「大」+「倭」→「大倭」→「大和」・・らしい。
ちなみに
邪馬台国の「台」は「臺」という旧字の他に
「豆(まめ、トウ)」の入った「壹」という字も書いてあった。
しかし、この字は「壱」という字と同じ「イチ」という読み、
ヤマイチ国?おかしい・・この辺、限界のようだ。
 
邪馬台国の所在は、即ち、卑弥呼の住所でもあるから、
上の疑問は、
卑弥呼は大和国とは別の邪馬台国の人か、
卑弥呼はそもそも大和国の人ではなかったのか
・・という疑問でもあります。
 
もし「邪馬台国」=「大和(ヤマト)国」だとすれば、
邪馬台国が何処にあったかという問題ではなく、
ヤマト国が何処にあったかという問題になり、
言い換えると、
大和国の支配または影響が畿内に留まっていたか、
それとも九州など日本中に及んでいたか、
またヤマトと読む大和の名が日本の何処まで知られていたか
という問題になるのではないか。
 
さらに日本に来た魏の人か、魏志倭人伝を書いた人が、
「大和、ヤマト?、ちやう、そんな読まないよ。タイワ、タイワァ、
 でも皆、ヤマト、ヤマト言うとる。そんなら、近い字、当てとこ、
 で、邪馬台国、・・と書いとこ・・」
(ここの言い方の変なところはお許しください)
 
という感じ(漢字?)で
珍しく軽躁なる我(倭?)が妄想を
膨らませてみたのであります。失礼。
 
(2013年07月13日)
 
 
 


人の真善美
 
 
真善美の完全なる調和と一致は神の領域のものである。
 
人の作る真善美も、人の感じる真善美も、
常に相対的であり、不変ではない。
人の真善美に完全な調和も一致もない。
 
人の真善美は移ろいやすい仮の姿を見せるに過ぎず、
しかもそれを正確に判断する視野と洞察を人は持ち得ない。
 
一つを追求すれば、
その一つがさらに偽になることもあり、
他の二つが本物から離れてゆくこともあるだろう。
 
ここでも、その都度において、
偽である疑いを持ち、
本物から離れることを自覚することによってしか
近づくことさえ出来ないのが
人の真善美の有様であろう。
 
それでも人は真を考え、善を求め、美を感じるのである。
それがおかしいというのではない。
死ぬまで受けて反応する過程において、
偽の否定と排除を実は行っているということである。
 
人は容易に偽に親和しやすい
ということをわきまえないままの追求は、
作り物に支配された人になって、
ますます偽を加えてゆくことになるだろう。
 
人の真善美の追求は、
偽の真善美を排除してゆく務めに他ならず、
そのプロセスのうちに人の寿命は尽きるのである。
 
務めを履き違えてはいけない。
 
人に完成はない。
人の生み出すものは総て過程の結実だ。
 
表すことの役割は、
真善美の一体として感受し思考する事柄について、
できるだけ偽を明らかにすることによって
近づこうとして動く姿勢に終始する不断の努力であり、
儚く移ろいゆく時々の結実の空しさに、
ひととき吐いてしまう溜め息の向こう側に
望みと祈りを託すことなのだろう。
 
 
---------------------------------------------
 
私は知識が乏しいので頻繁に辞書を引くのですが、
いつも思うことは、
言葉を言葉で説明することは困難だということです。
同義語といっても、完全な同義ではなく、
一つの言葉には
その言葉しか持ち得ない語感があります。
しかもそれは人によって違うのです。
したがって辞書の役割は、
類語や実例によって近似することであり、
それによって言葉への類推やイメージや
概念形成を促進することに他ならないと思います。
 
ましてや言語化できないものを
言語で説明することは不可能です。
概念形成すらできないのです。
固定化した途端に偽になってしまうものがあります。
務めを履き違えてはいけません。
 
・・・・・・・・
 
私のPCは頓に不安定で
起動できないこともあり、
起動できても、使えるようになるまで時間がかかり、
・・かつ遅い・・時々フリーズする・・オレみたい・・
というような私ですから、
もう書くことも書く気力もなくなりそうですが、
これもまた偽である可能性を感じながら、
甚だ拙いけれど、
PCが使えて、書く気力が少しでもあるときに、
うろたえて書いております。失礼。
 
(2013年07月07日)
(2013年07月08日、一部修正)
 
 
 
 

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